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美術折々_240
元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(4)
11月10日、ことしの個展も終わった。わざわざお越し頂いたかた、そしてお会いできなかった方にもこの場を
かりてお礼を申し上げます。いつものように、夏の宿題をひとつ片付けられたようで、いまは安堵している。
1975年の東京・田村画廊での初個展からもう44年がたつ。その半分の20年以上、ほとんど毎年、ここアートスペース貘を拠点に個展をしてきた。福岡という日本のいち地域に引きこもり、ここから一歩も出ることなく
ずっと制作を続けてきた訳である。かつての前衛芸術集団「九州派」のように、中央対地方という図式はとっくに僕にはない。ただおおくの衰退や崩壊を見てきた。いやそれは今も、やむことなく続いている。
1995年を前後とした時代の転換期は、日本においても「現代美術」の崩壊をもたらした。それ以後の、いわゆる芸術のアート化である。ここ福岡においてもそれは例外ではない。そんな中で、一人で制作をし発表を続けて
これたのは、何よりまず「アートスペース貘」という場所が何ひとつ変わらず、すぐそばにあったからだ。
まえにも書いたように、1976年オープン以来、古ぼけたビルの2階に、43年間も続いてきたのである。
それは僕の幸運だった。まさに同時代をともに歩んでこれたのだ。ただ僕のように引きこもり閉じこもり外れた生き方が、これからの若いひとたちの手本になる訳はないし、勧めもしない。福岡が、東京が、日本が駄目ならそとへ、海外へ出ていけばよいのだから。この国など捨てればよいのだ。
いま、芸術もまた崩壊しようとしている。いや未来があるではないか、と言われるかも知れない。たしかにまだ見ぬものが、いまだ生まれてはいないものがる。だが、これから生まれてくるであろう人たちに、はたして芸術は必要とされるのだろうか。もし必要とされる「芸術」がありえるとしたら、それはどんなものだろうか。
商品でもコンビニでも消費でも、たんなるツールでもスマホでもネットでもない、つながりでも友だちでも、
名誉でも金でも地位でもない「芸術」とは何なのか。そんな「芸術」は、はたして必要とされるのだろうか。
あるのだろうか。だれがそれに応えてくれるのだろう。
僕が言っているのは、過去の偉大な古典作品や芸術遺産の賑わいや再帰なんかではない。現在であり未来の「芸術」というもののかたちなのである。何が芸術で、なにが芸術ではないのか。マルクス・ガブリエルが『私は脳ではない』(講談社)といったように、もし「私は芸術ではない」と近い未来に、いや明日にでもだれかが宣言したとしたら、そう宣言した者こそ、きっと「何が芸術か」を語ってくれることだろう。そう期待したい。
▲元村正信「抗い結晶するわたしたちの」2019より