calendar_viewer 元村正信の美術折々/2017-07

2017/7/26 (水)

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美術折々_107

その格好良さの、「はがいか」さ


昨年暮れ、福岡の「ギャラリーおいし」が42年間にわたる活動を終えた。最後の展覧会は同画廊ゆかりの
作家たち約150名による小品と、記録写真や資料によってそのながき歩みを振り返るものだった。

その中で僕が最も惹かれ足をとめたのが、何を隠そうあの山部善次郎の油彩による、男の肖像画だったのだ。

だが、絵を見るよりも先にスモーキーな香りがする(と言ってもスコッチじゃない)。いやいや、香りという
より匂い。つまりタバコのヤニがその絵全体から醸しだされ漂っている、という訳である。まあそれは余興と
いうもので。その絵はおそらく、彼のお気に入りのミュージシャンのひとりなのだろうか。全体に黄ばんでは
いるが、これがイイ絵なのだった。このとき僕は久し振りに、できるなら「欲しい」と思ったくらいだ。

それはさておき、「山善」こと山部善次郎。ヤマゼン、言わずと知れた生粋博多の筋金入りロック・シンガーである。泣く子も黙るコワ男。その山善が、画家でもあることは福岡ではよく知られている。

僕も彼の個展を何度も見ているが、ミュージシャンらしいというか、描かれたその世界は、すごくソウルフルでサイケで、ヒップで、ホップで、さらにパンクで、スカで、キッチュで、クレイジーで…、カラフル。そのうえ楽しくて、そして哀しいくらいストレートで素朴な画面は、いつもどこかのミュージシャンや音楽世界で
ビッシリと埋め尽くされた、それはパラダイスそのもの。これを音楽の〈楽園〉と言わずして何といおう。

変な言い方だが、こんなに「極私的」魂のこもった絵を描ける「画家」は、じつはそう多くはいないだろう、
と僕は思っている。それでも彼は、やはり筋金入りのミュージシャンだ。
思えば、抉られ吹き飛ばされた彼の顔にだって、当然49年という月日が流れていた。

山部善次郎。「山善」は先月、彼自身のfacebookでこう語っていた。

「片目の右目は優しいぜ…。いつもサングラスの奥で、皆を優しく見守っている。
知らんめえね… 俺の本当の優しさを。はがいか〜」と。

彼が口癖のように、いつも何度でも言う「はがいか〜」という言葉は、「歯がゆい」という意味での博多あたりの方言だが、それは今のように言いたい事は一度は誰でも言い放てる時代の中での「苛立ち」だけでなく、
少しばかりの「おかしみ」、もしくは分かり合えないことの哀しみというより、短気な「怒り」、もっと言えばその伝わらなさ、「やり場のなさ」の感情がこもった言葉だと僕は理解している。もちろんいまでは耳に
することも、めっきり少なくなってしまったが…。

その上で私たちは、山部善次郎の「絵」をどう見るのか。そして彼の「はがいか〜」という、解決不能の
《怒り》は、同時に私たち一人ひとりのなかに、いまも「灯され」続けているのか。少なくとも、彼の絵は
そのことを裏切ってはいない。

もちろん、これは比喩だが。あの「6600Vの電流」が、これからも私たちの欺瞞に充ちた日々の片隅の、
どこかを欠けさせ、麻痺させてくれるくらいに、時として一気に流れ込んでくることを願っている。

いまこんなことを、たまたま語らせてくれた「山善」に、あらためて礼を言っておこう。

20代中頃。失意の中でも僕は、はっきりと見ていた。1979年の初夏だったと思う。福岡は鳥飼の、住宅街の真っ昼間。東に抜ける一直線の道をバイクにまたがり、ギターを逆さに背負って脇目もふらずに疾走していく
「山善」と、すれ違ったのを僕はいまも忘れてはいない。 その、格好良さを。

2017/7/17 (月)

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美術折々_106

「美術」と「将棋」

いま話題の棋士、藤井聡太四段が、7月15日(土)付 朝日新聞朝刊別刷「フロントランナー」のインタヴュー
の中で、(学校の授業で)苦手な科目は — という(将棋とは無関係?な)質問に、次のように答えていた。

—「美術」です。 鉄板ですね、これは。 何で絵を描かないといけないのか、わからないです。

面白いなあ、と思った。そう、現在の子どもたちは教科としての「美術」と出合う前に、すでに主体としての
個性や自由、感性的表現、創造力といったものを、社会的にも身に着けさせられているのではないか。
「何で絵を描かないといけないのか、わからない」という素朴な返答はおそらく、自分にとって描くことの
必然性、あるいは必要性が切実さとして持てない、ということなのだろう。

もちろん誰にだって、絵を、何かを「描くこと」の技法や技術が必要なわけじゃない。たぶん藤井クンは、
「描かない」生き方があってもいいんじゃないか、と答えているようにも思える。そんなとき「美術」という
科目は、教育は、「描かない」表現や生き方を、子どもたちに向けて問い直すことができているのだろうか。
いやそうだった、当の「美術」そのものが危殆に瀕しているんだった。

もはや、感性も創造性も想像力も 「美術」や「芸術」教育だけの独自性、特異性ではない。この高度に過剰な
消費社会、交換社会では誰しもが日常の生活や仕事において、自らの肉体のみならずその感性的表現や創意工夫そしてそれらへのモチベーション(動機付け)が、表現が、あらかじめ求められているそんな時代である。
なにしろなんでも「アート」として生活化し、「生活」そのものがアート化しているのだから。それは「政治」だっておなじだ。

「美術」は、「芸術」は、〈表現の自由〉などと自らを主張するまえに、表現〈からの〉自由をこそまず
考えてみるべきだろう。ここでも「美術」や「芸術」は、試されているのだ。

もし『それ』が「美術」でなくてもよいのなら。「芸術」でなくてもよいのなら。「美術」でも「芸術」でも
なくてよいのである。それ以外の何かでよいのだ。つまり「将棋」でもよいのである。

「美術」と「将棋」を分け隔つものとは何なのだろう。僕なら、藤井四段にそう尋ねて見たかもしれない。

「絵」を描く必要などまったくないけれど、それでも「美術」は問われ続けているのです。

2017/7/12 (水)

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美術折々_105

未来への抵抗

ここ1年半くらいのあいだで一気に浸透した感のある「地域アート」ということば。

そもそもこの言葉は、『すばる』2014年10月号に掲載されたSF・文芸評論家の藤田直哉の「前衛のゾンビたち−地域アートの諸問題」 という論考が反響を呼び、同氏の編・著による他の研究者や作家との対話や論考を含めた『地域アート  美学/制度/日本』(堀之内出版、2016年)として単行本化されるとすぐに増刷を重ね、
この「地域アート」は瞬く間に広まった。

ことし6月に改正された例の「文化芸術基本法」においても、「芸術祭」と「地域振興」は、よりいっそうの
支援が明記されている。

いちおう、藤田は「地域アートとは、あらゆる地域名を冠した美術のイベントと、ここで新しく定義します」
としている。そしてまた、「地域アート」は「現代アート」から派生して生まれた、新しい芸術のジャンル
です、とも語っている。

その定義はともかくとして、この本は、じつは現在の日本に蔓延するカタカナ表記の「アート」への問題提起の端緒になっていると僕は思う。出版直後の昨年4月、ナディフアパート(東京・恵比寿)のトークのなかで
藤田直哉は次のように語っている。

「アートが地域振興などの目的で使われると芸術としての自立性が保てないのではないかという問題意識を投げかけています。『美』の中心が、造形的な美しさから、コミュニケーションとコミュニティーの造形に移って
いるのではないか。でもそうなると、ソーシャルデザインのような領域と芸術の区別がつかなくなるのでは
ないか。芸術の固有の領域、僕はそれを『美』と呼んでいるんですが、それをどう保てるのか。そういう問題
意識がありました」。

ここには「アート」と「地域振興」そしてさらに「美」、「芸術」という、それぞれ異なる位相の問題が、
きわめて現在的な「問題意識」として同時に投げかけられている。このように考えることのできる人は、
そう多くはないはずだ。

同書の中で藤田はこうも言う。「アートは、このようにコミュニケーションの生成に関わるものへと変化しようとしている。そのとき、問題が起こってくる。そんなに簡単に有用になっていいのか」。さらに、そのとき
アートというものが「道具となっていさえするかもしれない。だが、それでは芸術は死なないか」と危惧する
のである。

ただそこでは「アート」と「芸術」が厳密には区別されてはいないのだが。それでも彼の指摘は鋭い。
もちろん、藤田直哉のいう「芸術の固有の領域」という規定のしかたに対する異論は少なくはない。むしろ
「地域アート」というものを「地方」の賑わいに積極的に活用することで、地域参加型「アート」イベント
としての定着と促進を望む声は多い。

しかしここでは、なんでも「アート」として希釈され、変換されることによって「芸術」そのものが、
「芸術の固有」の問題とは何かを問うことすら回避してしまう傾向もいっそう強まっている。いったい「芸術」と「芸術ではないもの」を分けるものとは何なのか。

これを問うことなくして「芸術」は、「美術」は、あり得るのか。そして、たんにコミュニケーションやコミュニティーのための有用性やツールともことなる〈経験〉としてあることの意味を、少なくとも僕はこれからも考えて行きたいと思っている。抵抗に終わりはないのだ。

2017/7/5 (水)

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美術折々_104

ヒヨコとリスの地下童話


貘のマスターが Blog/2017-07-03で、お茶目な「クリトリック・リス」のスカムTシャツを着て、
ちょい悪ポーズ!よく似合ってるなあ。

なんでも、あの「昌代ちゃんのお土産だと!」いうからナットク。マサヨちゃんと言えば、
不滅の「ひよこ」伝説の持ち主。それは唯一羽の、けなげな「ひよこ」が、この残虐な世界を俯瞰しながら
神出鬼没の「渡世人」となって変幻自在に活躍する物語の実作者なのだ。

なかでも、たこ焼き屋ババタコの女将と常連客のヒヨコとの、喪われた場末の時代の交流を描いた世界一部限定の手描き絵本は、今でも僕の手許にあって輝き続けている。「ひよこ」その永遠の美少女にして不死の老女。

アドルノも言ったではないか、「いかなる真に美しいものもまた醜い」と。
美と汚泥は同じ起源をもっているのだ。もし、愛は地球を救うというのなら、この世界の嫌われ者のすべての
クズ scum さえ「愛」は快く呑み込んでくれるだろうか。

じつは、ヒヨコとリスはお友達だったらしい。見果てぬ大人の地下童話が、きょうもきっと私たちの闇夜を
引裂き、勇気づけてくれるに違いない。マサヨ、スギム、〈血〉の果てまでも突き抜けろ!


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