元村正信の美術折々|2016

明日なき画廊|アートスペース貘

2020/7/11 (土)

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美術折々_285

何も知らずなにも


1972年の小田律子。
若い小田夫妻が始めたばかりの喫茶「貘」の当時のカウンターの1ショットが出てきた。
絵にかいたような学生街の喫茶店そのものだった。
その4年後には、福岡市中央区天神3丁目に現在の「アートスペース貘」と「屋根裏 貘」をオープンさせる。
そこに小田律子がひとりで移り、歴代の若いスタッフたちとともにここを切り盛りし現在にいたるという訳だ。

しかし僕はこの写真を見て愕然とした。じぶんの記憶というものに。その不確かさに。
この笑顔が思い出せない、いや彼女のすべてを。
たしかに僕もそこにいて、その笑顔を何度となくこのカウンター越しに見ていたはずなのに。

それでもここにあるのは笑顔だけではない。
しっかりと遥か先を見つめる落ち着いて大人びたひとりの若者がいた。

僕はいまも変わらず小田律子を見つめている。ずっとこれまでその繰り返しだったのに。
ありていに言えば、彼女の苦も歓びもそして哀しみも見てきたはずなのに。
何も知らずなにも覚えてなどいなかった、というべきか。

でもこの写真が出てきたから。
僕はもう、1972年の小田律子の笑顔を忘れることはないだろう。
こうして思い出というものはある日始まるのだろうか。

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Tagashira ©︎

2020/7/8 (水)

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美術折々_284

空白の台座 あるいは 彫刻という平和


彫刻家・彫刻研究者の小田原のどか が、西日本新聞 7月2・3日付 朝刊文化面に『「平和」の彫刻をめぐって』(上・下)という文章を寄稿していた。

小田原は、長崎市の平和公園にある北村西望のあの「平和祈念像」を軸に、なぜそこに「平和」という名の様々な彫刻があり、そしてここでの「平和」とはいったい何を指すのか、なぜ人間が彫刻を必要とするのか、と問うている。さらに「長崎ほど過去との対話に適した場所はない。なぜならそこに彫刻がある。彫刻とはそのような問い直しをこそ、時間を超えて喚起するものである」という。

もちろん何も長崎だけが「過去との対話」に適している訳ではないが、なぜそこに彫刻は集中して設置されたのか。また平和への祈念としてなぜそれが「彫刻」でなければならなかったのかを考えるとき、私たちはこの一見平和にも見える現在からあの戦争へ、またそれ以前へと必然的に引き戻されることになる。戦争、植民地支配、原爆。そしてそれらを総括しているはずの「反省」の内実へも。

だとしても、なぜ ナガサキ にはそのいずれをも貫いてここに「平和」の標榜があり、またなぜそれに「彫刻」は直截に関わってきたのか。さらに今も公共空間の中に恒久的にあり続けるているのか。小田原は、昨年の「あいちトリエンナーレ2019」でも問題視された中のひとつ韓国人作家たちの「平和の少女像」(慰安婦像)をも引き合いに出しながら、平和という言葉が孕む虚偽を見つめ直そうとしている。

また小田原のどかは『群像』7月号に寄稿した『彫刻の問題』においてもその「平和祈念像」を中心に、そのような「彫刻の前で頭を垂れる必然性はどこにあるのか」と、さらにいっそう平和や祈念というものを批判的に問い詰めている。そしてまた別の彫刻においても、ある「台座」の上に設置された作品が 戦中には軍人像であったものが、敗戦後には女性の裸体像にすげ替えられたという事実にも言及している。私たちは、かんたんに〈戦後〉というがいったい何が変わったのか。つまり平和は戦争と地続きであり「ねじれ」たままこの平和と言われるものに接続されていることに、小田原は再考をうながしているのだ。

さらに彼女は、彫刻家・高村光太郎の『乙女の像』に寄せた詩にある「だまって立ってろ」という男性主体の言葉を「まったく反転させ」、女性であるじぶん自身に「裸婦像」そのものを重ね合わせながら、この奇妙なねじれを体ごと受けとめそれに応えようとしているのである。つまり自分の彫刻の問題としても、裸婦と軍人を否定的に同一化しようと試みるのだ。

以前、小田原は自らが編集・造本・発行した著書『彫刻 1』(トポフィル、2018)において、「唐突に断言しますが、彫刻は破壊されるときにいちばん輝きますよね」と発言していた。これは公共空間に据えられた彫刻が恒久設置されていることへの「恐怖であり抵抗なのかもしれません」と語っているように、ここにも「平和」の彫刻をめぐる偽善・欺瞞への不信があることは間違いないだろう。彼女が「彫刻は破壊されるときに」いちばん輝くというとき、小田原が彫刻というものへの破壊の衝動を、どこかに抱いているのではないかと僕は思う。

それは彼女自身が、彫刻家であることとなんら矛盾するものではない。日本という近代の「彫刻史」を貫いてきた記念碑・銅像→野外彫刻→台座の消失→偶像化という流れへの小田原の批判は、逆にこの国の彫刻のはじまりを問うことであると同時に、打ち倒すべき「空の台座」あるいは〈空白の彫刻〉への探求の回路を、みずからの手でまさに切り開いたと言っていいだろう。

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2020/7/5 (日)

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美術折々_283

ある窓を

美のために有用性を捨て去ることはいくらでもある。
ましてや利害とは何の関係もないのなら。

たとえ窓の形がどうであろうと、窓は内でも外でもない。
ただその間にあるだけだ。
だからといってその断面を見たいとは思わない。

さあ窓を捨て、窓をはずそう。
そして濃厚な飛沫を小さな胸いっぱいに入れよう。

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元村正信 @motomura_mano ツイッター 2020.07.04 より転載
http://twitter.com/motomura_mano



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