元村正信の美術折々/2021-02-28

明日なき画廊|アートスペース貘

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美術折々_322

じぶんのことでないのなら


ある喜びがあるとしよう
ある哀しみもあるとしよう
また苦しみもあるとしよう
それに憎しみもあるとしよう

たぶんそれらは誰にでもあったし
たぶんいまもあるに違いない

生まれたから小さいから若いから
大人だから老いているから死に瀕しているから
貧しいから金があるから善人だから悪人だから罪人だから

そのどれででもあるし
しかしそのどれでもないとも言える

でも待て 喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
すべて自分のものなのだろうか

いやまて そのどれを取っても
じぶんのものとは思えない
ということだけは言えるのだが

それらをあたかも
自分のことだと思い込んで来ただけなら
喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
じぶんのことでないのなら

じゃあだれのものだろう
ぼくの中の別のぼくのことなのか 
ぼくの中のあなたのことなのか
ぼくではないあなたのことか

それともあなたの中の
別のあなたのことなのか
あなたの中のぼくのことなのか

わからないけど 喜びも哀しみも苦しみも憎しみも
自分のことではない ということだけは分かる
そのことだけは わかるから
喜び哀しみ苦しみ憎しみが
見えてしまうのだ

まるでじぶんのことのように 感じてしまうので
だからじぶんのことではないと
いうしかない これはぼくの まったき錯覚だろうか

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