元村正信の美術折々-2021-02

明日なき画廊|アートスペース貘

2021/2/28 (日)

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美術折々_322

じぶんのことでないのなら


ある喜びがあるとしよう
ある哀しみもあるとしよう
また苦しみもあるとしよう
それに憎しみもあるとしよう

たぶんそれらは誰にでもあったし
たぶんいまもあるに違いない

生まれたから小さいから若いから
大人だから老いているから死に瀕しているから
貧しいから金があるから善人だから悪人だから罪人だから

そのどれででもあるし
しかしそのどれでもないとも言える

でも待て 喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
すべて自分のものなのだろうか

いやまて そのどれを取っても
じぶんのものとは思えない
ということだけは言えるのだが

それらをあたかも
自分のことだと思い込んで来ただけなら
喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
じぶんのことでないのなら

じゃあだれのものだろう
ぼくの中の別のぼくのことなのか 
ぼくの中のあなたのことなのか
ぼくではないあなたのことか

それともあなたの中の
別のあなたのことなのか
あなたの中のぼくのことなのか

わからないけど 喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
自分のことではない ということだけは分かる
そのことだけは わかるから
喜び哀しみ苦しみ憎しみが
見えてしまうのだ

まるでじぶんのことのように 感じてしまうので
だからじぶんのことではないと
いうしかない これはぼくの まったき錯覚だろうか

2021/2/21 (日)

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美術折々_321

未来は〈人質〉か、それとも〈物質〉同然か


アートついでに、もう少し今の「アート」に首を突っ込んで見たい。多くの人がいうように、アートとは何か、なんてほとんど誰も言わないし問いもしない。

問われさえしなければ、あとはアートと何かを結べばいい。関係付けてシンキングということだ。むしろその方が都合がいい訳だ。これは何度も言ってきたが「芸術の定義できなさ」を良いことに、そもそもの端を発している。

やっかいなのは、それまでの「美術」や「芸術」という概念を日本近代に生まれたこの翻訳語を、この国では1990年代からさらに「アート」と逆翻訳し、そう呼ぶようになってしまったからだ。

西洋の “ ART ” は日本では「美術/芸術」として翻訳・受容され、その120年後にはカタカナの「アート」になってボヤけたのである。「アート」と言ってそれを使うようになってしまった途端に、アートは無制限に拡張し拡散し始めてしまった。

最近では、いかにもありそうで実体はない「現代」と「アート」の日本的造語である「現代アート」( これは俗に言う “ Contemporary art ”の訳語ではない ) というフィクションを、何ら躊躇なく使い「現代アートに投資する楽しさ」などと喧伝し、若く有能なビジネスパーソンたちをも刺激する。

タイアップからコラボ、商品開発から共同運営まで。どんなモノでも人でも、記憶と場所でも商品化し資源化してしまうそのパワーという無限成長への欲望。

たとえばある酒造会社が写真家の森山大道と「共同開発」した日本酒を発売するという。「森山氏の作品をイメージしてコクとキレがあわさった複雑な味わいに仕上げた。同氏のサイン入りボトルも販売する」(2月19日付 日経電子版)らしい。かつてのあの森山大道でさえこうなってしまうのである。これが文化というものだ。これをアートといわずして何と言おう。

こうなるともう「アート」の内実や「アートで何ができるか」なんて、どうでもよくなってくる。どんなものでもいいのだ。すべて肯定するしかない。もうそれが写真でも酒でも、はたまた絵画か漫画かアニメか、彫刻かフィギュアかキャラクターか、映像がメディアが実写か3DCGかVRか、分からなくともいい。

すべてがミックスされシャッフルされ楽しませてくれるなら、それでいいと。皆さん好きなように表現して売買して、スキなようにやって下さいと言うしかない。それに地位と名誉と金を得れば言うことはないぜと。

僕はいまこうして、この世界というものの底無しの奔放さを前にして、途方に暮れているのかも知れない。これは絶望とかの話しではなく、そんなことさえもう私たちは忘却の彼方へ押しやってしまった上で、それこそ手当たりしだい、埋もれる未来の資源を根こそぎ剥き出しにして食いつないでいるのではないか、という泣き言なのだろうか。だれか教えてほしい。

それとも未来とはそういうものだから。あらゆる「未来」は、しょせん現在の私たちにとって〈人質〉いや〈物質〉同然なのだから。くよくよ気にするなと励ましてくれるのだろうか。だれか教えてほしい。

2021/2/17 (水)

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美術折々_320

アートの「ニューカマー」というリアリティ


先日、久し振りに美術手帖(2月号)を読んだのは、じつは特集の「2020年代を切り開く ニューカマー・アーティスト100」を見るためだった。

わずか4年2ヵ月振りでの同誌「ニューカマー」企画なのだが。改めて前回 2016年12月号の「あなたの知らない ニューカマー・アーティスト100」もこの機会に併読してみたが、この二つの特集のあいだに時代を画するものや断絶といった変化はなかったようだ。

むしろ、より目立ってきたのは「アート」そのものの分解であり分化であり分散であり、何より高度化する現実への適応の苦渋だと僕には見えた。だったら芸術でもアートでなくてもいいのではないかという〈別の希望〉を、僕は感じた。

前回の企画の背景には、美大で様々な芸術を学びながら「芽が出る前に制作を断念してしまう学生が多い」という教師たちの声があったからだという。では今回、そのことに変化はあったのだろうか。僕からすればそんなことを案じる前に、教師は学生たちに対して〈制作を断念する〉ということがどういうことなのかを、まず話して置くべきだろう。

せっかく美大まで出て、芸術を制作を思考を断念するのは、もったいないということなのか。そんなことは、どんな時代でもあったし、これからだっていくらでもあるだろうに。

若い人たちが興味や関心を持って国内外の学校や研究所といった専門機関で学ぶということは、ひとつの切っ掛けにすぎない。そこからどんな方向に進み何を志すのかは、いつでも悩みであり自由でもあるのだ。

「生業としてのアーティストにリアリティーを持てる学生が減っている」というのは当然だろう。なぜならそれは生業しかりアーティストしかり、そのどちらもが揺らいでいるからだ。つまりどんな専門性も高度化していながら、一方では職業というもののは複雑化し錯綜し、ひとつの仕事という専門性は他の専門性とクロスし融合しなければ立ち行かない時代だからだ。

ただ「アーティスト」と名乗るだけでその「リアリティー」を実感を、得られる訳ではない。むしろアーティストと言うなら、まずアートの欺瞞を見つめそれに反応すべきだろう。そこで初めて適応も決別も抗いも見えてくるはずだ。「ニューカマー」とはそういうものではないのか。

そもそもここで〈誰が〉推薦者を選びまた作家を選ぶのか。では選ばれなかった推薦者がいて見えない作家がいることは、また別のそれ以上に多くの「ニューカマー」が隠れているということだ。

だから「アーティスト100」というのは当たり前のことだが、浮き出された氷山のほんの一角であることだけは踏まえておくべきだろう。これらが、日本のアートの「見取り図」になるかどうかは、賢明な読者・見者の〈眼に〉ゆだねるしかない。

2021/2/9 (火)

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美術折々_319

それを異常というにしても


8日、またもや日経平均株価が大幅続伸し1990年8月のバブル期以来の、29,300円台の高値をつけた。約30年半振りになるというが、それにしてもこのコロナ下に反して、いやむしろコロナ下だからか、どちらにしても異常すぎる。もしかしたら 30,000円台を越すかも知れない。

折しも現在、京都市京セラ美術館では、美術評論家 椹木野衣の企画・監修による展覧会『平成美術 うたかたと瓦礫(デブリ)1989ー2019』が開かれている。すっかりアート化した「美術」というものをいまさら「平成」という括りで総括できるのか、という素朴な疑問はある。

アートというものは、とっくに平成をはみ出しているのに。あえて「美術」なら「平成」を同時代的に語れるのだろうか。この時期を僕なりに敢えていえば、バブル崩壊後やがて「現代美術」も崩壊し「アート」に変質して行った時代ということになる。ただこの企画が対象とした元号「平成」という 30年の時間(1989〜2019)が、昨日の株価の高値が「約30年半振り」という時間と、ほぼ重なっていることは偶然だろうか。

椹木野衣は、現在発売中の美術手帖2月のインタビューの中で「そういうバブル的/デブリ的な離合集散から生まれるものが、一体旧来通りの意味であり、作品であり、作家性なのか、もう一度考え直してみたかった」と語っている。

おそらく「平成」に意味などない。やはり平成は「西暦」に刷り込まれるしかないからこそ「1989ー2019」と付記されたのではないか。椹木はどこかで美術というものを記したかったのだろうか。「平成美術」は「美術史ではなく」問いの提示だと椹木はいうが。では美術史ではない「美術」は、今どう生きているのだろう。

一方、経済ではかつて実体経済とはかけ離れた資産価格の高騰がバブルとして起き、そして崩壊した。その後のゼロ成長、国際金融資本の自由化から金融緩和への道のりは知られる通りだ。その意味では、椹木の言う「バブル/デブリ」は、30年後のいまも「西暦」の上で繰り返されていることになる。

ちなみに日経平均株価が38,975円の史上最高値を記録したのは、1989年12月。1990年代初頭のバブル崩壊はすぐそこまで来ていた。元大蔵省官僚の西村吉正は、それを「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた」(『検証バブル 犯意なき過ち』2001年)と振り返っている。

いま国内外の金融緩和で生じた大量の余剰金が流れ込み、バブル期以来の株価の高値をもたらしているのである。西村吉正が言った「国民の間に格差ができた」という言葉は、そのまま2021年2月のこの現在と何ら変わることはない。いやいっそう〈格差〉は激しくなってしまった。ただコロナ下にあっての苦境から乖離した株高が余りに「異常すぎる」のだ。

実体経済から懸け離れた株高、そして一方で起きているコロナ下の格差や貧困への拍車。本来比べられないはずの「命と経済」を、いま天秤に掛けながらコロナ下の生活が経済が、日々繰り返し語られる。規制と緩和をあやつりながら、感染拡大を抑制しようとしてはいるが、東証一部上場企業全体の時価総額は712兆円を超え、過去最大になっているのはどういうことなのか。富の偏在とは他人事なのだろうか。

それが、個の貧しさや悲哀や苦しみには分配されることなどない。私たちは自らの仕事を労働を、そして作品を売買しながらも、なんと遠くでその対極で暮らしているのだろう。

2021/2/3 (水)

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美術折々_318

失うものはまだあるのだろうか


予測できない未来のことなどを早々に言ったりすると「来年の事を言えば鬼が笑う」と、むかしよく言われてた故事を思い出す。ことしもまだ2月になったばかりなのに、次の2022年が少し気になる。

何をかといえば、1945年 日本が第二次世界大戦で「敗戦」した年から過去のことを。1868年つまり明治維新、「日本という近代」の始まりまでさかのぼれば、それが「77年間」という時間になる。逆に敗戦から未来へと目を向ければ来年、2022年がちょうど戦後77年というわけだ。

終戦をボーダーラインにした時、それ以前と以後が等しくなる各77年間を「日本近代」ー〈敗戦〉ー「現在」まで合わせても、たった154年の歴史は、この国の近代というものを改めて振り返る切っかけになるのではないか。

たとえば〈1945年〉を軸にして、それ以前の日本近代の77年間を一括りに《戦前》とし、敗戦からの戦争以後の77年間を文字通り《戦後》としてこの二つを天秤に掛けて見よう。

乱暴でまた強引すぎると言われるかも知れないが、日本近代とはすべて《戦前》だったと、そして日本近代の崩壊を体現したのが《戦後》だったのだと。その意味ではどこまでも「戦後」であり、それは終わらないにしても。

ふつう戦後は、戦争を媒介にしその反省からいわゆる戦前を否定して生まれたかのように言われるが、僕からみると戦争は一応否定されたが、戦前が否定されたのではない。いやむしろ《戦前》はこの国の糧であり世界に対する密かな自信でもあったのだ。だから戦後復興のエネルギーへと、戦前の忍耐や窮乏や貧しさの記憶が心性が、幻想として再結集されたのである。

それに続く現在の虚しい平和の響きと皮相な豊かさの両面は、ひたすらフィクションであり、それが《戦後》というものの実相なのだと僕は思っている。ひと言でいえば、ここでいう《戦前》と《戦後》との77年間同士の対称性から見れば、逆説的に相似形なのである。

ではさらにその2022年から77年後の、2099年はどうなっているのだろう。その時の私たちに、失うものはまだ残っているのだろうか。はるか極東の小さなこの列島に、戦前でも戦後でもない新たな《時空》がそこに開けているのだろうか。

まだこの島はあって、人間は大丈夫だろうか。測り知れない未来のことを思ってみた、2月の初め。
鬼は笑っているだろうか。

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