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美術折々_195
伐採地から
この裸の土地の中で唯一の。
渇き切った双子の樹木だけがずっと夜のともだちだった。
彼らが刻む影は、僕にそっくりだった。
いや僕じしんの影が、彼らだったのかも知れない。
なぜ、日々というものは。
これでもかこれでもか、というほどリアルな虚偽と欺瞞が。
おおくの罪のない影までをも踏みにじるのか。
きょうはその証拠のひとつとして、この写真を。
高貴な方々に差し上げようと思う。
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美術折々_194
そこのあなた
かねがね読んでいるブログ。思想家・森崎 茂が久し振りに更新した『歩く浄土』250(2019年2月10日付)の長い文章の中にこんな言葉があった。それは小説家・島尾敏雄の文学について触れたものだ。
「彼の文学もまた解けない主題を説けない方法で書かれてきたのではないか。はたして書かれる必然性はあったのか。なかったと思う」とまで、森崎 茂は言い切っていた。すでに『死の棘』ほかで高い文学的評価を得ている島尾敏雄ではあるが、僕にとっては身につまされるものがある。
それをすぐさまこう言い換えてみよう。僕にとって絵画は、「描かれる必然性はあるのか」。本当に「描かれるべきことが、描かれているのか」と。そのことに応えていない絵画など、なんの意味があろうか。これは絵画の内容や形式を問う以前の問題なのだ。当然ただイメージの湧くままに手が動くままに、素材に任せるだけで芸術が美術が絵画が、成り立つ訳ではない。たとえ仮にそれが、芸術だと言われようとも。
そして僕の絵画もまた、「解けない主題を説けない方法で描いているのではないか」と自問してみるのである。森崎 茂は同ブログの中で、島尾敏雄の長男・島尾伸三(写真家)のこんな言葉も引いている。
「そこのあなた」、「膨大な量の本が口を開けて人の魂を吸い取る世界に、父は呑み込まれていたのです」。
伸三はこうも言う「芸術や表現がそんなに大事だなんて」。ここでも、僕は再び身につまされるのである。
〈そこのあなた〉とは、もちろん僕のことでもあるのだ。なんの屈託もなくただ描くことができるのは幼児の頃のことであり、芸術という意識すらない「絵」のことだ。だから私たち大人が芸術というものを、そんな「大事」なこととして表現し問題にし言うからには、やはりどうしようもない痛切さがなければならないだろう。
自他ともに、くれぐれも「芸術」に呑み込まれることなきよう。しかしそんな芸術も、今では心もとないが。
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美術折々_193
問い詰めるもの
いまでは「絵画」というものは、人間が画家が描くだけのものではない。AI(人工知能)にだって描けるものとなった。それでも何が絵画で、何が絵画ではないのか。この両者を分け隔てるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。どんな誰が、モノが、描いても絵画になり、また描かれていない空白さえ絵画になりうるとしても。
その「作品」と言われるものがどれほど傑作といわれ、あるいは駄作といわれようと。突き詰めればおそらく、〈絵画という形式〉しか残らないのではないだろうか。絵画という〈形式〉を喪失したところに、なおも〈絵画〉はありうるのだろうか。
絵画は、ただ「描き、描かれたもの」によって成り立つのだ、その「内容」なのだと言われるかも知れない。だが、それを支持し沈殿させるものこそ絵画という〈形式〉なのだから。だからこそ形式は「描く」ということを、たえず問い詰めているのではないだろうか。
「描くこと」のみを、盲信してはならないのだ。
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美術折々_192
脱出口
外へ出れると見えたものが、じつは入口だったかも。
高付加価値化、差別化を競いながらその先に待っていたのは同質化、一般化だというのなら。
いったい私たちは、誰と競い合っているのだろうか。
こんな時、私たちの不確かな「美意識」というものは、そんなに頼りになるのだろうか。そこで「アート」が必要とされ役に立つのなら、それは道具化され切ったアートの未来なのかも知れない。
巧利的な戦いのための「美意識」のトレーニングジム。
なんとエリートというものは、高貴な階級なのだろう。
「美意識」しかり。そのように要請される「アート」は、どこまで無自覚でいられるのだろうか。
美といい、芸術の同質化ほど笑止なものはない。
あしたの「芸術」が、グローバルな “自己実現欲求市場” の小さな生け贄にならないという保証は、おそらくこの世界のどこにもないだろう。
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美術折々_191
しかしどこへ
どこからか、だれかが、何かを叫んでいる。それが母語なのか、もしくは人間のこえなのか。
でもこの耳には、たしかに届いているのに。見えない。わからない。わからないままに。
そうやって、おそれわからないまま朝を迎えた。それでもまだ何かを叫ぶものがいる。
それは訴えなのか、何かの知らせなのか、予告なのか、通告なのか、わからない。
わからないままに、すぐさま夜さえ戻って来た。まだ朝だと言うのに。
まさかこれが最後の伝達なのか。夜と朝が重なり合って狂おしく叫ぶ。
いまたしかに「ニゲロ!」と聞こえた。しかしどこへ。どこにその場所があるというのだろうか。
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美術折々_190
幸福の丘という響き
中国出身で韓国・ソウルを拠点に活躍する映画監督チャン・リュルの新作『福岡』が、2月7日から開催される第69回ベルリン国際映画祭 フォーラム部門に公式招待されワールドプレミアムで初公開される。
この映画はタイトルのとおり福岡の街を舞台に、昨年3月末から4月初め迄13日間滞在し、福岡市内の西中洲、天神、大名界隈などで、台本なしで撮り上げたという作品だ。二人の中年男(クォン・ヘヒョとユン・ジェムン)が、親友だった大学時代に女を巡る絶交を経て20年振りに福岡の居酒屋で再会する。そこに一人の若い女(パク・ソダム)が絡みながら、彼らの過去の行き違いからわだかまったままの現在へと至る隔たりが、少しづつ解けていくという話。
チャン・リュル自身が、韓国と福岡を行き来するようになってすでに10年以上が過ぎたという。
彼がここ「福岡」をどのように見てきたのか、おそらくこの映画を見れば分かるだろう。それがたんなる “ご当地映画” か、それともロードムービーならぬ極東の片隅で見い出された「ストリート」ムービーになり得るか。
じつはこの作品の中で「屋根裏貘」も使われている。親不孝通りでも撮影されたが、「貘」はチャン・リュルも気にいっている空間のようだ。しかしなんとも無残なのは、現在の親不孝通りである。昨年7月のポプラ並木の伐採から今年1月の新たな舗装の完成までを、チャン・リュルは知らないはずだ。少しよごれ気味で年季の入ったでこぼこの舗道と、雨の水溜りに映る大きなポプラ並木越しの光と影もすべて消え失せ、ただ真新しいだけのフラットで何の魅力もない歩道になってしまった。夜のよごされ方だけは、それでも変わらないが。
いったい何が「明るく開放的になった」というのだろうか。たしかに平らで歩きやすくはなった。でもなぜ、
樹齢を重ねおおきく伸びどっしりとした街路樹がつくる陰影や表情を、残し活かせなかったのか。都市計画
というものの、誤った “ 未来図 ” が悔やまれる。いまのこの殺伐と乾いた通りを、チャン・リュルが見たら
何と言うだろうか。こんな通りを絵に使おうとしただろうか、映画に撮っただろうか、と僕は思う。
とにかく無残としか言いようがない光景が広がっているのが、味も素っ気もない現在の親不孝通りなのだ。
チャン・リュル監督が、「幸福の福に、岡(丘)という響きが美しい」と語ったという「フクオカ」は、この街は通りは路地は、はたしてその響きに値する都市となり得ているのだろうか。親不孝通りもまた、それは幸福ではなく「親不孝」以上に、どこか “ 不幸 ” という名の響きを帯びた通りになろうとしてはいないだろうか。
※ 映画『福岡』は9月の「2019アジアフォーカス・福岡国際映画祭」でも上映が予定されている。
▲ 屋根裏貘にて、オーナー 小田満・律子夫妻とチャン・リュル監督
(2017年11月のロケハンで)