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美術折々_311
涙で不幸が消えるなら
感染拡大、規制と緩和そして自粛と協力の繰り返しで来たこの一年も、やがて暮れていく。
それが、見えない〈新型コロナウイルス〉というものに振り回された私たちの2020年だった。
しかし「だった」と言っても終わった訳ではないし、たとえ一夜明けても何ら変わりはない。もしかしたら、どこまでも続くのかも知れない。
都合よく高台から「静かな年末年始を」と、呼びかけられてもなあ。賑わいと残酷でグローバルな世界を、成長を拡大を実現したのは、だれだったのか。お忘れか。
コロナ危機で明らかになったもの。せわしなくコロナ以後と言われるが。では何が隠されたのか。結局いっそうの分断と格差と貧困と、明暗と差別を際限なく生み出すことの契機にはなった。
そして誰にとっても、つながっていたはずの幸福と不幸は乖離してしまった。もう幸福と不幸は、出合わないのだろうか。すれ違うばかりになったのだろうか。
不幸はずっとどこまでも、不幸のままなのだろうか。
たとえばオンライン、ITや金融は成長を続けるが、オフライン的製造・小売・販売は戻らない消費として減退していく。人件費抑制・効率化・合理化を裏返せば、仮想化・自動化・無人化への転換の過程だ。
私たち人間は、どこまで必要か。
また、どのようにしか必要とされていないのか。
虚偽、欺瞞、搾取は、ことばにも行動にも、そして理念にもそこかしこに溢れかえっている。そんな中でさえ私たちは、きょうもどこかで生まれ成長し、大人になろう、人間になりたいと思っているのに。
哀しいかな私たちは、なんとも、けなげであり過ぎはしないか。人はきっと、いくらでも泣き続けられるだろうが。
もし涙で不幸が消えるなら、幸福になれるのならばだ。