元村正信の美術折々-2018-08

明日なき画廊|アートスペース貘

2018/8/14 (火)

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美術折々_162


芸術とは何か、のために(2)



たとえば、アートと人をつなぐ、アートと地域をつなぐ。あるいは芸術と市場の関係、芸術と労働の関係でもいいのだが。では、こういう時の「と」とは一体何なのだろう。何かと何かの共同性や並立あるいは両者の関係を
表そうとするとき「と」は多用される。

しかし「アート」にしろ「芸術」にしても、それが何なのかをいまだ定義しえないでいるものを、私たちが他の何かとの関係において語ろうとしたり考えようとする時。「と」を用いたとたんに、「アート」「芸術」の定義は曖昧なままそれが何なのかを留保したまま、それを問うことなしに社会との「関係」のプロセスあるいは成果の方に、私たちの関心は向いてしまう。つまり「アート」も「芸術」も、アーティストも芸術家も、既にあるものとして既知のものとして、ひとまず脇に置いたまま「アート」や「芸術」と称するものの力によって何か別のものと協同しよう、新しいものを共に創造しようということになる。

例によって、それでいいではないか、と言われればそれまでなのだが。だが、僕はそうは思わない。
「芸術とは何か」を問おうとしないままアートを、芸術を、既視化し既成化してしまうことは、危ういことだ。既視感からこぼれ落ちるもの、誰も気づかないもの、だれも見たことがないものにこそ、〈芸術〉というものの不可能生も可能性もあるのではないか。

ARTは、芸術は、社会との関係によって生起し存在するのではない。ARTあるいは芸術は、すでに社会を内包しているのだ。だから芸術は、人も地域も商品も、市場も労働も内に含み持つのである。〈芸術〉とは、私たちが思う以上にじつは広大な領野を持っているのだ。ただその領土が、だれにも見渡せないだけなのだ。なぜなら〈芸術〉は、いまだ一度たりとも確定してはいないから、本当は誰も触れてはいないし見てはいないのである。

そのように危ういものを、既視化し既成化したものを懐柔し過ぎぬように関係者の方々はくれぐれもご注意を。
何度でもいうが、抵抗する感性のみが結晶するのだから。

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2018/8/7 (火)

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美術折々_161


芸術とは何か、を語るために



気象がなんだ、市場がなんだ、商品がなんだ、労働がなんだ、交換価値がなんだ、生産性がどうした、
いったい誰のせいかしら。真実も、異常も、美も、痛苦も、そして虚偽、欺瞞も、どれも似たり寄ったりで。
いまこのときこそ、すべての感性はそれらに対し蜂起せよ、《感性をして抵抗せよ》。

またしても、芸術とは何か。このクソ暑い夏でも、それでも芸術は必要なのか、必要とされているのか。
抵抗なき感性に、芸術を名のり主張する資格などない。抵抗する感性のみが結晶する。
それが〈芸術〉というものの形状なのだ。

ああ、壁がめくれているのではない、あらかじめそこに「家」があったから。
〈芸術〉というものはこれにも似て、どこかに現れているのにほとんど誰も気づかないものなのだ。
僕がいっているのは、壁のことではない。
もう一度言おう。こころある感性は蜂起せよ、《感性をして抵抗せよ》と。

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2018/8/1 (水)

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美術折々_160


〈未来〉に値するもの



6月末、博多駅からJR鹿児島線に乗って北九州市立美術館に行く途中、再整備工事中の同市、折尾駅の高架上
から気になって撮ったのが下記写真の右側のもの。車窓からの眼下には、煉瓦を積み重ねて作ったような幾つ
もの直方体の塊が無造作に置かれていて、一見まるで採石場から切り出された巨大な石の塊のようだった。
そして左側の写真は、九州工業大学のサイトで見つけたものだ。現在、同大の戸畑キャンパス内にはこの塊の
一つがコンクリートの台座の上にあたかも彫刻のように、他の近代化遺産とともに保存展示されている。

でもこれは単なる塊ではない。その、「彫刻」と思えるほどの量塊。つまり小さな赤煉瓦が規則的に積み重ねられ接合された充実体としての量塊が切断面も生々しく露呈しているのである。これに比すれば、インスタレーションなどといって手垢のついた言葉や、空間すら把握できない安易な表現など、軽く吹っ飛んでしまいそうだ。

そのあと色々調べると、この折尾駅が日本初の立体交差駅であることを知った。その際の橋梁のかさ上げに赤煉瓦を使ったのが、この切断された無数の塊の元の姿というわけだ。これが1895年というから、今から120年程前の立体交差化のためにそれらが使われていたことになる。明治28年当時、いったいどれほどの煉瓦の数が、それらを接合する技術が駆使され、そして人が動員されたのだろう。

ここ折尾駅の鉄道の交差は、日本近代のエネエルギーの基幹となった八幡製鉄と筑豊の炭鉱という「鉄と石炭」産出のための鉄道線が、文字どおりこの二つが〈交差する地点〉だったのだ。そしてその鉄路を支えた巨大な土台も、いま日本近代と決別するようにこうして解体され切断され剥き出しになって、消えさろうとしている。

「煉瓦」の製造そのものも、日本近代が西洋から受容したものだ。だがその製造や大規模な構造物もまたこの
現在によって駆逐されようとしているのである。近代の終わりとは、このようにして私たちが営々と積み上げてきたものの解体を、次々と容赦なく転換して行くのだ。でも僕には、それに変わる新しい「現代」があるとは思えない。

近代の喪失と、現代の崩壊の先にあるもの。そんな時代に、私たちが過去の〈遺物〉として廃棄しあるいは保存したものは、自然な強制が自由という名で横行する時代に抗するもっと別な力、いわば〈異物〉としての自らの存在、その力よってこそつねに生まれ変われるはずなのだ。それが〈未来〉という名に値するものの、ひとつとなるのではないだろうか。

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