元村正信の美術折々-2019-11

明日なき画廊|アートスペース貘

2019/11/27 (水)

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美術折々_243

リスクアート

ミュージシャンのブライアン・イーノが以前ロンドンで行なった講演で、芸術や文化というのは個人が「かなり極端でどちらかというと危険な感性を体験するための安全な場所」を提供するものだと語ったというが( https://rockinon.com 2015.09.30)。その真偽は定かではないけれど、僕には芸術や文化というものがそれほど「安全な場所」とは思えない。それでも「危険な感性」の体験というのには、うなずけるものがある。

たとえば「危険」というものが、未来の価値の喪失や生存が否定される可能性を含むものであるのなら、
そしてそれは回避されるべきものであるなら。芸術はそのような価値の転覆や生存の危機や不確かさへの疑いとして決して「安全」を約束し実現しようとするものではないという意味で、みずから危険性を孕んでいるのである。だからイーノがいう「危険な感性」の体験とは、おそらくリスク(起こるかも知れない悪い事象の可能性)を恐れない未来への試み、勇気として理解できる。

ただリスクには、予測される危険と予測できない不確実性があるし、つねに「感性」は裸同然で無防備であるから、危険をたずさえた感性というものは危なっかしいものだ。しかし芸術というものが、既成の価値や既視感によって確定され定義されるものではなく、いまだ知られてはいないもの、未だ見ぬものによって初めて問われるものであるのなら。

芸術のリスクとは、損害損失の発生や善悪の可能性以前のものとして、より潜在的でなおかつ根源的ではないのか。もっと言えばリスクよりもハザード、危険の水源としての「芸術」という予兆。予定調和や同調の声とは程遠い、むしろ安全安心を揺るがすような感性の抵抗。

もし、リスクアートとでも呼べるものがあるとすれば、それはこの現実を揺るがずような危険をたたえた、
潜在的根源に端を発する芸術。それをここでは〈リスクアート〉と言っておこう。
やがて不測の危機と危険が訪れ歪曲されるまえに、何よりも未来に先んじて。

2019/11/23 (土)

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美術折々_242

真に擬人化されたモノ

きょうの晩秋の澄んだ空のように、本当にそらは真っ青に晴れ渡っていたのだろうか。
たとえば次々と仕事を奪われ続ける人間たちにとっても、そらは同じように青いのだろうか。
それは見えない汚染や微細な虚偽欺瞞にいろどられた青空ではないのか。
またそれは、この夜だっておなじことだろうけれど。

人間のいとなみを効率化すればするほど、人間は不要になっていく。
だれもがじぶんの意志で生まれた訳ではないが、もしそれ以前の意志によって
こどもが必要とされないのなら。彼らはどう生まれればいいのだろう。

あと120年もすれば、推計では15歳未満の日本の子供は限りなくゼロに近づいていることになる。
生涯現役、人生100年時代とは、仕事も出生も奪われ続け残された人間たちが、過剰ゆえの
不老不死によって死に切れないまま老いていく時代の、生活の労働の虚しい指標なのである。

仕事も人間も不要で、必要な仕事と人間とはだれなのか。それはまさに真に「擬人化」されたモノを操る
「新しい人間」たち。これは比喩ではない。いや、もはやそれを人間と言っていいのだろうか。

ではその時、必要でない芸術と必要な芸術があるのか。もしあるのだとしても、それは一体だれが決めるのか。
じゃあだからといって、すべての芸術が必要であろうはずもない。だって、すべてが芸術ではないから。

しかし、「芸術ではない」ということは大事なことだ。なぜななら、そのことが逆に「芸術」というものがある
ということを暗示するからである。それでもそれを「芸術」と一体だれが言い切れるのだろうか。

未来の芸術もまた、「擬人化」されない保証などどこにもない。真に擬人化されたモノたちが作る芸術。
いやもうそれを芸術とよぶ必要もないのかも知れない。芸術の、人間の不在とは、「人間」がいないのではなく
真に擬人化されたモノによって、この世界が覆い尽くされている光景なのではないだろうか。


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2019/11/17 (日)

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美術折々_241

元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(5)

じぶんの作品をひとに「説明」するというのは、以外とむずかしいものだ。たとえ深遠なテーマや詳細なコンセプトを持った作品であったとしても、それを端的に説明すればば分かるのだろうか、伝わったといえるのだろうか。説明というのは、どうしても分かりやすさがいる。よくあるギャラリートークやアーティストトークもそうだろう。

分かりやすく言おうとすれば、何かが抜け落ちてしまう。だからそのようなとき僕は作品そのものを説明しようとするではなく、じぶんの言葉を重ねるように、あるいはずらすようにして作品が持ついろんな部位を抜きだし、そこから語ろうとすることによって、見て頂くかたに作品の全体像を思い描いてもらおうと心掛けているのだが。どうだろうか。

じつは数年前から僕の個展を見てくださっている北九州市の画家、安倍義博氏が今回の僕の個展を、ご自身の
ブログ『安倍義博の展覧会ギョウシ!』で取り上げて頂いた。安倍さんはブログのタイトル通り、まさに作品を「凝視」する人だ。ああでもこうでもないと、いろんな視点から作品を解きほぐそうとする。まだ一度も安倍さんを前にして、僕はじぶんの作品について語ったことはないのだが、安倍さんは自由自在に自身の想像と絵画への豊富な知見を駆使して読解しようとしてくれる。

僕には、彼の言葉によって追い詰められている、そんな強迫観念がいつもある。それほど彼の指摘や読みは鋭いのだ。もちろん安倍さんは画家であり、批評家ではない。でも彼特有の眼差しは、独断でありながら正鵠を射抜いているところもある。僕の作品をこのように読み、言葉にしてくれる方は、なかなかいないのである。
よかったら一度、読んでいただきたい。よく言われる元村正信の、作品の分からなさや不穏というものが、少しは解かれてくるのではないだろうか。

https://ameblo.jp/jigyaku-teki/

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2019/11/12 (火)

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美術折々_240

元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(4)

11月10日、ことしの個展も終わった。わざわざお越し頂いたかた、そしてお会いできなかった多くの方にもこの場をかりてお礼を申し上げます。いつものように、夏の宿題をひとつ片付けられたようで、いまは安堵している。

1975年の東京・田村画廊での初個展からもう44年がたつ。その半分の20年以上、ほとんど毎年、ここアートスペース貘を拠点に個展をしてきた。福岡という日本のいち地域に引きこもり、そこから一歩も出ることなく
ずっと制作を続けてきた訳である。かつての前衛芸術集団「九州派」のような、中央対地方という図式はとっくに僕にはない。ただおおくの衰退や崩壊を見てきた。いやそれは今も、やむことなく続いている。

1995年を前後とした時代の転換期は、日本においても「現代美術」の崩壊をもたらした。それ以後の、いわゆる芸術のアート化である。ここ福岡においてもそれは例外ではない。そんな中で、一人で制作をし発表を続けて
これたのは、何よりまず「アートスペース貘」という場所が何ひとつ変わらず、すぐそばにあったからだ。
まえにも書いたように、1976年のオープン以来、古ぼけたビルの2階に、43年間も続いてきたのである。

それは僕の幸運だった。まさに同時代をともに歩んでこれたのだ。ただ僕のように引きこもり閉じこもり外れた生き方が、これからの若いひとたちの手本になる訳ではないし、勧めもしない。福岡が、東京が、日本が駄目ならそとへ、海外へ出ていけばよいのだから。この国など捨てればよいのだ。

いま、芸術もまた崩壊しようとしている。いや未来があるではないか、と言われるかも知れない。たしかにまだ見ぬものが、いまだ生まれてはいないものがある。だが、これから生まれてくるであろう人たちに、はたして芸術は必要とされるのだろうか。もし必要とされる「芸術」がありえるとしたら、それはどんなものだろうか。

商品でもビジネスでも消費でも、たんなるツールでもスマホでもネットでもない、つながりでも友だちでも生活でも、名誉でも金でも地位でもない「芸術」とは何なのか。そんな「芸術」は、はたして必要とされるのだろうか。あるのだろうか。だれがそれに応えてくれるのだろう。

僕が言っているのは、過去の偉大な古典作品や芸術遺産の賑わいや再帰なんかではない。現在であり未来の「芸術」というもののかたちなのである。何が芸術で、なにが芸術ではないのか。マルクス・ガブリエルが『私は脳ではない』(講談社)といったように、もし「私は芸術ではない」と近い未来に、いや明日にでもだれかが宣言したとしたら、そう宣言した者こそ、きっと「何が芸術か」を語ってくれることだろう。そう期待したい。

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▲元村正信「抗い結晶するわたしたちの」2019より

2019/11/9 (土)

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美術折々_239

元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(3)

前回、板壁にかけた今回の個展作品のひとつ(P3)を紹介したが、じつは昨日、貘のオーナーの小田律子さんが急にギャラリーのなかに展示したい、と言い出し写真のように白い壁に掛け直された。僕はその場にいて、
小田さんの有無を言わせぬ思いつきというか即断に圧倒されたまま、ご覧のような写真になったしだいである。

たしかにスポットもあたって作品も浮き立つ。ながくアートスペース貘で何度も発表をしてきたが、個展も終盤にしてこんな作品の移動は初めてである。でも小田さんは一体何を思ってそうしたのだろうか。

僕は一切何も聞かず彼女にまかせたのだった。画廊のオーナーというのは、作家以上に展示された作品を見つめる時間がある。一日中、そして毎日みている訳だから。板壁から白い壁へ、作品は動いた。作品そのものは何も変わらないのに。

もしこの作品を「二つ」見た方がいるなら、小田さんにその良し悪しをつたえてほしい。
彼女はきっとまず、いたずらっぽく笑うことだろう。
もう明日はエンディングだ。


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2019/11/5 (火)

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美術折々_238

元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(2)

下記の写真は、板壁にかけた今回の個展作品のひとつ(P3)。貘をご存知の方ならおわかりだろうが、貘の入口正面のこの板壁は左のアートスペース貘と右のカフェ、屋根裏 貘とをつなぐ、いわば貘のフロントギャラリーにあたるところだ。アートスペース貘関係のDMをはじめ、福岡や国内各地のギャラリーから届いたDMが所狭しと貼られている。

つまりギャラリーのそとにあるからスポットもないし、作品があっても一瞥されやすい場所だが、僕はいつも個展の時には、ここに1点掛けている。そしてそのずっと左上には、1976年12月の貘オープン時の告知ポスターが貼られ、日頃は誰からも気づかれずに43年前からずっとそこにあって、多くの人や客の出入りを見つめてきたという訳である。

でも「誰からも気づかれずに」というのには嘘がある。見るひとは見ているだろうし、気づいてもいるはずだ。「作品」というのもそういうものだ。だれかが何かに気づいていると、僕はいつもおもっている。そう、あれから43年だ。


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2019/11/4 (月)

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美術折々_237


描きたくない、という感情

こうして個展も始まって、じぶんの作品というものに少しばかりの距離を取れるようになると
またいつもの変な思いが沸き上がってくる。それは、もうこんな面倒なことはしたくない、という思いだ。
もっと言えば、これ以上のものを描こうとしたくない、望みたくないという奇妙な拒否感が首をもたげてくる。

なぜだろう。よく分からない。これは、じぶんの諦念からくるものなのか
それともこの現在に対する僕の異和からくるものなのか。

絵画という形式が、なおも可能なのかそれとも不可能なのか、そのどちらでもあるにせよ、「絵画」はその
形式の内にしかない。だからと言って確たるものはないのだが。ただ「描きたくない」というじぶんの感情の、
まっすぐな高ぶりは一体何なんだろう。描きたくないのなら、やめればいいと人は言う。その通りだ。

だが描くということには、描かないことがつねに張り付いている。描かれた絵画には、おおくの描かれなかったものが潜んでいるのである。どうやら僕の「描きたくない」という感情には、絵画によって否定された
〈絵画ならざるもの〉の声が渦巻いているのかも知れない。

それらの声が、なおも僕を掻き立てる。逆説的だが絵画とは、絵画ならざるものが反転した痕跡なのだ。


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