calendar_viewer 元村正信の美術折々/2019-12

2019/12/31 (火)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_249

露呈してもまた

このブログを少しづつ書きながらこうして回を重ねてきたが、ふと思うことがある。いったい誰に向けて書いているのだろうと。僕のつたなくも分かりにくい文章を、覗いたり読んだりしてくれる方がいる。たぶんお会いしたこともない方が多いと思う。どこに住まい何をされているのだろう。

ご存知のようにこのブログは、アートスペース貘のサイトのメニューの中にあるので、読んで頂いている方の感想や意見、反論、批判は直接僕には届かない。つまりいくら書いてもほとんど何の手応えもないという訳だ。しかしこれは、よくかんがえれば怖いことである。なぜならそこに僕の独断偏見断定、錯誤錯覚無知無学が露呈しっぱなしだからだ。

でもそれは仕方ない。ただ僕は美術家として、制作し考えていることを発言したいから書いているだけなのだ。
このことは、好きなように書かせてもらっているアートスペース貘に感謝するしかない。
そして何よりも、読んでくださる方がいるということに。

これからもお付き合い頂ければ幸いです。
2020年もまた、あらゆる虚偽と欺瞞を突き抜け、抗ってゆきたいものです。 
よい年に。

2019/12/29 (日)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_248

倫理と芸術の未来

批評家の佐々木 敦が「そもそも『文学』とは定義が困難な概念だが、それは今やますます『ある種の小説』としか言い様がないものになってきている」(西日本新聞 2019年12月26日付 朝刊文化面『文芸時評』)と書いていた。ここでの「ある種の小説」とは、それ自体文学として成立しているかどうかが問われることなく、ただメディアや文芸作品という枠組みの中で書かれ発表され流通している小説だと理解するなら、そんな小説としての「文学」はやがて消滅するだろう、ということになる。

いっぽう私たちの美術、芸術もまたいまだ定義しえないものだが、この言い方を借りれば、同じように芸術が「ある種のアート」としか言えないものになってきていることに違いはない。アートをどう活用し利用し取り入れるにしても、その当の「アートを」既成のものとせずに、これから生まれるかも知れない未知のものへの〈不安〉という潜在がそこには欠落している。それでは「アート」もまた消滅することになるだろう。

未知というなら、いま六本木の森美術館で開催中の「未来と芸術展」(2020年3月29日迄)は、AI(人工知能)の活用によってAIそのものと人間との関係あるいは表現は創造は、どう拡張していくのかを提示しようとする展覧会だ。ここにあるのはあたらしい「ある種のアート」なのか、それともアートを拡張し逸脱し超越した、先端テクノロジーによってアートが廃絶される未来の予兆なのか。

でなくばその時「アート」はどのように必要とされているのだろうか。この展覧会名が「未来のアート」でも「未来とアート」でもなく、「未来と芸術」であることは何を示唆しているのか。もしかしたら未来にアートはすでになく、アートの崩壊の先に、AIの未来は高度な《芸術》という再翻訳語を準備しているのだろうか。

「未来と芸術」。この〈と〉が意味するものは存外、黙示的なのかも知れない。未来と芸術は別のものなのか。しかしそれでもそのときの〈芸術〉とは一体どのようなものだろう。僕なら「未来と芸術」を、「倫理と芸術の未来」と言いかえて、はるか先の未知なるものを問うてみたい。

2019/12/23 (月)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_247

続  リスクアート

11月27日付のこのブログで「芸術のリスクとは、損害損失の発生や善悪の可能性以前のものとして、より潜在的でなおかつ根源的ではないのか」と書いた。これはブライアン・イーノがいったという「危険な感性」の体験としての芸術や文化にひそむものを「芸術のリスク」と僕なりに言い換えてみたのだが。

それを芸術ではなく「アート」といった方がもっと分かりやすいというのなら例えばこういう話はどうだろう。ある大手広告代理店が17日付サイトで「ビジネスにおけるアートの活用を支援するコンサルティング事業」を開始したと発表した。アートへの注目、アートをビジネスに、ビジネスへのアート効果等々。いつも言うけれど、模糊としたそんな「アート」って一体何なのだろう。ここでのビジョンつまり「アートパワー」の内面化と、かつてボリス・グロイスが「アートは政治などの目的に利用されても、その目的を崩壊させ、無力化する力を持つ」と語った『Art Power』とはどう違うのだろうか。そこでグロイスの言葉が含意しているのは、明らかに権力への意志であると同時に「アートのリスク」なのである。

ではビジネスにとっての「アートパワー」とは、一体どんなものなのだろう。「ビジネスは、アートになる。」(『美術回路』)と謳う時、おそらくここではアートというものを感性を駆動させるポジティブな力、肯定的な力として解釈しそれをビジネスのエネルギーにしようとすることだと思われる。それが問題「解決」のためではなく、問題「提起」の手法だというのもうなずける。これからのビジネスには、感性の実体化が、イメージの経済化が期待されているということだろう。

だがここでもう一度、グロイスの「目的を崩壊させ、無力化させる力」としてのアートパワーを思い起こす必要がある。リスクには予測される危険と予測できない不確実性があるのだとしても、さらに「アート」は予測できない危険さえ孕んでいるということを知るためにも。

それでも問題はそれが可視化しにくく、なおかつ潜在的であり根源的であることだ。芸術というものが無限の断面を持つものなら、負の側面もあり否定的断面もあるということだろう。

そんな「アート」をどう評価するか。これには正解はないのだから。もしそれが未知の、未知数の、不確定で不可解なものであればあるほどアートは、より本源的な負荷をもって現れることになるだろう。アートを活用するにしても、リスクと無縁なアートなど果たしてあるのだろうか。

それでも「アート」は期待されているのなら、恥ずかしくも光栄というべきか。
これからのビジネスパーソンたちもまた、試されているのである。

2019/12/16 (月)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_246

追われても忘ることなかれ

この錆び付いた階段を上りつめれば展望台。
でもいったい何が見渡せるというのか。
たしかに夜は近いけれど。

黒い服の、なにがボタ山だ。
かつて追われて逝った坑夫たちが見たら、どんな顔をしただろう。

「人間が地獄で、地獄は人間だ」といったのは、だれだったでしょうか、エイシンさん。
来世なんて、これっぽっちもありはしない。
ただただ「この世〈が〉地獄」だといったのは老婆だったかしら。

すっかり生も死も、浮き石のようですね。


observatory_0153.jpg

2019/12/11 (水)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_245

芸術は脅えているか

芸術に限界というものはあるのだろうか。あるいは芸術の終わりというものはあるのか。
私たちがポスト・ヒストリカルにこんなことを考え問うようになったのも、そもそも「芸術の始まり以前」を
問い、さらには「芸術の自律」や「芸術の概念」を問うてきたからには違いないが。リオタール的に言うなら「大きな物語」が終焉し、モダニズムからポストモダンそしてグローバリズムへと「芸術」もまた例外なく晒されてきたということだろう。

だがそのことによって芸術の「未来」までもが否定されたことにはもちろんならないし、それはアーサー・C・ダントーが言ったように「もはやこれ以後に芸術は存在しないであろうという主張ではなく今後ありうる芸術は、芸術の終焉のあとの芸術である」(『芸術の終焉のあと』三元社、2017)というまさに近代の終わったあとに、なおも芸術は可能だとしてもどう可能なのか、逆にいえばいかにその不可能性を生きられるか、という
ことだった。

じつは僕はそんな考えに素直になじめないできた。むしろ「芸術」というものの無力や衰退を感じつつ、あるいは越えてしまった限界の現状を折につけ目の当たりにしながら。表現の自由と不自由を巡る問題もそうだった。たとえば、一方で賑わう「アートシンキング」。いつものようにアートの根拠は不明なまま、ビジネスの限界はアートで超えろ、あるいはアートの限界はビジネスで超えろ、というような自己表現=創造社会であるような活性化のためのアートプロジェクトにもうんざりしている。そんなことを考えながらの先週、突然の訃報だった。

12月4日にアフガニスタンで殺害された中村 哲 氏は、医師の延長に井戸掘りや用水路の建設はあると以前、西日本新聞の手記の中で述べていた。これはつまり彼が医師としてできることの無力、限界を身を持って感じていたからこそ、30数年来、彼のなかの医学はかの地でこのような形で拡張されたのだと僕は勝手に思っている。
アフガンにおいて「復讐は伝統的な掟である」、「私もまた死者のまなざしに脅える者のひとりである」
(『ペシャワール会報』 No.4 、1994年10月26日)と、かつて中村 哲 氏は記している。
「人間がいかに残虐たりえるか」そのことを彼は知った以上、それが自分の身にいつかは降りかかるであろう
ことも充分に覚悟していたはずだ。

それでもなぜ彼は最後まで「医師」だけでは済ますことがきでなかったのだろうか。少なくともアフガンで彼が「見た」凄惨や残虐が、医師という無力、限界を超えたのではないか。死者のまなざしとは、いま無残な死に近づくものからの眼差しである。中村 哲 氏は「見られて」いたのである。ここには、死後の彼に向けられる世間の英雄視、単純な戦争否定や人道的献身として讃え美化する声などつけ込む余地はない。

翻ってこのことから、私たちの「芸術」が一体どのような限界に立ちすくみ、死の床に誘われているかを考えれば、私たちもまた「脅える者のひとり」でなければならないと、学ぶことができるように思える。

2019/12/3 (火)

……………………………………………………………………………………………………………………………………

美術折々_244

深い〈有限性〉にみちていながら

もう5、6年まえだったろうか。真夏の汗ばむ昼間に突然、直径1cm以上の雹(ひょう)がバリバリと家全体を打ち付けるように降ってきたことがあった。ここ九州、福岡のことである。夏でも時折おこるというが、おとなになってからの記憶には余りない。その粒の大きさが卵くらいならまだしも、もしそれ以上の石や岩のような大きさだったら、どうなるのだろうと思い返したことがあった。

いま漠然とおもい浮かべているのは自然が超過する、つまり「あたらしい自然」の突然の到来のことだ。きのうは夏日で明日は真冬日だったりする、これまでなら思いもよらない自然のありよう。それは私たちの自然に対する観念の限界でもあるけれど。むろん自然というものは人為のおよばないものだと分かってはいるはずだし、人間は自然の一部でありながらまたそれでも無為なる自然に対しては、傲慢なほど反自然的にどれほどの人為を及ぼしているかを思えば分かるだろう。

でも大地が張り裂け、どんなに荒れ狂おうと「自然」は自然だからとキケロなら言うだろうか。自然が超過するというのは確かに矛盾している。やはり人間が自然を隔てて見てのことでしかない。それでもこれから到来するであろう「あたらしい自然」の生成を、僕はどうしても〈超過〉としてしか待ち受けられないでいる。どのように慣れ親しもうと、目のまえの川も山も森も、大地も海も空も、そしてこの極東のはずれの小さな島もおそらく溶解し膨張しているのである。

ついさっきまで、あんなに穏やかに晴れ渡っていたのに、いまこの瞬間にでも、爆弾が落とされ爆発が起きるように自然は裏返り変貌するだろう。私たちの、あまりにも高度に人工的、人間的な、自然というものの享受の仕方あるいはそれへの無力さの露呈。そんな「超過」はあらゆる限度や限界を超えて、それが私たちにとってのきょうの、明日の訪れであるにしても。なぜ私たちはこの「超過」し続ける日々に孕まれた不穏を、まるで不発弾のように抱いて、その恍惚も痛苦も合わせて享受しなければならないのか。

超過し崩壊し破裂しようとするのは、自然自体かそれとも人類が達成した前代未聞の負債なのか。いずれにしろ私たちはあらゆる限度も限界をも超えて、なおも生きながらえようとしていることだけは間違いない。その先が可能か不可能かは分からないが、むしろ日々は無限ではなく深い〈有限性〉にみちていることを噛みしめながら。


park_01545.jpg