calendar_viewer 元村正信の美術折々/2019-05

2019/5/26 (日)

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美術折々_211

絵画ならざるもの[その四]

いったい絵画の向こうには何があるのだろう。
カンタンさ。絵画の向こうなら、なんだってあるさと人は言うだろうか。

ではどこまでが絵画で、どこからが絵画ではないの。
描かれたもののみが絵画で、描かれていないものは絵画ではないの。

じゃあ、何かが描かれてさえいれば、どんな絵でも絵画といえるのか。
それでは絵画は何でもアリになってしまうじゃないか。
それではなんでもが全てのものが、絵画になってしまう。

でも今や、絵画だって例外なく「なんでもアリ」じゃないの。

それでは「絵画はない」のと同じだ。
もうそれ以上先へは一歩も行けない世界の果てで立ちすくんだ時のように。
ついに絵画は眼窩の果てにまで来たことと同じになる。でもじつはそれもおかしいのだ。
絵画がこれから何度でも断崖に立ち、もし絶滅に瀕するときがくるとしても、ではだれがそれを見ているのか。
だって絵画はだれかによって見られてはじめて、絵画になるのだから。

「絵画の向こう」というのは、絵画の外(そと)としての「向こう」なのではない。
それは世界の裂け目、深淵であり、そのような場所に〈絵画〉もまた、繋がっているということだ。
だから絵画とは誰からも見られなかった、振りむかれることのなかったものが、つまり
〈絵画ならざるもの〉が転倒した時に、私たちに見えた姿なのである。

なおも私たちが「絵画の向こう」を見たいと欲するのは、その遥か手前に
〈絵画〉が、まだ生き残っているからだろう。


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2019/5/20 (月)

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美術折々_210

失くならない飛沫

数日前、アトリエを片付けていたら小さな鉄の破片(長さ9cm、幅1cm、高さ1cmほど)が出てきた。
それは『国際鉄鋼シンポジウムYAHATA’87』に参加していた彫刻家、村岡三郎(1928-2013)の作品「鉄の墓」の中で見つけた制作時の溶接飛沫を、そっと僕が持ち帰ってきたものだ。
(同展は1987年10月10日-11月15日まで北九州市八幡東区東田高炉記念広場[旧 八幡製鐡所東田第一高炉跡周辺]で開催され、村岡の他にイギリスのフィリップ・キング、ディヴィッド・マック、高山登、西雅秋ら国内外10名の作家が現地で滞在制作した)

もう32年近く前の、何ということはない鉄の「飛沫」をなぜ僕は今まで捨ても失くしもせず、身近なところに置いていたのだろう。同展の参加作家たちのほとんどは、供与された約30トンもの鉄を巨大な塊として、また大地から張り出し天に伸びるように巨大な「彫刻」を存分に試みていた。だが村岡三郎だけはただ一人、まるで古代の墳丘のように盛り上がった土の中に、外からは見えない「鉄の墳墓」をこしらえていたのである。

鉄の扉をあけると、そこにはひんやりとした鉄板の壁に囲まれた静謐な室内に「アイアン・ベッド」が置かれていたと記憶する。まさに「鉄の床(とこ)」が、湿気、錆、塩分それに酸素を含み交じりながら“非在の死者”を包むようにあったのではないか。私たち生者はその「墓」に足を踏み入れれば、否応なく村岡の鉄が語ろうとする、いわば目で触れるタナトス(死)と向き合うことになった。

おそらく僕はその時の忘れがたい体験に、そこで偶然みつけた鉄の飛沫を、村岡三郎の〈忘れもの〉として持ち帰ったのだと思う。かつて建畠 晢はその「鉄の墓」のことを「異様な闇が充填されている」(『深くは眠らぬ人よ』美術手帖1991年5月号)と記している。その通りあの鉄鋼シンポジウムの中で、村岡三郎の「作品」はゆいいつ、最もすぐれて異物であり異形の「鉄の闇」であり、何よりも墳墓そのものであった。1987年、日本のバブルが高揚していく時期に、もしかしたら村岡三郎は製鉄の町・北九州市八幡で、その泡沫の崩壊を〈死〉をいち早く感じ取っていたのだろうか。


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2019/5/14 (火)

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美術折々_209

未来の子どもたち[芸術篇]

では〈116年後〉の2135年。私たちの芸術はどうなっているのだろう。15歳未満の子どもの推計人口が限りなく0(ゼロ)に近づいている未来の芸術のありよう。

その時この国の総人口が、もし少数のグローバル・エリートやサイバー・リバタリアンと富裕者たち、さらなるAIとIoTの開発運営に関わる先端労働者、そしてそれらを媒介する多数の移入移民外国人、あるいは新しい日本人たちによって構成されているとしたら。もちろんこの「総人口」を腐食しその空洞化を実体として担っているであろう産業、サービスの基幹たる自動マシンやロボットは含まれてはいないとしても。

それでもここでは日本人やマシンを含めた〈人間〉という概念が、すでにAIやIoTとの共同幻想として成り立ち、あるいは更新されているであろうことを予測するなら。この時、芸術はその圧倒的な趨勢のもとに果たして存在しているのだろうか。それとも、芸術だけは例外か。

ここで僕が少しでも言いいたいのは、文明の残り香としての人類の歴史や世界遺産を反芻し保存しておいた古典を始めとする「以前の芸術」を、何度でも再評価し愛好する楽しみとしての芸術、つまり「永遠の印象派」のことではない。

それでも未来のあたらしい《芸術》は、生きるという充足と欠落を抵抗を、あるいは肯定と否定とを同時に〈問題〉にできているか、そういう〈作品〉がわずかでもあるとしても、どうあるのだろうかということなのだ。

じゃあ逆に、「何も問題はない」と評価され歓待される時。それは安全・安心で快適であり、大勢に影響なく目の前に妨げるものもない、あるいはなんらかの効果が期待され、何の邪魔も抵抗もなく順調である、ということになる。であるのなら、そこで問題のない芸術は〈すでに問題ではない〉ということができる。

116年後の、未来の人間にとって〈芸術〉は、なおも必要とされているのだろうか。役割などという社会的分担のことではない。それは、多くはない〈未来の子どもたち〉が芸術というものを、そのときの現在的な「糧」にしているのだろうか、ということでもある。

そこでは、余りにも生活になじみ同化し、人とつながり、社会との関係に親しみまるで通貨となった「アート」が、つまり野菜や肉とレトルト食品と、いや一粒で済む夕食の栄養の中に難なく溶け込んでしまい、あるいは市販の水や空気同然となった未来を想像できるからだ。

いやご安心を、すべては順調だと。まるで大気圏外の軌道から、この惑星を見下ろして安堵しているような錯覚。では、116年のあいだ列島を崩壊させる大地震も原発事故も何もなく、いまだ空気は澄み渡り土地は豊かで空はどこまでも青いのか。それと同じように芸術もあるのだろうか。少しくらいの淀みや濁りも破綻もあるさそれが現実だと、笑ってはいけない。

それはきょうのことではないのか。あと100年のあと、願わくは廃墟の下敷きとなって行方知れずの化石のように永き眠りにつかぬように、未来の《芸術》が、子どもたちが。

2019/5/9 (木)

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美術折々_208

未来の子どもたち

先日の「こどもの日(5月5日)」が、何の日か知らない子どもたちが約47%にも上るという。祝日の意味よりも「休日」であることが喜ばれる。ここにも「祝日」の形骸化、空洞化がある。総務省の発表によれば15歳未満の子供の推計人口が4月1日現在で、前年より18万人少ない1533万人で、38年連続の減少となったらしい。
東京都のみが前年比で唯一増加し、前年と同じの沖縄県を除いて他の45都道府県はすべて減少している。ここでも東京一極集中が進む。

年間18万人減少すれば、単純計算で今後約85年ほどで「15歳未満の子ども」人口は限りなく0(ゼロ)に近づいていくことになるが。また昨年、国立社会保障・人口問題研究所が公表した『日本の将来推計人口ー平成29年推計』(2018年3月31日発行)をみると、総人口に占める15歳未満の子どもの推計人口は2015年では約1594万人だったのが、100年後の2115年には約259万人になるであろうと予測している。つまり年平均約13万人減少して行くとすれば、さらにその20年後の2135年にも15歳未満の子供は限りなく推計では0(ゼロ)に近づいていることになる。想像できるだろうか。むろん、同研究所が言うように「われわれ人間は、しばしば望ましくない予測がその通りに実現しないように行動するのであるから」だとしても「今後に何が起こり得るかを示すことを目的として」の予測であることだけは間違いない。

この2019年5月現在からつまり〈116年後〉の日本のことを、私たちはいまこうして想像している訳だ。それは、未だ生まれてはいない〈未来の子どもたち〉が死を迎えるころのことである。ながく言われ続けながら少子化と超高齢化に、虚偽と欺瞞を日常化・常態化させたまま、なんの手立ても施策も打てなかった国家というものの余りにも大きな負債は取り返しがつかない。将来、子どもを宿すであろう子どもたちがほとんどいない国。
これは想像しがたいのだが、国家そのものの崩壊である。平成とか令和とか改元などに、浮かれ便乗するどころの話ではない。当然この国の権力も、未来の国家像を必死に模索していることだろう。おそらくどんな形であれ、それでも日本という「国家」は残ると思う。

では、どんな形でか。人口の増減が出生・死亡それに国際人口移動(移入・移出)を合わせた数によって決定しているのなら、そしてこの国の人口というものが、日本に定住する(外国人を含めた)総人口によって決まるのなら。おそらく移入、移民を含めた〈外国人〉たちがこの国の多くを担うであろうことは、僕のような者でも想像がつく。限りなく推計0(ゼロ)に近づく子供たちの希少な国は、これから100年もしない内に、多民族国家はいうまでもなく多国籍化し混交した名実ともに多様な「国家」として日本は変貌していくに違いない。そのころには〈日本〉あるいは〈日本人〉という概念も大きく変わっていることだろう。日本で生まれ育っていく外国人。
いや、未来の子どもたちと新しい《日本人》たちによって。

2019/5/4 (土)

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美術折々_207

絵画ならざるもの[その三]


矩形(くけい)。すべての「角」が直角である四角形。
余りにもありふれた重力と強度の苦しみの下で。ながいあいだ散々耐え抜いてきたというのに。
これほど光は、いつだって窓を境にその内と外に溢れるているのに。
それでも〈窓自体〉が、光によって成されたことなどない。

だから〈矩形〉もまた同様に。それ自体でみたされることが、いつの日かあるのだろうか。
だから〈絵画〉は、その矩形の完全なる悲嘆の内側で、芸術の名の下に幾億と描かれてこれたのだ。

はじめから矩形は空洞だった。空洞ゆえに、自らが受けとめる重力と強度の苦しみに。
限りなく蒼白でありながら。それだから絵画は、さらに何かをそこに描きた足そうとするのか。
厚顔無恥なるものの欲望の果てのありよう。

それでもこの矩形という万物の、青青とした永遠の苛立ちを
絵画というものは、いまだわかってはいない。
なぜなら。矩形とは、絵画そのものの見えない支持体でありながら
絵画からもっとも遠い感情の源泉だということを。

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