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アートスペース走り書き_10
ある初春の歓び
先日1月6日 新年早々、「アートスペース貘」が 第28回 福岡県文化賞[社会部門]を受賞したとの知らせが届いた。
( [創造部門]小泉和裕(指揮者)、[奨励部門]古川真人(小説家)の両氏も受賞)。
アートスペース貘の受賞理由は「福岡県の若手アーティストたちの才能を育み、その活動を支える場として、長きにわたり活動を行っており、本県の芸術・文化の向上発展に大きく貢献している」、「45年目を迎えた、現代美術ギャラリー」として評価された。どんな経緯で受賞が決まったのかは知らないが、僕からすればほとんど奇跡のようなものだった。
この報を受け多くの方たちから、祝福の言葉が寄せられたようだ。僕も心底うれしかったけれど、何よりも驚きだった。それはこれまで長く陽が当たることなどなかった「アートスペース貘」の苦節44年をおもえば尚更だ。しかもその苦闘の内実は、オーナーである小田律子の《孤軍奮闘》以外の何ものでもなかったことを、ここで改めて誤解のないよう記しておきたい。
1977年、当時 27歳の小田律子。いつまで続けられるか分からない現代美術に焦点を絞り「明日なき画廊」をかかげて、福岡市中央区天神3丁目の現在地で一人出発した。それ以来、そとから見れば美術学生や若い作家たちの発表と活動を支えながら、彼女も共に学び成長してきたという事になるだろう。
だがご存知のとおりアートスペース貘は、純然たる画商でもコマーシャルギャラリーでも貸画廊オンリーでもない。最初から画廊の隣に併設したカフェ「屋根裏貘」が主たる収入を得ることで画廊を支え、その一体的運営によって展覧会企画を立てギャラリーを持続しようと始めから企図されてきた。作品販売はするが、小田夫妻の個人コレクションは別にしても、ギャラリー自体のコレクションは今も持たない。
振り返ってみれば、このスタイルだったからこそ44年間も続けてこれたのかも知れない。しかし先にも言ったようにその核心は、細き身ながら小田律子の強靭な精神と不撓不屈の命を抜きには決して語れないだろう。それでも客を迎えれば、いつも優しく微笑みどんな話しも丁寧に聞き頷く。どれほど多くの人が救われて来たことだろう。それだけに弱音や労苦、心痛など、いっさい語りはしない彼女の心根のほどは察しても余りある。
受賞理由のようにアートスペース貘は、一般的にいえば「45年目を迎えた、現代美術ギャラリー」ということになるが、僕からすれば「現代美術」はすでに崩壊しているから、1990年代後半以降つまりアートスペース貘の画廊史の半分は「現代美術以後」の、ポストモダン化した多様な「アート」を紹介し支えてきたということになる。
もちろん「貘」を支えてきたのは、ギャラリーに関わってきた作家や芸術愛好家たち、あるいは小田律子の多くのファンであることは言うまでもない。いやそれ以上に画廊の右隣のカフェ「屋根裏貘」を愛し利用してくれた客たち、さらに今も出入りしてくれる新しい若い世代の客たちでもあることを言っておきたい。
2021年1月、アートスペース貘の45年目が始まった。今回の福岡県文化賞受賞は、どれほど小田律子を、貘を励ましたことだろう。この賞が、彼女の《孤軍奮闘》に与えられたものだと理解し、そのことを何よりも歓びたい。
(元村正信)
▲小田律子(某年1月:屋根裏貘にて)