元村正信の美術折々-2015-10

明日なき画廊|アートスペース貘

2015/10/28 (水)

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美術折々_24
 

遺産の相続

たとえば、近世まで海に浮かぶ小さな瀬のひとつに過ぎなかった「シマ」が、やがて紛れもない近代の「人工島」へと変貌し、そして100年程もすれば用済みとばかり、そこでの栄華、労苦や闇も全て打ち捨てられ、いつ
しか「遺産」となった。

いっぽう、アドルノは、「進歩の軌跡は、同一のものとなることをいさぎよしとしないものをことごとく根こそぎにしてしまうため、荒廃の軌跡でもあった」と言う。 もっともこれは「隅々まで作られたものである、つまり人間的なものである芸術作品」についてではあるが、隅々まで造られるべき産業とて例外ではないだろう。

ニーチェなら、「一つの『進歩』の量は、そのためにすべてが犠牲にされなければならなかったものの集塊の量によって測定される」(『道徳の系譜』)と言うところだ。ここでの集塊の量とは、むろん荒廃そのもののことだと言ってよい。

そんな、進歩にしろその背後に訪れる荒廃にしろ、より強い人間の繁栄のために招集され奉仕する私たち人間の、輝かしき痕跡と同時にその痛苦の残骸に違いない。いまでは、国家さえ資本の前では、いかようにも
「弱者」となりうる時代だ。

〈遺産〉というものが、人類の負い目、やましさ、負債を含めた広義の〈文化〉の軌跡であるのなら、文化の
永続化とは絶えずそれ自身への否定性や批判をも含み「相続」することによって、はじめて永続可能なものと
なるのではないだろうか。

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2015/10/21 (水)

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美術折々_23
 

扉の向こう

元村正信展[その逆説的盲目]2015 も10月18日で、3週間の会期を無事に終えた。
お忙しい中、わざわざ足を運んで頂いた多くのみなさま、そしていつも僕の個展を見ていただきながら、
お会いできないでいる方々にも、重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

毎回、個展がどう評価されているか、どう見られているか、ということを制作者自身は疎かにはできない。
ただ、当然見る方には様々な反応があり、それに喜んだり憤慨したりと、作者は一喜一憂し、勝手なものでも
ある。特に若い作家であれば、いろんなメディアに好意的に取り上げられたりすれば、嬉しくないはずはない。

ただ僕のように、極東のちいさな島国日本の、そのまた遥か隅っこで個展を重ねている人間にとっては、
「評価」そのものよりも、じぶんが考えていることと「作品」というものとの、ある種の距離というか、ずれ、
あるいは落差やそれへの苛立ちのようなものに、毎回悩まされ続けている。

言ってみば自業自得というものなのだが。このことは、考えればかんがえる程、深みにはまっていくもののようだ。なぜそのように、深まりゆく盲目の内に、眼は見開かれねばならないのか。

この扉の向こうに開けているであろう未踏の世界を、踏みしめられればと、いつも思っている。

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2015/10/17 (土)

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美術折々_22
 

誰かを待ちながら

やっと訪れた秋のつかの間。久し振りに風に吹かれ、しばし、ぼ〜っと穏やかな水面を眺める。
思えば、『水のないプール』からもう随分の時が経った。一体、僕は何をしているのだろう。
寄る辺なさは、いつものことではあるけれど、いたずらに〈時間〉だけが、僕を追い越して行く。

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2015/10/13 (火)

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美術折々_21
 

届けられた「展評」

10月11日、画家の安部義博氏から「貘」宛に、元村正信展について書かれた「展評」が郵送されてきた。
じつは僕は、安部義博氏とは面識がないし、お話をしたこともない。ただ、安部氏がこの4月にアートスペース貘で個展をされ、その時に見た感想などを、勝手にこのブログで書かせてもらったことはあった。

その安部氏が今回の元村展を見て、丁寧な批評を書いてわざわざ送って下さったのだ。
僕は、その全文をこのブログ上でもぜひ読んでもらいたいと思い、貘の小田律子さんを通じて掲載の了解を
得た。

安部義博氏の評が、僕の考えていることや作品と、どのように重なりあるいは違っているのかは、いつかお会いできることがあればお話ししてみたい。
今は、元村正信展をすでにご覧になった方や、このブログを読まれる方々に、氏の展評を委ねてみたいと思う。

(なお、安部氏の原文では改行の際に段落をとっておられるが、このブログの体裁上、読みやすさも考え、
 元村ひとりの判断で行間を1行開けることで改行を表記することにした。ご了承下さい。)

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元村正信展を見て

元村正信の絵を見る者は、その時の気分や意識の在り様によって、心の中にそれぞれ違った像を映じているのではないだろうか。というのも暗い階段を上がり、アートスペースのドアを開け、壁に並べられている絵をパッと見た時の印象と隣のカフェでしばらく休んで戻って見た時の印象が、あまりに違っていたからである。

何故だろうという気持ちで、あらためて絵を仔細に観察してみた。描かれている物達は原型を留めているものの、異形のフォルムによって構成されている。

人間を思わせる形もあれば、葉や茎、実などの植物を連想させる形もある。ただの抽象の形もある。人を思わせる形がいくつかの画面の中央部に寄っている絵では、目や耳の存在を確かめることができない。夢だとか、幸福などを感受する機能が、そこでは必要ないのかもしれない。色々な物達がほの暗い光の中で、みずからも発光し、互いに関係をもちつつ、息づいている。私にはそれらの物達は特別な感覚や神経を備えていて、静かに自分達が属する世界の意味を探っているように思えて仕方がない。

この世界に限りがあるか、それとも無限であるのか。感情は大した内容がなく、現象ですら無いこと。周囲を
深い沈黙と永遠が支配していることなど………

私が元村の絵を見てまず感じたのは、絵画はいよいよここまで来てしまったかという率直な驚きである。坂本
繁二郎翁が若い野見山暁治のろくろをモチーフにした絵を評して、絵は真・善・美であると諭したことを本で
読んだ記憶があるが、元村の絵はそのような倫理観を遥かに跳び越えてしまっている。

特筆すべきは、この絶望的で異様な世界を元村がしたたかな技法で表現していることである。ここで技法というのは画家が自分の意図するものを確実に具現できる手段と言ってもいいだろう。

まず絵を見る者の目は、元村の目論むように緩やかな動勢に乗せられて、画面の中に誘い込まれる。そこには、いくつかの物が、位置関係や強弱の関係を吟味し、実にたくみに、そして、自然に配されている。色彩は渋めで、微妙な諧調があり、発光しているようにも見える。マチエールは硬質で厳しい。とりわけ輪郭の表現に画家は神経を傾注させたようで、ニュアンスのある筆致で描き分けられていて、そのことによって空間は実在感をもって緩やかに広がっている。

この説明のつかない内容とその世界を、確かな方向性を持って、時に悦びさえ感じながら描き進めて行き、その所産は極めて魅力的で美しいという事は、私には背反することに思えるのだが……また、そのことが元村の絵に不思議な奥行きを与えているのであろうが……

絵画を抽象とか具象という概念で理解しようとする作業は、すでにむなしい。むしろ、抽象的であるが、極めて具象的でもある方が、また、その逆の方が、価値観の多様化した現在を表現するにはふさわしい手段といえるかもしれない。そのような意味でモンドリアンやカンディンスキーは遥かな古典であり、パウル=クレーには現代
と近似した要素が見いだせる気がする。しかし、パウル=クレーと元村正信の絵はあまりに違う。この違いは
背景である現在という時代を、今、生きて呼吸をしているか、いないかの違いではないか。

長い進化の結果としての人間の精神を読み解くには、まだとんでもない切り口が用意されている? 今回、元村
正信の絵を見て、そんな可能性を考えた。元村本人はそんなオーバーなことを言わないでくれ、ただ素直に率直に関心のある内容を表現したまでだと、吹き出すかもしれないが………

                               
                                 平成27年10月8日  安部義博

2015/10/12 (月)

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美術折々_20
 

なぜ、美は乱調にあるのか

アートスペース貘の入り口に置いている元村展のサイン帳に、こんな感想があった。
「生命感が溢れていますね、もとむらさん」。

これはきっと僕の作品への褒め言葉なのだろう。有難くもあるが、すこし面映い。
なぜなら、少なくとも僕の「絵」は、そういった生の横溢を拒むもの、抑圧するもの、裏切りへの、
抗い(あらがい)としてありたいと思っているからだ。
誤解しないでほしいが、溢れ出るような生命感を表現しようと描いている訳ではけっしてないのです。
もしもその画面に何がしかの「生命」を感じられたのなら、それは生命の影、陰画として溢れ出た「生」
なのかもしれません。

僕は「美術折々_19」で、ニーチェの言葉を引いた。ニーチェは、生を否定しようとするすべての意志や力に
対する、僕の言葉でいえば〈異和〉を抱いていたはずである。だからこそ、芸術というものを、それらへの
「対抗力」と位置付けていたのではないだろうか。

またこうも言っている「芸術、しかも芸術以外の何ものでもない!」(『権力への意志』)と。
これはおそらく、もし芸術が、芸術「以外の」「何か」であっても良いのであれば、すでにそれ自身「芸術」
である必要など全くない、ということだろう。もちろん、「表現」というものがものみな芸術である必要も
ないのだが。

僕がいつも言う、カタカナの「アート」に潜む危機とは、そのことなのだ。もし、芸術「でなくてもよい」
方法や課題、問題に、当の「芸術」が直面したその時、それでも芸術はどこまでも芸術たり得るのだろうか。

「現代美術」が崩壊したのは、あるかなきかの「アート」に可能性をすり替え、自らの〈不可能性〉の中に
進むべき未来を掛けようとはしなかったからではないのか。

かつて大杉栄は「諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである」(『生の拡充』)と
言い放った。ここにニーチェの「対抗力」と大杉の「反逆」を重ねて見るのは、僕だけではないはずだ。

踏みにじられ続ける小さき生のありように対して、美術もまた、ただ盲目的に慣れ親しむ訳にはゆかない。

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2015/10/4 (日)

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美術折々_19
 

その逆説的盲目_2015

当たり前のことと思われるかもしれないが、また敢えて言えば、私たちは「見る」ことが出来る。
しかし、本当に見えているのか、という問いは、僕にとってはますますつよくある。
視覚という〈器官〉がうまく機能してくれて、見えているにもかかわらず、見えていながら「見えていない」
ということはあるのではないか。これは単に「見えないもの」があるということとも違う。
見えている以上に、見ることは容易ではないのだ。

もし、「見ることが不可能なものを見るほかない」(大澤真幸『美はなぜ乱調にあるのか』)
というゴルゴンの顔の逆説でもあるのなら、私たちの日常はそんな「見えない」こと、「見ることの不可能性」に充ちていることになる。

ましてや現在の「美術」は、そんな〈不可能性〉をはたして凝視しようとしているのだろうか。
もてはやされる「アート」という名の商品化とは裏腹に、深まりゆく盲目の内に〈見るということ〉は
じつは埋没しつつあるのではないか。

僕はいまも、ニーチェの「芸術は生の否定のすべての意志に対する無比に卓抜な対抗力にほかない」という言葉を反芻する。生を否定してやまない世界、この世界への異和を、いまは「絵画という形式」を通して
かんがえ抜いて見たいと思っている。

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作品部分





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