元村正信の美術折々-2016-03

明日なき画廊|アートスペース貘

2016/3/30 (水)

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美術折々_46
 

寺江圭一朗 個展 「穴」

博多区須崎町のアートスペーステトラで、先週3月24日から27日迄のわずか4日間のみ開催された、寺江圭一朗の個展。果敢な展示でありながら、何故か短期間だったというもったいなさに、思わず少しここで紹介してみたくなった。

福岡では近年の、近藤祐史や古賀義浩といった若い彫刻家たちの仕事に僕は注目してきたが、寺江圭一朗の今回のギャラリーの床に置いた作品もまさに「彫刻的」ともいえるものだった。もちろん他にもいつもの「石造り」を自問自答する「石職人」や、ごつごつとした赤土の大地に自ら穴を掘り、苦役の後また元に埋め戻すという
行為を見せる映像作品もあったのだが、この「彫刻的」な作品には、これまで哀切さや可笑しみを含む虚々実々の「自問自答」そのものを作品化してきた寺江の仕事が、ある種の結晶となって現れていたように思える。

その作品をすこし説明しておくと、大人の両腕をまわしても抱きかかえ切れない程の大きな「石」(合成樹脂で成型着色した人造の石)が、黒い漆塗りの部厚い長方形の木の台座に載せられ、さらにその台座の下には数本の杉の丸太が敷き並べられそのまま動かせることを暗示するものだった。

いったい寺江は何を言いたかったのだろう。いや、なにを言いたいのだろうか。ちなみにこの作品タイトルが 「続・奴隷系図」。そして先に紹介した、穴を掘り、埋め戻す行為の映像作品のタイトルは「神話」。
であるなら、もうここには〈神と奴隷〉というものをすぐさま想起するしかないではないか。

神と奴隷とは、かつてニーチェが言ったように「祖先は必然的に一つの神に変形される。神々の本当の起源、
すなわち恐怖からの起源があるのだ」(『道徳の系譜』)とするなら、資本主義世界の今も、貧富の差を既得権として支配し、支配されるものの労働の、極めて現代的に偽装された〈恐怖〉への信仰と従属が形を変え生き
ながらえているのではないか。だとすると寺江の意識は、そして作品は、それらへの隠喩という形式をまとっているのではと、思わせもする。もちろん寺江自身は、このようなことを意図してそんなタイトルを付けている訳ではないだろうけれど。

だが、彼みずからが「芸術」という労役と用益の両方の誘惑に引き裂かれての悶えとして、一連の「石」に語らせているように見えることの意味を考えるなら、僕の理解はおそらくそれほど間違ってはいないだろうと思う。
あのカミュの『シーシュポスの神話』(新潮文庫)のなかの「無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々は考えた」ことに比するなら、寺江の〈労働〉こそむしろ、あらゆる所有や支配への〈石的〉な反抗だと
受けとめることもできよう。

でもなぜ今回、彼の作品は「彫刻的」に現れたのだろうか。かつての「現代美術」が、彫刻の台座を廃棄し
〈彫刻そのもの〉を提示したことを思い出そう。その上でなお寺江は、もう一度その台座を復帰させ、しかも
なお、丸太によって彫刻の 〈場所〉を動かそうと企図していたと思われる。むろん僕のこのような見方は、
一面的なのかも知れない。だが、これまでの寺江圭一朗の、作品の持つ分りにくさ、あるいは単純な分りやすさという誤解を、この作品はどこかで くつがえしてくれたのではないだろうか。

彼の言う 「穴」に、「石」に、そして彼の語りえぬ〈声〉に、私たちはもっともっと眼をひらき、耳を
澄ます必要があるだろう。

2016/3/20 (日)

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美術折々_45
 

さて、何をどう見ようか (2)

前回の最後に紹介した浅田彰の言葉は、ウェブマガジン「REALKYOTO」の2016年1月29日付で掲載されて
いる、「村上隆なら森美術館より横浜美術館で」と題した記事中にある。以下に少し抜きだしてみよう。

「むしろアーティストの膨大なコレクションをぶちまけた横浜美術館の方が問題含みで面白い」とした上で、

浅田彰は、まず村上隆のこれまでの活動の「基礎にある認識と戦略」をおおまかに振り返っている。
それは確かに浅田がいうように「マンガやアニメやゲームを素材としながらも、特異な方法論によってそれらを別次元にもたらす試みだった」と、まずは言ってよいだろう。

これまでを評価したのち浅田は、今回の村上の「五百羅漢図」を、「下手にマンガ化された出来損ないのキャラクターが並列されるだけのたんにフラットな画面に終わってしまった」という。その上でさらに「森美術館で
披露された全長100メートルに及ぶという『五百羅漢図』は5分で通り過ぎてしまった」と、一刀両断に伏して
いる。この辺りの詳細はここでは挙げないが、興味のある方は読まれるとよい。

そして、さらにこう付け加えている 「14年前の村上隆の方がいまよりはるかに刺激的な存在だったと考える私は、いまの村上隆を評価することができない」。これは浅田自身が言っているように日本の中で、今回の展覧会への「批評と呼ぶに足るものはあまり出ていないように見える」ことへの苛立ちがあってのことかも知れない。

村上隆が、東京藝大大学院で博士号を取得したのは、1993年。その翌年1994年にはACCグラントを得てニューヨークに渡ったのは知られる通りだ。僕がいつも言う 〈現代美術の崩壊〉を1995年辺りに置くなら、
村上は丁度その崩壊を察知したかのようにして日本から「世界」へと脱出したことになる。浅田がいうように
「特異な方法論によってそれら(マンガやアニメ等)を別次元に」もたらしたのだとするなら、それは、まさに 〈脱・現代美術〉を地でいく 「別次元アートの表現者」 としての、この20年間の果敢な試行だったと見ることもできるのだが。

僕は、村上が先のTVインタヴューの中で 「日本的なものを現代美術の文脈でかきおおせた」と語ったのを聞いて、どこか虚しい気がしたものだ。もうそのような「現代美術の文脈」など、この国には残存してはいないのだから。当然そんなことも、彼は百も承知の上だろうけれど。

いずれにしろ、この日本に限っていえば、「ムラカミアート」への賞賛か、まったくの黙殺かに、多くの反応が二分されてしまう。おそらくそれが、「世界的アーティスト」と呼ばれているにもかかわらず、村上への本当の評価をいまは宙づりにする形ともなっている。いずれその判断は未来の子どもたちが下すことだろう。

じつを言うと僕は、「世界的アーティスト」と呼ばれる村上隆の作品が、仕事が、「アートであるか、ないか」 あるいは「アートとしてどうなのか」 といった問題にはあまり関心が向かない。僕は、いまでは村上隆という
人をアーティストというより、グローバルに「芸術産業」を駆動させる企業人であり「資本家」だと理解して
いるからだ。だとすれば、彼および村上隆の会社が生み出すものは「作品」であると同時に、〈製品〉でもあるという企業構造をみずから〈所有〉し、産出していることになる。じっさいそのように、世界を駆け巡るグローバルな企業経営がなされ取引されているのであるから。

もちろん、李禹煥が言うように 「村上さんのバイタリティーは世界でも稀有なもの」であるのなら、そのことは企業家としての才能に当てはめても充分に賞賛するに値するものであろう。彼こそ「アートというスタイル」の製品を産み、商うことのできる、そして剰余価値を追求することのできる、日本が生んだ優れた企業家のひとりではないだろうか。

村上隆が、グローバルな資本主義世界の中で、再度いうがその非情な新自由主義のもとでの消耗戦のなかで、
みずからの資本家としての規模の「小ささ」を自覚しながら、あるいは「搾取」を受けながらも戦っている
ことは、まさに孤軍奮闘する企業戦士そのものの激烈な姿であると、僕は思う。

これからも永遠に彼のなかの自由が、革命が、そして製品が、彼が生み出す芸術産業が、不自由を隠蔽し続けてやまない世界資本のイデオロギーに摩滅されないことを、遠く 極東(いや今ではこの領域さえ無効となって
しまったが)の端の、小さな島国日本の、そのまた無名の辺境から、僕はひとり静かに夢想し続けていよう。

2016/3/16 (水)

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美術折々_44
 

さて、何をどう見ようか (1)

「世界的アーティスト」と呼ばれる村上隆の、日本国内では14年振りとなる大規模な個展と、彼による蒐集品、コレクション展が昨年秋から今年にかけて、様々なメディアで「話題」にされているのは多くの方が
ご存知の通り。

東京・六本木の森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」(3月6日終了)と
横浜美術館の「村上隆のスパーフラット・コレクション」(4月3日迄)の二つである。

僕は直接見た訳ではないので、今回の彼の作品や収集したものへの評価や判断をここで下すことはできないが、
それについて新聞、TV、ネット等で目にした記事や批評をいくつか抜き出してみよう。

まず昨年、11月26日(木)付 読売新聞朝刊文化面は、村上を評価している画家の李禹煥と「美術手帖」編集長の岩渕貞哉の両氏に「村上作品の魅力を」聞くというかたちで、「五百羅漢図展」を紹介。
李禹煥は、「古典的なものに未来を映し出すのはとても野心的だ」と評していた。

また12月7日(月)付 日本経済新聞夕刊文化は、文化部記者による記事。比較的、村上の「五百羅漢図」に沿って解説しつつ、村上自身が記者会見で「宗教と芸術の関係に興味があった」と述べた言葉とは対照的に
「この気宇壮大な作品にはそれほど深い祈りや救済の心は感じられない」と冷静に書き、さらに村上の
「自画像」には、ある種の「無力感」さえ嗅ぎ取っていた。

もうひとつ、先日3月7日(月)付 西日本新聞朝刊文化面の寄稿記事は、福岡市美術館学芸員の山口洋三に
よるもの。読まれた方もいるだろう。この記事の見出しはズバリ「村上隆に もはや『日本』は太刀打ちでき
ない」。もちろん山口自身が付けた見出しではないだろうけれど、それを容認できるほど文章の内容は自らが
受けた「衝撃」と、村上礼賛にあふれていた。そして「いまや国内の美術システムは、村上隆と張り合えない
状況になってしまったのである」とまで言い切っている。これはいってみれば「日本美術」敗北宣言と
取れなくもない。

村上隆は、「国内での展覧会はこれが最後」と言ったらしい。 2月7日(日)のNHK Eテレ2の番組内でも、
五百羅漢図の自作を前に俳優・井浦新によるインタヴューの中で、ある種の達成感からだろうか、村上自身
「もう死んでもいい」と語っていた。

これらの真意は不明だが、その言葉通りであるなら、僕からみれば村上隆は、グローバリズムという資本の絶対的優位が支配する高度に人工的な激流の中にあって、おわりのない非情な経済主義下での消耗戦を、自らが
強いられているように思える。であるのなら日本など捨てるもよし、国際舞台で戦い続けるのもよし、だろう。国家など何程のものかであろう。資本を制するものは、いまや国家さえ抑圧し、露骨に介入できる時代であるのだから。

先に、まず三つの新聞記事からの抜粋をあげたが、それに対してネット上で読んだ中で注目したのが、
批評家・浅田彰の記事である。 
「率直に言って森美術館の展覧会は規模が大きい割には期待外れ」だったというものだ。

2016/3/2 (水)

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美術折々_43
 

「美術」とは何か (2)

前回、話しがいつもの「アート」批判に傾いてきた。急いでもとの問いに引き戻そう。

ある書店員が発した、「何が美術とそうでないものを分つのか」について、
先に引用した美術家は「もうあと戻りが難しいかも知れません」と答えたまま、けっきょく「何が美術なのか」 を自ら不問に付してしまった。

であるなら、無謀を承知で僕なりの答えを出してみても許されるのではないかと思う。

その前にもうひとつ大きな前提として確認しておくために、テオドール・W・アドルノの以下の言葉を引いて
おきたい。

 「芸術とは何かという定義はつねに、芸術とはかつて何であったかということによってあらかじめ決定され   ているものの、だがこうした定義は芸術が生成することによってたどりついた結果によって、たんに正当   化されているにすぎず、芸術がなろうと意図しまたおそらくなりうるかもしれない状態を含むものでは
  ない」                            (『美の理論』河出書房新社)

これはどういうことを言っているのか。

つまり「芸術とは何か」を定義しようとすれば、過去の、既成の、すでに歴史的に評価されたものをそのまま
追認し肯定するだけの価値判断となり、この地上のどこかに現れ、また生まれるかもしれない未知の「芸術」は含まれずに、度外視されこぼれ落ちてしまうことになる、という考えだ。 ここでの芸術を私たちの「美術」に
置き換えてみてもよいだろう。

だからアドルノの、この言葉が説得力をもつのは定義に対するいわば 〈反定義〉として、定義そのものを否定しつつ定義からこぼれ、すり抜けるものの状態としての未知なるものや未来の芸術を示唆し、含み持っている
からなのだ。

芸術は、美術は、けっして自明ではない。現在でさえ、たえず問い直しを迫られ、みずからを批判し、つねに
自らを越え出ることによって成り立つ表現でなければならない。

それらを踏まえた上で、「美術」とは何かについて、僕はこう答えてみたいと思う。

 「見るという主体において、その感性が抵抗しつづけることによって結晶しようとするものが、
  それ自体だけで、作品であり思考でもあるような、自律した表現のしかた」 が、「美術」なのだと。
  
  もちろんこのかぎりにおいて、あらゆる素材、方法、媒体は、未知の「美術」のために試され続ける
  ことになるだろう。

もし、そうであるなら、「美術」と「そうでないもの」 を認識することが、すくなくとも僕にとっては可能と
なる。であるなら、「美術ではないもの」とは、そのような「表現のしかた」とは明らかにことなるもの、と
言うことができる。おそらく、やみくもに多用され流布し拡散し続ける「アート」もまた、「美術」というものとはことなる表現のひとつと、理解できるのではないだろうか。

「現代美術」の崩壊は、「現代の崩壊」(近代の外部に出た「現代」そのものが解体され断片化された)に
よって必然的にもたらされた結果だ。つまり、その「現代」の崩壊によって 「美術」 そのものが課題として
なおも残されたということだ。

僕はそういう美術を、「なりうるかもしれない状態を含むもの」としてのまだ見ぬ 〈美術〉 を、あらゆる
抑圧に抵抗する「芸術」のなかに置いて考えてみたい。そして僕にとっての制作も、その作品も、
そういうものであればと思う。

私たちの足もとに今も「問題」としてあるのは、「芸術そのもの」であるはずだ。この不可解な感性の坩堝。もっともっとそれを執拗に解き、問う必要があるのではないか。
だからこそ「芸術」のみが持つ“Cutting edge”〈先鋭さ〉を〈感性の抵抗〉を、手放なすわけには行かない。
もしもそれを手放なしてしまうのなら、同時代の「芸術」というものは私たちにとって不要な、
まったく 無意味なものとなり「芸術」は過去のものとしてのみの、それこそ「世界遺産化」した古典の中で
永遠に輝く羨望の対象となり、そして同時に芸術そのものが眠り続ける存在となってしまうことだろう。

2016/3/1 (火)

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美術折々_42
 

「美術」とは何か (1)

なぜわざわざ、こんな問いを今さら持ちだすのか、と思われる人もいるだろう。確かにそれは容易には答えられない問いである。いや、答えようのない問いなのかも知れない。でも、まったくそれを「問う」ことなく、
避けて 「美術」を考えたり、表現することなど可能なのだろうか。

ここで僕が「美術」というのは、だれもが漠然とでもそれぞれに思い浮かべるであろう古今東西の美術やそれらの作品のことでもなく、またカタカナの「アート」に取って代わられようとする日本の美術全体のことでも
ない。それは少なくとも僕が関わることのできたこの40年間の、ちょうど真ん中で起きた〈現代美術の崩壊〉
という経験の後に現れ、そしてこれから現れるであろう新たな表現の試みのことなのだ。

その上で、ひとつの「話題」を起点にして「美術」というものをすこし考えてみたい。 

その話しとは、

現在、国内外で活躍する日本の著名なひとりの美術家が2014年に出版した自著の中で、ある書店員が
その作家に次のような素朴な質問を投げかけていることだ。

「何が美術とそうでないものを分つのでしょうか」、と。

これはつまり、「美術」と呼ばれるものと「美術でないもの」とは一体どう違うのか。そしてその「美術とは
何なのか」、という素朴というよりも、かなり根源的な鋭い問いなのである。

それに対してこの著名な美術家は、その回答ともつかない回答の中で次のような言葉を述べていた。

「そもそも『美術』という漢字二文字自体が現在急速に死語化の道をたどっています。今はもう『美術』の時代じゃない。『美術』のかわりに『アート』というカタカナ三文字がとってかわろうとしています。『美術』から『アート』へ。この美の『カジュアル化』現象は、もうあと戻りが難しいかもしれません」

はたしてこれは、その書店員の質問の「答え」になっていたのだろうか。この作家の展望通り、この国の現状は、未来は、そうなって行くのだろうか。

じっさい、現在の日本の趨勢は「美術」ではなく、「アート」という「カジュアル化」に一層拍車をかけているようだ。ただ何度も
言うが日本の「アート」の行き着く先は、けっして世界の“ART”には到らないと僕は思う。西洋の芸術の概念を
矮小化し空洞化しただけのカタカナの「アート」を欧米語には逆翻訳すらできない。なぜならそれは日本国内
だけで消費されるのみの、通俗化した流通語でしかないからだ。「アート界」などという語がなんの抵抗もなく平然とメディアで使われているのである。

そもそも、「アート」は「ART」の日本的表音にすぎず、まったくちがう位相にある。ARTの翻訳語であった
はずの 「芸術(美術)」は、翻訳以前の西洋の「ART」の概念を、同じ意味を、日本の近代語として受容し
誕生した言葉であったことを忘れてはならない。

カタカナの「アート」は決して翻訳語ではない。無批判な「アート」の乱用やその氾濫は、むしろ日本という
近代が生んだ翻訳語を、母語を、自ら破棄するものと言ってもよい。それはつまり、私たちが世界と対峙する
ために問うべき、「芸術の概念」をも放棄したも同然の状態だと、僕は受けとめている。

だから現在のこのような日本に生まれ、世界の中でみずからを試すには、直接海外へ出て「芸術」を学び、
そのまま拠点を持とうとする若い作家たちが出てくるのも当然のことなのだ。
グローバルとはそういうことを指すのではない。

(つづきは次回)




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