元村正信の美術折々-2018-12

明日なき画廊|アートスペース貘

2018/12/31 (月)

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美術折々_184


抵抗する感性の結晶を


この一年、『元村正信の美術折々』を見ていただき、
読んでいただき本当にありがとうございました。
お礼申し上げます。

僕はつねづね異端や異質、異形であることは、芸術に
おいては真正の証しであると考えているので、そのことで作品やその仕事が疎外されるというのはまさに蔑視だと思っています。

これからますます芸術は無化されて行くことでしょう。この芸術なき時代の「芸術」は、一体どのような相貌をもって現れるのでしょうか。それは哀しみでありまた楽しみでもあると、ひとまず言っておきます。

さてさて2019年が、すでに明日からのことなのですが。この耐え難いほどの虚偽と欺瞞に溢れた現在と
そして未来に、どう抗ってゆけるのか。抵抗する感性の結晶を、見てみたいものです。
どうぞ、より良い年になりますよう。

2018/12/25 (火)

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美術折々_183


芸術への離脱


ますます美術も芸術も遠く古典にありて想うもの、といってみたくもなる自覚なき現在の芸術の衰弱ぶり。
その一方で、空洞だけが流通するようなアートが賑わってやまない。完全自由化されたこのグローバルで強大な市場原理や経済原則によってのみ価値評価され流用される「表現」ばかりが、そうやってもてはやされ拡大していく。これが芸術の拡大、拡張、拡散の果てにたどり着いたものたちの華やかな光景というものなのだろうか。

どうしてもそんな現在に異和を抱く僕のような人間にとっては 詩人 パウル・ツェランが 58年前、1960年に『子午線』と題する自らの講演のなかで語ったあの言葉が、なおも鋭く迫る。
「芸術を拡大する? いいえそうではありません。むしろ、芸術をたずさえて、もっとも緊密に自分のもので
ある道を進め、そして自分を離脱させよ、なのです」。

たずさえて、離脱させよ、と。
私たちはいまだ、ツェランが言うように〈迷い込んだ目のなか〉にいる。ここで目を「芸術」と言い換えても
いい。内部、その迷いの渦中にいながら、それをたずさえて離脱させよ、というこの難問。そこには問われる
べき「芸術」こそが、現実を非現実的に超克することができるかも知れない〈異質なもの〉としての、唯一の
望みが語られているように僕には思われる。
 
フィリップ・ラクー = ラバルトが、ツェランを読み解きながら、「異質性をたえず『異質化』しつつづける
もの」、「いかなる支えもなしに、支えている」と言った〈芸術〉というものの核心。結局、私たちは芸術の
拡大、拡張、拡散の果てに、芸術をアートの名においていっそう曖昧にすることはできたが、はたして芸術を〈芸術へと〉飛躍、離脱させ得たといえるだろうか。

逆に、芸術から解放されたアートは、新自由主義に符号するようにグローバルに膨張してきた。
1995年、国際資本が国境を自由に越えることが可能になったように、芸術もまた芸術なき自由化の時代に突入したのだった。それが「現代美術」崩壊後の、この20数年間の芸術の皮肉な成果だったのである。
「現代美術」の崩壊を、否定的契機にできなかった芸術というものの負債。

だがそれでも芸術には、まだ見ぬ〈芸術へと〉離脱しょうとするその不可能性に向けて、だれ知られることなくこの世界のどこかで、ひとり孕まれているものがあるのではないだろうか。

やがて2018年も暮れて行く。だからといって、たとえ一夜が明けたとしても2019年が劇的に変わる訳では
ない。そう、またしても悲惨、惨劇として世界は日々明けては暮れることだろう。それでも私たちは、ほんとうに悲劇を待ち望んではいないのだとしたら、いつかぜひその知らせをこの耳で聞き、この目で見たいものだ。

2018/12/21 (金)

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美術折々_182


[美術番外編] 例の片側空け


近年いっそう、駅などのエスカレーターで「危険マナー」と啓蒙告知される例の片側空けと空き側の歩行。
じつは僕もそのひとりなのだが。たしかに転倒、転落事故防止や体の不自由な人への配慮をというのは当然だし、そもそもエスカレーターは歩いて昇降することを想定していない、というのも分かる。これまでの長年の経緯はあったにしても。でもなぜ駅側の呼びかけにもかかわらず、なかなか改善されないのか。

これはどう見ても、私たち病う現代人の、群れと個を巡る関係の一端なのだ。つまりそれは人と人との間の距離の取り方、警戒心の表れなのではないだろうか。想像してみよう。見ず知らずの他人同士がエスカレーターの上から下までじっと立ったまま横二列に並んで運ばれている落ち着かない光景を。

いつの頃からか私たちは徐々にこのわずかな時間でさえ、その距離の近さを、避けようとしてきたのではないか。ましてや長い時間の横二列。つまり二列への抵抗や違和感は、やがてズレを生み交互に一人乗りになり、
そしてその隙間を縫って先を急ぐひとは駆け上がるようになり、段々と片側空けになったというのが、僕の勝手な見立てだ。

一人でいられる「片側空け」の生理と、忙しく急いでいる人にとっての階段より早い「空き側の歩行」の合理がここで一致する訳だ。いまとなっては永き「二人乗り」のこのエスカレーターの構造がわざわいしているのである。かつてあの、デパートのエスカレーター上に他人同士が隙間なく連なって昇降していた混み具合は、いま思うとむしろその方が異常な光景だった気もする。じゃあ、どうしたら解決するのか。

究極の解決策を単純に言ってしまえば、すべてのエスカレーターを順次「一人乗り」に転換していくことだ。
現に僕の家の最寄りの地下鉄駅では一人乗りのエスカレーターもある。大きな駅では、この一人乗りを何本も
平行して上下方向に設置しなおして行くしかないのではないか。それしか病う現代人の奇妙な「危険マナー」は、なかなか改善できないのではないだろうかと、ざわつく年の暮れに、ふと考えてしまったのです。

2018/12/13 (木)

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美術折々_181


自分の証明と、証明できないじぶん


先日あるギャラリーで。紙に描いたドローイングを壁面いっぱいに展示し、それを見た人がそこから受けるイマジネーションをそれぞれがハガキぐらいのメモ用紙に書いて、会期中その上に貼り付けてもらうというような作品があった。この寄せ書きみたいなコメントの数が多くなれば、当然そのドローイングは感想文で隠されてくることだろう。

僕はそれらをいちいち読むとは無しに眺めていた。が、たまたまその中の一片に目がとまった。そこにはこんな言葉があった。「自分は頭のよい人がこの世を良くしてくれるのだと思っていてかってに思い込んでいたんだけど」。言葉はこの後もう少し続くのだが、僕は出だしで軽いショックを受けてしまった。「頭のよい人がこの世を良くしてくれるのだ」という純粋さ、無垢さ、素朴さに、何より驚く。若い女の子だろうか、男だろうか、
どんな人なのだろう。僕は疑った、2018年も暮れていく、この時代に。ここは身分秩序の生きる近世の終わりか、それとも立身出世の日本近代の始まりか。

自分は頭がわるくて出来損ないで、なんの力もなくて、だから頭のよい人がこの世を良くしてくれる。そんな風に「かってに思い込んでいたんだけど」それが違っていた、やっとそれが分かったと言うことなのだろうか。たしかにこの世には頭のよい人がいて、エリートもいて、地位も名誉も金も得てやがて権力というものを握っていく。しかしそういう人たちが、はたしてこの世を「良くして」くれただろうか。そんな時代がかつてあっただろか。

たとえば、橋本一径(早稲田大学文学学術院教授)は『アイデンティティは何を抑圧しているか』という文章の中でこんなことを言っている。「私たちは自分が誰であるのかは自分では証明できないということ。そしてそれを証明しようとすると、最後は権力に行き着くということです」。この引用はここで唐突にみえるかも知れない。だが「自分は」というとき、頭がわるい自分、男である自分、背の低い自分、貧しい自分、カッコイイ自分、若い自分、老いた自分、日本人の自分…。こうしていくらでも、どのようにでも「自分」を誰かと何かと区別し差別化できるし、しようとすることがじつはアイデンティティの正体なのではなかったか。橋本一径が、「最後は権力に行き着く」と言っていることは、つまりは〈最初に〉権力が始まっているということもできる。

この世を巡る、頭のよい人と頭がわるい自分。私たちはこの底無しのピラミッド型の権力構造のどこかに〈自分〉と〈自分ではないもの〉によって腑分けされている。だが自分が必ずしも自分でないのだとしたら、その拘束や束縛から、あるいは制度からも自由になれる。むしろ〈自分〉を〈証明〉できないことによって私たちは、生きいきと生存することができるのではないだろうか。そこにはおそらく別の人間が生きているはずだ。

2018/12/8 (土)

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美術折々_180


冷泉荘で見た、山口 巧の写真


12月10日まで福岡市博多区上川端の冷泉荘ギャラリーで開かれている、安東千聡・浦田怜那・徳田健・山口 巧の、4人の若手写真家たちによる写真展『反射した視選(線)』。その中でも山口 巧の作品『見えない/待つ』
は、ことし精力的かつ多様な発表を試行してきた彼の写真の中でも、僕の目にはむしろ、“ 絞り ”の効いた禁欲的な視線すら感じさせた。今回の作品に添えた山口 巧の短いコメントをあげておこう。

「あの時、突然起こった出来事は今、その出来事が起こった時まで『待つ』行為を行っている。経験者ではないので、想像しながらその先を向き考える。見えるようで見えない、場所をいつまでも意識しながら」。これは、たとえばベケットにおいての「ゴドーを待ちながら」が未来の空虚を暗示したのだとしても、この若い作家にとっては知らない〈過去を待つ〉という逆の射程として、私たちが抱え込んだ〈空虚〉が過去に向けて、いま投げ込まれたとでも言ったらいいのだろうか。

これは一体なんのことだろう。9点の写真というか、あるいは一つの写真というか。それをじっくり見ていくと、やがて彼のその言葉と写真、そしてそれ以前の出自とがつながってくる。

つまり、『見えない/待つ』は、ナガサキのことなのだ。山口は言う。「あの方角に向かってカメラを」構えたのだと。だからと言って、ここでことさら「ナガサキ」をいう必要はない。「作品」をそこに置くということへの、心にくいまでの場所へのディテールに対する過剰な配慮。だからそれぞれの写真は、ひとつ一つのもの以上の、緊張を孕んでしまっているのだ。

なぜ、いくつかの写真はカールしているのだろうか。格好よすぎはしないか。「もしかしたら撮る動機に自身の意思などはどこにもなく」と、10月のテトラでの個展で彼は語っていた。ではなにが山口 巧を〈写真〉に向かわせているのだろう。どこにもない意思がそれでも、知らない過去を待つ。
1995年長崎市生まれ。僕にとっては、ここ福岡で久しぶりに出会えた若い写真家だ。
これからを、たのしみにしたい。

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2018/12/2 (日)

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美術折々_179


「官民連携」という、リニューアルの向こう


もうすぐ「水道法改正案」が、国会で成立する見通しだという。今後、自治体が水道事業の「運営権」を民間に委託していく、いわゆる水道の「民営化」と言われるものだ。それにより、さらなる企業の成長戦略と資産市場の活性化を促そうとしている。しかしこの民営化の結果、先例諸国ではサービスの名のもとに料金の高騰や水質悪化を招いて、パリやベルリンなど267都市で再び公営に戻されてしまった。そもそも生命維持の根幹に関わる「水」の供給を、利益も出にくい水道事業を、特に日本のように水道水をそのまま飲むこともできる国にとっては、この民営化による官民連携の市場化に適用するには不安や反対も多い。

「民営化」といえば、同じように「運営権」を民間に移行することになるPFI方式を採用 した、福岡市美術館もそうである。2016年9月からの改修休館を経て2019年3月21日から始まるリニューアルオープン展に向けて、いま追い込みの段階だ。メディアへの告知も増えつつある。このリニューアルに際しては、公募によって選定された民間事業者が、実施設計以後の資金の調達から建設、維持管理さらに美術館運営までを一括して行う。
その落札価格は約99億8800万円超。ほぼ100億近い金を、今後15年間に渡って福岡市民及び利用者は民間事業者へ、いわば「分割返済」して行くことになる訳だ。

再開後も所有権は福岡市美術館にあるが、施設の運営権は新たに設立された特別目的会社「福岡アートミュージアムパートナーズ株式会社」が持つことになる。同社は今後、民間のノウハウを活用した事業運営の効率化やサービスの向上などを具体化させていく中で、美術館運営に関する商品開発・販売等の様々な収益や利用料金を自らの収入として受け取ることができる訳だ。

いまから3年前。2015年11月30日付「福岡市美術館リニューアル事業者選定委員会」の報告書には、市の要望として「市の実施する教育普及事業と事業者が実施するイベントの役割分担の明確化」が記されている。つまり美術館事業の官民の分担・連携が強調されていた。言うまでもなく美術館の根幹を成すのは、「美術品」の展示企画・収集そしてその保管・修復を含めた調査・研究さらに教育普及である。ただその根幹が、美術館運営の効率化やサービス向上、売り上げの数値によって歪められてはならないだろう。

ともあれ福岡市美術館はこれからの当面15年間、それを〈所有〉する市と〈運営〉する民間事業者との、
いわば「連立」美術館として市民及び利用者によってその〈評価〉を受けることになる。
少なくとも美術館という主体性が、カネや数字、結果主義によってのみ判定・価値付けされることなく、
その内実とさらなる充実によって国内外の評価につながる「福岡市美術館」であって欲しいものだが。

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