……………………………………………………………………………………………………………………………………美術折々_149 ~ ひとつの目印 ~ そもそもなぜ、たったひとつの〈真実〉しかないはずなのに。それがまるで、ふたつの真実があるかのような対立が許容され続けるのか、どこまでも。 それほど私たちは、いつだって小さく弱くそして無力なのか。確かにそうかも知れない。かつてなぜ父たちは、母や子の前でささやかな夕餉の食卓をひっくり返したのか。それは誰の目にもじゅうぶんに理不尽であり、暴力でもあった。 いま思えば、いったい何に怒っていたのだろう。むろん母や子に、この世の不実をぶつけていた訳でもないだろうに。やはり父たちは小さく弱く無力だったに違いない。そこでも、「ふたつの真実」が対立していたのだろうか。 いま思えば、いったい何に怒っていたのだろう。むろん母や子に、この世の不実をぶつけていた訳でもないだろうに。やはり父たちも小さく弱く無力だったに違いない。そこでも、「ふたつの真実」が対立していたのだろうか。 いくら真実に怒りをぶつけても、届きはしない。怒りの矛先は、じぶん自身に向けるしかないのだ。じぶんという人間が、怒りそのものとなった時に〈真実〉そのものが炎上すること だろう。それがたったひとつの真実というものの、目印なの だから。