元村正信の美術折々-2018-03 のバックアップ(No.1)


2018/3/28 (水)

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美術折々_139

《舞踏》という誘惑

昨夜は、「アートスペース貘」となりの「屋根裏貘」で舞踏家・原田伸雄の、ある受賞を祝う会があり
出かけた。今朝はその場で浴びたスピリッツの、けだるい余韻を引きずったまま始まった。

原田はもともと早稲田大学で演劇を志していたのだが、笠井叡の舞踏に触れ、転向。1972年から「天使館」に
79年の解散時まで参加。80年に自ら「舞踏青龍會」を結成し、その後84年福岡に帰郷。10年の沈黙を経て
舞踏青龍會を再結成している。それからの活躍は、知る人ぞ知るの通りである。

その原田はかつて、ヨーロッパ中世の世界観がクラシックバレエを産みモダンダンスの誕生を促したがそれを「諧調」の美だとするなら「舞踏はそれらにあえて乱調を持ち込んだのである」と語っていた。あの大杉 栄は「美は乱調にあり」、そして「諧調は偽りなり」と断じた。しかし今となっては「美」というものでさえ、諧調も乱調もなんら相反するすることなく肯定され歓迎される、そんな時代である。

ただ少なくとも原田伸雄のいう舞踏に持ち込まれた〈乱調〉が、今なお《美》というものに向けての、肉体を
賭けた問い詰めの行為であることだけは間違いないだろう。

特に原田は〈即興〉を身上としているが、その上で「熟練上達は即興の対義語である」と言い、さらに「熟練
上達すればする程初心に還らねばならない」とも言う。ここには即興というものの困難さが吐露されている。
つまり、即興は常在初心。いつだって〈初心〉において踊らねばならないという難しさが、自らの肉体に向けて突きつけられているということだ。

しかしおそらく「初心」というのは、誰にとっても初めての、一回切りのこころのありようのはずだが、踊る
限り演じるかぎり、それを永遠に繰り返さねばならない〈即興〉というものの自由さと、不自由さ。

原田伸雄が自らの肉体を、個というものを、内側から超えようとする時。それを強烈に拘束する力を、《舞踏》というものは明らかに〈乱調〉としてしか誘惑しようのない、やはりひとつのテロルなのだろうかと思った。

2018/3/21 (水)

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美術折々_138

安部義博 ・ 2 0 1 8

たとえば写実的な絵画を前にして、余りのその細かさにじっと食い入るように見る時がある。とくに最近は
「超絶技巧」などともてはやされ、それを駆使しリアルさを追求する画家たちの人気も高いのだが、これらの
技巧への執着に対する敬意の念だけを除いてしまうと、そのような絵の多くがモチーフの凡庸さや主題の俗っぽさにいかに拘泥しているのかがよく分かる。

一方そういった絵の対極にあるのが、いまアートスペース貘で開かれている個展、安部義博の絵画である。

最近の安部義博の絵画については、僕もこのブログでこれまで二度ほど触れてきた。まだ彼の絵に接したことのない方は先にあげたような現在の写実絵画の、いわば〈奥行きのなさ〉をイメージした上でこの安部義博の絵画を見られるといい。

なぜなら、ほとんどの写実絵画の分かりやすさからくる物足りなさに比べると、絵画というもののみが持つ
〈混沌〉さを、理解への遥けさ、困難さといったものを、彼の絵は備えているからだ。ご覧になればわかると
おもうが、まずその激しい筆致である。描いては打ち消しまた描く。そうして彼の絵筆は画面を〈転戦〉する
ように、絵画というテロスなき荒野を踏み進みながら絶えず肯定と否定を繰り返す。さらに独特の色彩の混濁が、錯綜が、その踏破への行為というものをいっそう過激にしているのだ。

ずっとまえに僕は安部から、デ・クーニングやハワード・ホジキンといった画家たちへの関心を聞いたことがあった。だからといって彼がいわゆる「抽象表現」にいまもって拘束されているわけではないはずだ。むろん
抽象的な描き方はあるにしても、いわゆる「抽象絵画」などという様式の踏襲やその素朴な現在進行形はすでにありようもない。それでもなぜ彼の絵画は具象化せず具体的な象(かたち)を結ぼうとはしていないのだろう。

ここからは僕の独断だが、おそらく彼のなかには、ある種の〈風景〉が幻視されているからではないだろうか。そう「幻視」だ。幻視といって語弊があるのなら、彼にしか見えない〈風景〉が見えているといってもいい。
つまりある風景が幻想されることによって、実在しない風景が、逆に描かれるべき〈絵画〉として現前しているのではないだろうか、ということだ。

だから絵筆は性急に運ばれながらも、けして具体的なかたちに行き着くことはない。これでも、あれでもない。ここでもない、もっとどこかへ。とうぜん彼自身にしか見えていない〈風景〉に向かってである。絵画という
ものもまたじつに不自由なものだ。

いま見えている風景がありながら、それを絵画にしようとすれば絵画は必ず不足するしかない。たとえそれが
どのような風景であれ〈絵画〉はそれと乖離してしか現れない。ここにも芸術の自然への人工への背理がある。
つまりどこまでも、安部義博の絵画というものは具体化せずに、私たちの目の前には〈抽象的に現れる〉しか
ないのである。

しかしそのことによって安部義博の絵画が、じつはどれほど《リアルな奥行き》をもってそこに在るのかを、
確かめてみてはいかがだろう。容易に理解しやすい写実的な絵画とはまったく異質の過激さがここにあるから。

                                  (同展は 3月25日[日]まで)

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2018/3/16 (金)

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美術折々_137

冷たい雨にさそわれて

私たちの生々しくも、リアルであるはずの「現実」というものが、なぜ虚偽や欺瞞あるいは隠蔽によって、
それらが何もなかったかのようにことごとく「虚構化」されてしまうのだろうか。

「疑いもなく、われわれは人間に苦しんでいるのだからだ」といったのは、ニーチェだが。
(『道徳の系譜』岩波文庫)

ただそれが人間どうしの苦しみであるにしても。しかしこれが「人間どうし」ではなく、ある一群の人間が、
別種の人間というものを捏造、あるいは仮想化し、いやもっと露骨にいえば、その「虚構化」が、おなじ生身の人間そのものを無限に「腑分け」した結果をもたらしたとするのなら、ニーチェは、いまどう答えるだろう。

今朝のような冷たい雨にけぶる春霞が立ち込めた視界のきかないぼんやりとした景色に、ときに僕はひとり理由もなく苛立ったりする。それはどこか大事なことを曖昧にしたり、すべてを帳消しにするかのような、自然の〈生理〉をおぼえるからだ。

おそらくだれもが自然というものに時として怖れおののき、またいつくしみそれをめでつつ、そこに様々な「美」を見い出しながらも、私たちが《自然》だけでは済まなかったことの意味を考えてみたりする。

現に自然に対峙してきた人類のあらゆる《技術》というものがそうであったし、そこから自立した《芸術》も
そうだ。だがいまとなっては、このあるかなきかの「芸術」も、心もとない。そんなだから過去の「芸術遺産」は今や引っ張りだこで、もてはやされる。それにくらべ、現在の「アート」の多くは、消費原理というものに
ほとんど無防備であり、無抵抗にしか表現されていないのではないか。

自然にも人工にも抗ってきた人間というもの。自然でも人工でもない人間というもののありよう。
もしかしたら芸術というものは、それに対する未来への問いをあらかじめ用意することによって《芸術》の役割と言えるものを持って生まれたのではないかと、思ったりもする。

しかしそれにしても、その「役割」が実現されているとはいまだ言いがたい。


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2018/3/11 (日)

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美術折々_136

射す春の 影を背負いて 樹いづこ     鉄球

僕がこのあいだここを通ったのは、たしか1週間ほど前だったろうか。

その時そこには、ゴツゴツとした灰色の砂利を敷きつめた円形の痕跡が確かにあった。でもこの日に見た
舗道上の円形のなかにはすでに砂利はなく、鮮やかな赤茶色のカラーアスファルトで塞がれていた。
強烈な違和感である。しかし、じつにあっけらかんとした「身も蓋もアル」ベタな補修ではないか。

この「円形の痕跡」とは言うまでもなく、かつて大きな街路樹が植えられていた場所である。
枯れたのか、それとも何かの理由によって撤去された後、長いあいだ鋳鉄製の保護板だけが残っていたと思う。結局その街路樹の跡には、写真のような日の丸にも似たベタの切り抜きが、なぜか突如生まれたという訳だ。

赤瀬川原平ならこれを見て「超芸術トマソン」といっただろうか。
僕にはむしろ、ここではないどこかにあった「芸術の残骸」を、ここに移設し埋め込んだように見えてくる。
なぜ街路樹なきあとの円形の痕跡は、派手な色付きの不自然な「無用の図」となってしまったのだろうか。

そこにはその時間、すぐそばの樹々の影がおちていた。樹木なきあとに別の樹々の影とは、皮肉が過ぎると
いうものだ。笑うに笑えない妙な哀しみに、射す春の陰影もまた、あっけなきものだとおもいつつ撮った
一枚だった。

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2018/3/6 (火)

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美術折々_135

境界というものはどこに

福岡県立美術館で開かれていた、福岡教育大学美術教育講座の卒業制作展を久し振りに見た(3月4日終了)。
今回そのなかで出色だったのが、二宮千咲の「DoA」と題された作品(size:120×120×320cm)。

それは杉材と合板で造作し乳白色に塗った十数枚の異なるサイズのドアを、縦長の箱状に組んだ美しい直方体
である。さらにそのドアのひとつは開いていて、内部の空洞に入ることも出来る。しかも床と天井は抜けている
ので、床部分は置かれた場所の地肌が見え、また上の方を見れば天井の換りに、ぐるぐると張られた有刺鉄線ごしに美術館の天井が見えるようになっていた。

この作品が何より出色と言ったのは、それが「ドア」のみで出来ていることだ。ふつうは壁など、ある空間の
内部と外部との出入口として機能するドア。ここでは壁を持たないドアそれ自体が「壁」となって、「境界」
にもなっていることに着目したい。

そしてこの若い作家も、自らの作品のテーマを「自他の境界」だと記している。さらにそこに「明確な自我」を意識しつつ、「境界の象徴としてのドア」だとも言う。ただここはかなりアンビヴァレンツなところだ。

そもそも、自己と他者とのあいだに境界はあるのか。私は私であると言ったとたん、私から離れ、それは同時に他者にとっても、私であることになる。だから、ランボーがいったように「私はひとりの他者である」という
ことにもなるのだ。

たしかに、二宮千咲の「DoA」という作品は、ナイーブで未熟ではあるかも知れないが、自己と他者を、その
境界を、かたちにしたいとする切実な態度がストレートに反映されているように思える。

自他の境界というものは、つねに曖昧であり、むしろ私たちは「曖昧」であることによって時に自我を「混同」したりもするものなのだ。それでよいのではないのだろうか。そのことは何も自信のなさや負い目などではないはずだ。だからこそ彼女の乳白色の美しい直方体は、逆に制度や慣習あるいは束縛を無効にするかのように、
いつでも出入可能な「ドア」のみで成り立っていて、そのことが境界はあるけれど境界はないのだと、暗示し
示唆してもいるのではないだろうか。

僕の理解は、見ず知らずのこの若い作家のかんがえとは違っているのかも知れないが、このいびつな世界というものからきっと同じことを嗅ぎ取っているのではないかと、ひとり勝手に思っているのだが、どうだろう。

とまれ、美術家・二宮千咲のこれからを、たのしみにしたい。そうおもわせる作品だった。

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