元村正信の美術折々/2018-05-30 のバックアップ(No.1)


……………………………………………………………………………………………………………………………………美術折々_149

ひとつの目印


そもそもなぜ、たったひとつの〈真実〉しかないはずなのに。それがまるで、ふたつの真実があるかのような対立が許容され続けるのか、どこまでも。

それほど私たちは、いつだって小さく弱くそして無力なのか。確かにそうかも知れない。かつてなぜ父たちは、母や子の前でささやかな夕餉の食卓をひっくり返したのか。それは誰の目にもじゅうぶんに理不尽であり、暴力でもあった。

いま思えば、いったい何に怒っていたのだろう。むろん母や子に、この世の不実をぶつけていた訳でもないだろうに。やはり父たちは小さく弱く無力だったに違いない。そこでも、「ふたつの真実」が対立していたのだろうか。

いくら真実に怒りをぶつけても、届きはしない。怒りの矛先は、じぶん自身に向けるしかないのだ。じぶんという人間が、怒りそのものとなった時に〈真実〉そのものが炎上することだろう。それがたったひとつの真実というものの目印なのだから。