元村正信の美術折々|2016

明日なき画廊|アートスペース貘

2021/4/17 (土)

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美術折々_330

またどこかで


2015年2月から始めたこのブログを、今回を持って終了することにします。6年間という時間が、長かったのか短かったのかは分かりませんが、ここらでひと区切り付け、また新たな方途を模索する時期に来ていたのかも知れません。

何より、これまで僕の拙い文を読んでくださった皆さまには、心よりお礼申し上げます。どこでどんな方がどんな思いで読んでくださっているのだろう、というのがいつも僕の不安であり、それがまた支えにもなっていたのです。

ほとんど手応えもないまま、書き継いでこれたのが不思議なくらいです。読んでくださる皆さんの感想や考えをじかに聞けたらなあ、と思いながらここまで書いていました。このサイトを失うことは、残念なことでもあります。

これから先にのことはまだ分かりません。じぶんの制作や発表はもちろんのことですが、また別の場所で方法で、「芸術」や「アート」のことなどを書ければとおもっています。

皆さんありがとうございました。
ではまたどこかでお会いできることを。
どうぞお元気で。

何かあればいつでもお気軽に。


元村正信

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mano@image.ocn.ne.jp

2021/4/11 (日)

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美術折々_329

芸術の空洞の拡がりが


絵を描くということが揺らぎ始めている。これは僕の告白ではなく「絵を描く」という概念もまた拡張しているという意味なのだが。もちろん僕だって絵を描いているから、このことと無関係である訳ではない。

ここからいっきに有史以前に遡れば、そもそも人類はまず見た何かを「描く」という行為を自覚したはずだ。やがてそれを対象化できるようになって朧げながら、しるすべき痕跡つまり「絵」らしき自覚が芽生えたことによって初めて、何かに「絵を描く」ということが一体的に意識化されてきたのだと言えよう。もちろんそれも「芸術」以前の段階のことではあるが。

人類は、はじめ手に付いた血で何かを描いていたと僕は推測している。後は鉱物や植物の顔料や染料が、やがて「絵の具」というものを生み出していったことは知られる通りだ。冒頭で、絵を描くということが揺らぎ始めていると言ったのは、絵の内容よりも「絵の具」であり「描く」ことの拡張であり、つまりデジタル化する絵画の趨勢のことなのである。

いやどのようにデジタル化しようと、生身の人間が自分の手で直接絵の具を使って描くということは無くならない、と言われるだろう。確かにそれは無くならないと思う。でもいま幼児でさえクレヨンで絵を描かされる機会はあっても、その一方ではタブレットの描画アプリで絵を描いている。むしろこの方が自然に身についてくるだろう。何しろスマホであやされて育てられているのを見れば「絵の具」や「描く」ことを同時にデジタルとして経験していることくらいは予測がつく。

この子たちが芸大や美大に行く頃には、VRやARあるいは3Dプリンターで絵画を描き、彫刻をつくることはもう当たり前になっていることだろう。絵画と彫刻を3Dミックスすることもたやすいだろうし。今でさえそんな若い作家たちもいるのだから。だから絵の具ひとつ取っても、物質系と情報系に使い分けられるようになるに違いない。あるいはそれらが混在したメディア表現として。

このように絵の具が変わり描くことも変わってくるのなら、おのずと「絵画」も変わってくることだろう。現在の美大生や若い作家たちの作品を見ていると、本当に好きなように描き作っているなあと思う。それは何でもありというより、芸術の崩壊を空洞化を生きるということはこういうことなのか、と思わせる作品なのである。多様といえば多様なのだが、崩れていながらなおも何かを試行しなければならない闊達さと窒息感。

現実と仮想の世界が別々にあるのではない。すでに現実は、いっそうデジタル化され仮想化され腐蝕されているのである。それが私たちの〈現実〉なのである。絵を描くという事ひとつ取っても、物質は情報によって変質しているから〈芸術〉もまた見えているほど「芸術」ではないのだ。芸術の空洞の拡がりが、あたかも現実の芸術のように感じられることだろう。つまり錯覚が芸術のようにして。

そうして芸術は衰退しながらも、芸術と闘うから。それだからこそ〈芸術〉を見分けるのは、ますます容易ではない。揺らぎ始めているとはそういうことだ。

2021/4/4 (日)

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美術折々_328

似てなくもない、ため息


春が来るまえの二月、僕は見ていないが NHK(総合TV)で、ドキュメンタリーセレクション『日本一長く服役した男』という番組が放送されたという。見た方もいるだろう。僕がこれを知ったのは、翌月の新聞に載った里見 繁(関西大学教授)の短い寄稿記事でだった。

日本一長く服役した「男」というのは、強盗殺人の罪で無期懲役の判決を受け 21歳からなんと61年余り服役し、2019年に熊本刑務所から仮釈放された人だ。服役期間は日本最長といわれる。だが、出所からわずか1年ほどで体調を崩し亡くなったという。受け入れ先の介護施設での生活は荒れ、入浴や食事も拒むこともあったようだ。

彼にとって「社会」での自由とは何だったのだろうか。いや困惑というか、この社会の一見「自由」という空気にすら馴染むことが出来なかったのかも知れない。

61年間という、ほとんど想像しがたい拘禁の時間。長い不自由と鋼鉄のような規律を繰り返し課せられた生活が、ひとりの人間を蝕んだものは計り知れない。「罪と償い」と簡単に言うことはできるが、しかし。

すでに82歳を超す老齢だったといえ、「復帰」すべき社会という対象さえ理解しがたかったのではないだろうか。「刑務所に戻りたいか」という質問に、「その方が私はええように思うね」と答えたという。長すぎた時間は「罪の意識」を、償いをどう抑圧し続けたのだろう。

哲学者の鵜飼 哲は『償いのアルケオロジー』の中で「償いは常に過剰でなければならない。償いが過剰でなければならないということは、逆に言えば復讐は常に過剰になるということでもある」といっている。

61年間も服役した男にとってその「償い」は、ここでは見えない無言の罰の重圧に心身を「復讐」されたとみることもできる。出所後の、自由であるという幻想と、不自由という現実のあいだに放り出されたのは彼だけではない。この私たちの現在の「自由と不自由」も、償いと復讐というものと遠く無縁である訳ではない。

なぜなら、ほとんどお金と利害の競合と調整の優劣によって日々は評価されているのだから。償いは能力の負債が利益への転嫁によって認められ、復讐は結果主義の自己責任として冷酷に下される。

はたして社会というものが、人間のよりよき居場所なのかどうか。だって社会しかないではないか、と言われるだろうか。それは私たちを生かし縛るものの別名でもある。社会に戻った、日本一長く服役した男の居場所は、この世のどこにもなかったのだろうか。

彼のほとんど非社会的生涯の82年余と、私たちの生涯現役という100年社会。比較するのも虚しいほどだが、そこに思わず吐きたくなるため息は、似てなくもない。



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