元村正信の美術折々-2020-07

明日なき画廊|アートスペース貘

2020/7/26 (日)

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美術折々_288

では日本における「芸術」も不可欠なのだろうか


「芸術とは、人間の生存という根本的な問題に向かい合う上で不可欠なものであり、特にいまのように、確実性が崩壊し、社会的基盤の脆さが露呈し始めている時代には欠くことのできないものである」と、モニカ・グリュッタース(ドイツ連邦政府 文化・メディア大臣)はいう。

またドイツでは「何事にも関心を持ち、想像力と旺盛な実験的精神に満ち、矛盾を突き挑発することで、公共の言説に活気を与え、民主主義を政治的な無気力感や全体主義への傾向から守る人々、それが芸術家だ」という確信とそのような芸術家への信頼があるからだとも。ただこれは何も芸術家に限ったことではないし、すこし理想が過ぎるかも知れないが。

それでもここで言われているのは、少なくともドイツにおける芸術家の「役割」や「機能」などといったものではない。それは「日本のアート」の、あるかなきかのような作品や議論に絡みつく「アート有用論」などとはまったく異なる〈芸術の生存〉の次元のことであり、国家が示している芸術家像なのである。

僕は4月のこのブログでも『生存権としての芸術』について少し触れ、その中で「ドイツ憲法は、基本法 5条3項において『芸術および学問の自由の保障』として規定され、芸術の存在が明確に位置付けられている」と書いた。そして「私たちの日本国憲法上では一語の文言もなく『保障』もされてはいないこの国における〈芸術〉の寄る辺なさを思うとき、文化的=最低限度の生活に見い出されるべき《芸術的生存》は、いまだ未明の不確かなものとして放置されたままなのである。『事の本質』はそこにあるけれど」とも書いた。

ドイツにおける「芸術の保障」の有りようと、日本における「芸術の保障されなさ」は比較にならないほどのひらきがある。僕たちは今回の新型コロナウイルス感染にともなうドイツ連邦政府によるフリーランサーたちへの数十億ユーロともいわれる緊急生活支援策と、この国のわずかな支援策や金額とを比してもどうにもならない。

だから僕は日本における「芸術」の生存をも、あえて日本国憲法第25条の〈生存権〉つまり「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるそのすべての「国民のなか」に芸術の生存を、法的最低限度の「生存」の根底に見い出そうとし、また位置付けようと試みたのだ。

だがいまさらドイツという国の成熟をうらやんでも仕方ない。ドイツよ笑うなかれ。これが日本の現状なのだ。
なんの身分の保障もない日本の「芸術家」という曖昧さ。それでもアーティストと称するものたちは、そしてアートに関わろうとする人たちはそれを嘆くまえに、人間の生存と自らの《芸術的生存》の根拠をこそ示してほしいものだ。
もちろん僕も含めてだが。

https://www.goethe.de/ins/jp/ja/kul/mag/21930923.html

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2020/7/21 (火)

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美術折々_287

世界は一変したのだろうか


あるひとが「社会に貢献しない人間が社会で自由に生きて何が悪い」と思います、そして
「社会のために人間があってはならない」ともつぶやいていた。

自由がかんたんではないにしても、僕もその通りだとおもう。どこまでも人間あっての社会であり、
間違っても社会あっての人間ではない。ではアートはどうだろう。
なぜこれまであれほど、社会とのつながりを望み、関係を持とうとし社会化してきたのか。

1998年にニコラ・ブリオーが発表した『関係性の美学』に端を発したとされる「リレーショナル・アート」。
いわゆるソーシャリー・エンゲージド・アートの影響はいまだ強くある。だからその流れを追随してきた
アートの世界も新型コロナウイルスによるパンデミックを境に、それ以前と以後とでは後戻りできないほどの
変質を余儀なくされたのだろうか。アートは一変したのだろうか。

ここで再びアドルノを呼びだそう。アドルノは言う。
「芸術にとって本質的な社会的関係は、芸術作品のうちに社会が内在していることであって、
 社会のうちに芸術が内在していることではない」、
「芸術自体の社会的本質は芸術にとっても隠されたもの」(『美の理論』河出書房新社、2007)
 にすぎないということだ。
つまり芸術にとって「社会」というのは、つねに芸術の内に潜在しているいうことだ。
芸術というものは、すでにそういう社会を内包しているのである。

あるひとがつぶやいていた言葉は、そのままアドルノが語った芸術と社会との関係にも当てはまる。
社会のために芸術があるのではない。社会のために芸術があってはならないと。これは現在でも生きている。
新型コロナによって「芸術」も変質するというのなら、それは社会に貢献し「社会のために」あったアートで
あり芸術のことだろう。もし芸術のうちに社会が内在しているのなら、そのような作品はそうたやすく変質する
はずなどない。それでも作品はたえず改まる。また芸術の概念は更新されながら、未来に芸術は孕まれるのだ。

もちろんリモートやオンライン化といったソーシャル・ディスタンシングによって、見る・聞く・読む・
演じることに関わる素材、手法や技法そしてその場所はさらに流動し多様化するに違いない。
でもそれが「社会のために」表現が人間が変わらねばならないのなら、それは進化という名の錯覚だろう。
やはり人間の未来のために社会は変わらねばならないはずだ。

はたしていまの新型コロナウイルスによって「この世界は一変した」のだろうか。
またあるひとが「コロナでも人はうなぎに並ぶという真理を得た」というのは、確かにうなずける
きょうは変わらず土用の丑の日。

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2020/7/15 (水)

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美術折々_286

その気にさせてくれるもの


一瞬にして話題となりそして風塵のように去っていった『盗めるアート展』( 7月10日- 東京・品川区荏原の same gallery )。ネットはもとより新聞、TVにまで取り上げられた同展は、出品作品を買うのではなく、来場者が自由に即持ち帰ることのできる展覧会として企画された。

セキュリティは置かず、24時間無人で営業し「全作品が盗まれ次第展示は終了」とする予定だった。
まだことし3月にオープンしたばかりの新しいギャラリーの試みだ。

むろん「盗める」といっても、だれでも無料で持ち帰ることができる趣旨なので何も盗んだことにはならない。企画意図としては、既存のギャラリーや美術館における守られた空間と作品との関係を再考し、「アートのあり方を違う角度から考えること」にあったという。僕はけして悪くはないアイデアだと思った。

だが開けてみれば、オープンの午前0時まえにはすでに20〜30代の若い「観客」を中心に約200人が殺到し、作品は瞬く間に残らず持ち去られたという訳だ。詰め掛けた人が溢れ、深夜ということもあって近所からの苦情や交通の妨げにもなり警察まで出動という事態に。こうなるともう鑑賞や作品がどうのこうのと言う問題ではなくなる。持ち去られた「作品」はメルカリで転売までされているという。法的には窃盗品でも買ったものでもないから「転売」というのも変な話しなのだが。

ひとつには、『盗めるアート展』というタイトルのシャレが効いていたから、このような結末になったことはあるだろう。そしてまた押し寄せた観客は、アートや作品への関心よりも「盗める」という響きにエンターテイメントや発散性を感じたのかも知れない。一部にはハロウィンのように仮面や仮装をしていた観客もいた。

ではこの展覧会が「アート」のあり方に波紋を投じたかといえば、そんなことはかったはずだ。むしろアート以前の、人間というものの心理的抑圧や逆に蕩尽の矛先がときにこのような形を取って露わになったというべきか。僕はその時、コンビニを思い浮かべた。そしてもしコンビニに「全品無料の日」があったならと。

そうなのだ。きっとこの『盗めるアート展』と同じように、客は殺到しあっという間に全品持ち去られるに違いない。僕はそれこそ「アート」になるのではないかと思うのだ。そしてこれらの品もまた、いくつもメルカリで転売されることになろう。もちろんそれらが商品か作品かはまったく関係ない。タダのモノとしてどこかに流れるだけである。過剰なほどの商品が、ゴミのように溢れる作品が、蕩尽される一瞬のプロセスあるいは瞬間そのものとして。

そこにもし「価値」があるとすれば、それは瞬間の出来事あるいは愉快な楽しみの他に何があり、なにが残るというのだろうか。何も盗んではいないのに、なにか盗んだような気にさせてくれる。「アート」はその程度の体験、パフォーマンスとしても売り出され盗まれもする時代、ということになるのだろうか。

2020/7/11 (土)

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美術折々_285

何も知らずなにも


1972年の小田律子。
若い小田夫妻が始めたばかりの喫茶「貘」の当時のカウンターの1ショットが出てきた。
絵にかいたような学生街の喫茶店そのものだった。
その4年後には、福岡市中央区天神3丁目に現在の「アートスペース貘」と「屋根裏 貘」をオープンさせる。
そこに小田律子がひとりで移り、歴代の若いスタッフたちとともにここを切り盛りし現在にいたるという訳だ。

しかし僕はこの写真を見て愕然とした。じぶんの記憶というものに。その不確かさに。
この笑顔が思い出せない、いや彼女のすべてを。
たしかに僕もそこにいて、その笑顔を何度となくこのカウンター越しに見ていたはずなのに。

それでもここにあるのは笑顔だけではない。
しっかりと遥か先を見つめる落ち着いて大人びたひとりの若者がいた。

僕はいまも変わらず小田律子を見つめている。ずっとこれまでその繰り返しだったのに。
ありていに言えば、彼女の苦も歓びもそして哀しみも見てきたはずなのに。
何も知らずなにも覚えてなどいなかった、というべきか。

でもこの写真が出てきたから。
僕はもう、1972年の小田律子の笑顔を忘れることはないだろう。
こうして思い出というものはある日始まるのだろうか。

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Tagashira ©︎

2020/7/8 (水)

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美術折々_284

空白の台座 あるいは 彫刻という平和


彫刻家・彫刻研究者の小田原のどか が、西日本新聞 7月2・3日付 朝刊文化面に『「平和」の彫刻をめぐって』(上・下)という文章を寄稿していた。

小田原は、長崎市の平和公園にある北村西望のあの「平和祈念像」を軸に、なぜそこに「平和」という名の様々な彫刻があり、そしてここでの「平和」とはいったい何を指すのか、なぜ人間が彫刻を必要とするのか、と問うている。さらに「長崎ほど過去との対話に適した場所はない。なぜならそこに彫刻がある。彫刻とはそのような問い直しをこそ、時間を超えて喚起するものである」という。

もちろん何も長崎だけが「過去との対話」に適している訳ではないが、なぜそこに彫刻は集中して設置されたのか。また平和への祈念としてなぜそれが「彫刻」でなければならなかったのかを考えるとき、私たちはこの一見平和にも見える現在からあの戦争へ、またそれ以前へと必然的に引き戻されることになる。戦争、植民地支配、原爆。そしてそれらを総括しているはずの「反省」の内実へも。

だとしても、なぜ ナガサキ にはそのいずれをも貫いてここに「平和」の標榜があり、またなぜそれに「彫刻」は直截に関わってきたのか。さらに今も公共空間の中に恒久的にあり続けるているのか。小田原は、昨年の「あいちトリエンナーレ2019」でも問題視された中のひとつ韓国人作家たちの「平和の少女像」(慰安婦像)をも引き合いに出しながら、平和という言葉が孕む虚偽を見つめ直そうとしている。

また小田原のどかは『群像』7月号に寄稿した『彫刻の問題』においてもその「平和祈念像」を中心に、そのような「彫刻の前で頭を垂れる必然性はどこにあるのか」と、さらにいっそう平和や祈念というものを批判的に問い詰めている。そしてまた別の彫刻においても、ある「台座」の上に設置された作品が 戦中には軍人像であったものが、敗戦後には女性の裸体像にすげ替えられたという事実にも言及している。私たちは、かんたんに〈戦後〉というがいったい何が変わったのか。つまり平和は戦争と地続きであり「ねじれ」たままこの平和と言われるものに接続されていることに、小田原は再考をうながしているのだ。

さらに彼女は、彫刻家・高村光太郎の『乙女の像』に寄せた詩にある「だまって立ってろ」という男性主体の言葉を「まったく反転させ」、女性であるじぶん自身に「裸婦像」そのものを重ね合わせながら、この奇妙なねじれを体ごと受けとめそれに応えようとしているのである。つまり自分の彫刻の問題としても、裸婦と軍人を否定的に同一化しようと試みるのだ。

以前、小田原は自らが編集・造本・発行した著書『彫刻 1』(トポフィル、2018)において、「唐突に断言しますが、彫刻は破壊されるときにいちばん輝きますよね」と発言していた。これは公共空間に据えられた彫刻が恒久設置されていることへの「恐怖であり抵抗なのかもしれません」と語っているように、ここにも「平和」の彫刻をめぐる偽善・欺瞞への不信があることは間違いないだろう。彼女が「彫刻は破壊されるときに」いちばん輝くというとき、小田原が彫刻というものへの破壊の衝動を、どこかに抱いているのではないかと僕は思う。

それは彼女自身が、彫刻家であることとなんら矛盾するものではない。日本という近代の「彫刻史」を貫いてきた記念碑・銅像→野外彫刻→台座の消失→偶像化という流れへの小田原の批判は、逆にこの国の彫刻のはじまりを問うことであると同時に、打ち倒すべき「空の台座」あるいは〈空白の彫刻〉への探求の回路を、みずからの手でまさに切り開いたと言っていいだろう。

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2020/7/5 (日)

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美術折々_283

ある窓を

美のために有用性を捨て去ることはいくらでもある。
ましてや利害とは何の関係もないのなら。

たとえ窓の形がどうであろうと、窓は内でも外でもない。
ただその間にあるだけだ。
だからといってその断面を見たいとは思わない。

さあ窓を捨て、窓をはずそう。
そして濃厚な飛沫を小さな胸いっぱいに入れよう。

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元村正信 @motomura_mano ツイッター 2020.07.04 より転載
http://twitter.com/motomura_mano

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