元村正信の美術折々/2019-03-21

明日なき画廊|アートスペース貘

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美術折々_199

久保田済美「画業70年の軌跡展」

3月24日まで久留米市美術館で同市の画家、久保田済美(84)の個展「画業70年の軌跡展」が開かれているのをきょう知った。「今やらなくては命が尽きる。そう思って企画しました」と久保田は言う。
(2019.3.20付 西日本新聞朝刊筑後版)

久保田済美は、明善高から佐賀大特設美術科で絵画を学でいる。「画業70年」というのは、すでに久保田が少年期に画家として生きる覚悟を決めて描いてきたということである。僕が遅まきながら久保田の名を知ったのは昨年、2018年の『森山安英ー解体と再生』(北九州市立美術館)の図録の中で、森山安英が久保田済美について語っていたからである。その辺りのことについては過去のブログでも触れた。森山が「師匠」と呼び、「すごかった」、「なかなか越えられん壁だった」、「日本の近代美術であれほどフレキシブルな色を使った絵をみたことがないっていうか、今でも思います」と言わしめた画家である。このことは森山にとって二歳年上の久保田済美という当時の若き画家の才能がどれほどのものだったのかを、何も知らない僕でもある程度推察することはできる。

僕はその後、「久保田済美」を検索して彼が主宰する画塾のサイトをとおして彼の作品を見た。たしかに森山が言うのも頷ける。これをたとえば「筑後の画家」などという地域性や風土で括ろうとすると見誤ることになるだろう。筑後といえば森三美をはじめ青木繁や坂本繁二郎、松田諦晶らを生んだ地である。泥の粘りや澱み、たっぷりと湿度を含んだ濁りなど、この地がそう形容されることも多い。だが、久保田済美の絵は違う。たとえば青木や坂本の絵が前近代的な風土を色濃く合わせ持っているのに対し、久保田の絵はモダニズム絵画そのものなのだ。むしろ早過ぎた〈現代〉とでも言えばいいのだろうか。

たしかに画歴だけを見ると、若い頃からこの地に根を下ろし絵を学び教え誠実な画業で慕われたことが分かる。久留米に生まれ、佐賀を離れまた久留米に帰郷し、ずっとここで描いてきた。おそらく多くの人々に支えられ愛されてきたのだと思う。その画面にあふれる清澄でしなやかな色彩と研ぎ澄まされた形は、誰にでも扱えるものではない。その天性がどれほど恵まれたものだったかも分かる。それでも、このような「絵画」がどこまで理解されていたのだろうか。

いま、じかに見れないのが何より残念でならない。僕はただこうして個展を紹介するのみだが、もし久留米市美術館の個展を見られる方があれば、どこかで言葉にして頂ければと思うのみである。

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谷間の雲(油彩、6号、1967年)

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裸婦(パステル、20号、1981年頃)

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びわ(油彩、6号、2002年)

©2014 B.KuBoTa

添付ファイル: filebiwa_2002.jpg 127件 [詳細] filerafu_1981.jpg 120件 [詳細] filetanima_1967.jpg 124件 [詳細]

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