元村正信の美術折々/2020-05-10

明日なき画廊|アートスペース貘

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美術折々_272

守れないかも知れない約束

これでもかこれでもかというくらい、ネットもメディアも感染症下の言説で持ち切りだ。
僕のこの日々もきっとそのひとつなのだろう。街かどの市民から芸能人や文化人そして専門家、政治家まで。
入れ替わり立ち代わり、また皆早口で。まるで洪水のようにリモートな声と情報が溢れ返っている。
だれもが、何とかしたい、して欲しいと繰り返し訴える。そうやって日々は取り返されることなく過ぎていく。

症状は検査はマスクは治療薬の副作用はさらに助成金はどうなってる とにかく金を。
いや感染だ生活だ経済だと。不安、猜疑心、怒り、変わらない利己的主張と欲望、そのどれもが
やり場のない私たちの本心であるわけだが。

このパンデミックは逆に国境を境界を強固にし、国家は自国民を心理的にも統制しようと躍起になる。
その端末では個人ひとり一人の行動の良心が裁かれ、まるで善悪の審判であるかのようなところまで
「恐ろしい静寂」の圧力が強制が、知らずしらずに浸透していた。いったい私たちは何を望んでいるのだろう。

もしも支援が補償が足りなければ、生活が立ち行かなくなるのなら、失業するか困窮の果てに置き去りにされ
遺棄されるしかないのか。けっきょくどこまでも弱肉強食は冷徹なほど、この格差的市民社会を貫いている。
いまは最悪か、いやさらなる最悪か。いやいや、あたらしい最悪がどこかで芽生えているだけか。

もしかしたら私たちは、とんでもないあやまちを犯しているのではないだろうか。
間違った判断をしているのではないかしら。これまでの日常が突然奪われたのではない、
私たちは協力し自粛し協調しそうやって徐々に自ら手放したのだ。これまでの生活を。

しかしこんな状態がずっと続くわけがない。それは今を耐えてさえいれば、やがて感染症も収まるだろうということではない。なぜまっとうで、ささやかな生存さえもが、制限され抑圧され封殺されねばならないのか。
でなくば じつは感染症の正面突破しかないのだ。それがダメなら、これまで散々虐げられそれでも健気にも
法を公共の福祉を守って生きてきた私たちの生存の未来を一体どう贖う。

あまたの虚偽や欺瞞や搾取で積もり積もってしまった、1100兆円を超えた私たちの生活赤字はどうなるの。
いま政策という名で次々と投入される支援や助成の負債が、やがてこの1100兆円の赤字の上に累積されることは分かり切っているのだ。それでもいまを生きようとしている私たちの世代だけの借金の問題ならまだいい。
あれほど繰り返し未来の世代へのツケ[負債]を残すなと言われていながら、なすがままの私たちのなんて無力で非力な〈生活〉というものを思うのだ。だがもう過去には戻れないのに。そのように誠実で勤勉な納税者たちよ、けして死んではならぬ。生きて復活してくれと励まされる、私たちというもの。

この邪悪な世界の COVID-19 たちを駆逐したあかつきには、三密の税収源に帰ってきてくれ。
だからいまは、ただただきょうも我慢してくれ。きっといい日が来る、守れないかも知れないが約束する、
それだから約束するのだ。

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