calendar_viewer 元村正信の美術折々/2016-08

2016/8/31 (水)

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美術折々_66

これからの、これから

福岡市美術館のリニューアル休館前最後の「現代美術展」という、特別企画「歴史する!Doing history!」
を見た。参加作家6名。特別展示室B、市民ギャラリーA、B、C、D及び館内周辺を使った展示。
(8月31日迄)

静かな会場を巡っていると突然、ひとりの監視スタッフから促されるように声をかけられた。
「あれも作品です!」と。見過ごさないよう、きっと親切からなのだろう。もちろん僕も分ってはいた。
ただどうでもよかっただけなのだ。

しかし改めて「あれも作品」と呼びとめられるのも、どこか妙に懐かしい。この20年のあいだに「現代美術」というものは、すでに「崩壊」したと僕は何度も言ってきた。この懐かしさはきっと、何かを失ったものの
それだったに違いない。

そもそも作品との出合いとは、自らにとっての気づきであるはずだ。いわば発見ではなかったのか。誰かから
先に、その発見を教えられるということは、体験としては残念なことだ。こういう親切すぎる時代なのである。

その意味で今展を見てとまどいもあった。たしかに「脱構築」的な作品の作家たちは、かつて見た「現代美術」的と言えなくはないのだが、その中でふたりの写真家、とくに田代一倫の「写真」を、すでに崩壊しているに
せよ「現代美術」として〈見る〉ことは僕にはどうしてもできなかった。もちろん、なにもここで「現代美術」というラフなフレーズにこだわる必要もないだろう、と言われるかも知れない。

だが写真家・田代一倫の作品を僕なりにこの10年ほどのあいだ何度か見てきたのだが、近年の田代一倫への評価は、おそらく「現代の写真」から欠落したもの、あるいは「現在の写真」が疎外してきたものが、彼の写真には、かなりナイーブな「表現」として残存しているからなのではないかと僕は思っている。それは単なるポートレイトとは明らかに異なるものだ。それだからこそ田代の写真と「現代美術」はすれ違っている、と言って
おきたい。

そしてもうひとり。今展でも最も問題を孕んでいたのが飯山由貴の映像作品だ。
それは、知る人は知っている津屋崎の旧玉乃井旅館に住むある男性へのインタヴューと、その家で近年見つかった祖父が所有していたとされる数点の「戦争画」による展示である。男性は淡々とした冷静な語り口で、祖父と自身である孫との関係、家というものを中心に、日本という近代から第二次大戦を挟んだその戦前と敗戦後を
貫通する日本人のある種の「無意識のねじれ」を語っていた。それに近いことを柄谷行人も『憲法の無意識』(岩波新書、2016)の中で触れている。

終始、抑制のきいたインタヴュー。飯山由貴は、よくこの男性の思慮深い価値観を引き出していた。
いいドキュメンタリーになっていたと思う。ずっと立ったままその映像に惹き付けられた。

しかしである。これはドキュメンタリーには違いない。だがはたして「美術」なのだろうか。「アート」と呼べば済むのだろうか。例えば、ひとつの名付けようのない「作品」を前にして、私たちは右往左往するはずだ。
そこに何かを発見するはずなのだ。飯山由貴の作品もまた、そのようにあればいいのかも知れない。

帰り際、「あれも作品です!」と、はじめに声をかけられた妙な懐かしさを思い返しながら、長い休館直前の
福岡市美術館を後にしたのだった。暑かった夏も、もうすぐ終わるだろう。

2016/8/19 (金)

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美術折々_65

大人にとっての、夏の意味

あの71年前の悲惨と荒廃、瓦礫の記憶も、そしてそれを誰かが体験し見たことも、いつか子が親を失うように
して繰り返し少しづつ消えていく。ただきょうという日の、勝敗と快不快の清算させ済めば、本当に明日は
やってくるのだろうか。何もなかったかのように。

ギラギラと照りつける太陽。全身に吹き出る汗をぬぐいもせず、ただただ肉体は地を踏みしめ、のた打ちまわる人たち。あるいは、エアコンの効いた快適な部屋での思考、充分な水分や美食の補給そして満ち足りて眠りに
着く人びと。今もって、この両者は矛盾対立しているのだろうか。

私たちの「夏」さえも、いつしか二極化されたのか。はたして71年前のあの日は「岐路」だったのだろうか。

ベンヤミンは言った。
「いたるところに道が見えるので、彼自身はつねに岐路に立っている。いかなる瞬間といえども、つぎの瞬間が
どうなるのか、分らない。既成のものを彼は瓦礫に返してしまうが、目的は瓦礫ではなくて、瓦礫のなかを縫う道なのだ」(『暴力批判論』岩波文庫 )

私たちの生は、どんなに二極化を余儀なくされてもなお、現在も形を変えて続いている「荒廃と瓦礫」の上を
踏みこえ歩まねばならない。ひと夏の炎天下と寝苦しい夜を抜け出ていくこと。
ベンヤミンがいうように、私たちが「瓦礫のなかを縫う道」を行くには、どうしてもその方向を見極める力が
いるのだ。

大人にとって夏の意味は、今も破壊と再生という虚偽の手法によって繰り返し続く、あらたな荒廃と瓦礫という
「美しき創成」の誘惑とその地雷のあいだを縫っていく道を、巡りくる八月を、ひるむことなく自らのものに
できるかどうかではないだろうか。

2016/8/7 (日)

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美術折々_64

続きではない夢のつづき

じつは、昨夜こんな夢をみた。

それは今日描こうと決めていた制作中の作品の、未完部分(僕の中では両性具有の顔)の続きを
昨日描き終えたところから、夢の中で描いているという夢だった。

つまり、僕はきょう実際に描くまえに、夢の中ですでに明日描くべきところをあらかじめ描いていたという
ことになる。そのことは、朝目が覚めた後も鮮明に残っていた。だから、今日はどこかその描き方を反芻する
ように描き進めていった。

これはいわゆる正夢とも違う。なぜなら夢でみたことがそのまま現実となった訳でもないからだ。
むしろ明日の現実をまえして、夢は、さいなまれていたというべきか。

おそらく僕はどう描けばいいのかをずっと思案していたに違いない。それが夢の中で、「続き」となって
先に現れたのだと思う。

それが浅い眠りからなのか、熟睡の中なのかは分らない。ただそこには、逃れられない「意識」だけが
夢と現実のあいだを貫いていたことだけは、確かなように思われた。

これもまた、眠れぬ夏の夜の、夢のひとつなのだろうか。

2016/8/5 (金)

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美術折々_63

花火のあとの夜の夢

たとえば丘の上のホテルから眺める花火や、アルコールを片手に自室から見る花火は涼しげでよいものだ。
一方、打ち上げ花火や仕掛け花火を真下から見上げるには、蒸し暑い夏の夜の人混みに交じり込む
エネルギーもいる。もちろん若い恋人どうしなら、どんな場所でも気にはならないのかも知れないが。

いずれにしろ夜空に上がる大輪の花火には、この憂き世を一瞬忘れさせてくれるものが、
きっと誰の中にもあるのだろう。

そんな花火とも無縁な寝苦しい夜には、ビターを利かせキンキンに冷えた火のようなスピリッツを体に流し
込んでみる。どこかはるか遠くで賑わい弾けているであろう光と、響き渡る音のすべてが、どうか僕という
からだの真ん中にも訪れて激しく爆裂しますようにと独り祈りながら、粉々に散り裂けた夢でも見てみようか。