元村正信の美術折々_bak
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美術家・元村正信氏に、アートスペース貘で見た展覧会の感想や
折々の事などを、美術を中心に気の向くままに書いてもらいま...
……………………………………………………………………………………………………………………………………
-[[美術折々_18 宿題のおわりと、はじまり>#m18]]
-[[美術折々_17 あるはずの 「境界」 、ないはずの 「境...
-[[美術折々_16 「わかりえない」ということ_(1)>#m16]]
-[[美術折々_15 山本豊子 「fog_signal」>#m15]]
-[[美術折々_14 今田淳子 個展>#m14]]
-[[美術折々_13 梅雨のほとりにて>#m13]]
-[[美術折々_12 北村ケイ写真展 「arabesque」〜彼等の肉...
-[[美術折々_11 末藤夕香 展>#m11]]
-[[美術折々_10 「ART」と「アート」は、同じなのだろうか...
-[[美術折々_09 安部義博 ・ 2015>#m09]]
-[[美術折々_08 柴田高志個展 「回帰」>#m08]]
-[[美術折々_07 Where have all the flowers gone?>#m07]]
-[[美術折々_06 六本松遠景>#m06]]
-[[美術折々_05 春の雨>#m05]]
-[[美術折々_04 逆転への意志 塚原舞加個展 「残り香」>...
-[[美術折々_03 大塚咲×夕希展、のこと>#m03]]
-[[美術折々_02 大塚咲X夕希展>#m02]]
-[[美術折々_01 はじまりに>#m01]]
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#aname(m18)
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*美術折々_18
宿題のおわりと、はじまり
...
思えばこのブログも、2ヵ月ものあいだ放置したままだった。
いつものことだけれど僕の場合、個展が近づくにつれて「言葉...
話したり、書いたり、本を読むことさえ億劫になり、どれも手...
落ちいってくる。濃密な制作の時間というものは、他のものを...
いやいや、要するに、日頃でもない余裕が、ますますなくなっ...
その個展も、やっときのう無事に初日を迎えることができた。
作品の「出来」については、見てくれる方々に委ねるしかない。
いまは少しの安堵に息をつきながら、またこのブログも少しず...
もし、お時間あれば、足を運んでいただき、ご批評をいただけ...
...
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#aname(m17)
~
*美術折々_17
あるはずの 「境界」 、ないはずの 「境界」
...
先日、ある若い画家が自身のブログで、同じ世代の別の若い画...
かなり鋭く的確な指摘で、注意深く読んだ。
そこでは、「絵画とイラストの違い」について触れながら、そ...
「イラスト」に見えたというもの。それは、なにもイラストで...
そう指摘した若い画家自身、「イラストと絵画」の違いは明確...
じつは僕が注視するのは、「イラストと絵画の違い」、「アー...
その身近かな例が、8月2日まで佐賀市の佐賀県立美術館で開か...
佐賀市出身のプロダクト・デザイナー吉岡徳仁による 「吉岡徳...
半透明のストローを大量に使ったその作品は、まさに「インス...
それはちょうど、たやすく 国境を超えて行くグローバルな「資...
かたくなに国境を、領土を、主張する「国家」との関係にも似...
意識させながら、そのいずれでもない、ニュートラルで無国籍...
だがそこには、これからあろうとする 〈美術〉 への問いかけ...
そして、もうひとつそんな 〈境界〉 を考えさせてくれる展覧...
8月23日まで福岡市美術館 2階 企画展示室で開かれている 「彫...
同館所蔵の、高村光雲、山崎朝雲、荻原守衛といった日本近代...
ここでは 「彫刻/人形」 というように、異なる二つの表現を...
ただそこには、そのあいだの領域ともとれる、つまり人形とも...
ここで 「困惑」 というのは、先に言った〈境界〉を巡る超え...
おそらく、彫刻と人形は違うと、多くは思うだろう。確かに異...
〈境界〉はあるにしてもどのようにあり、〈境界〉がないにし...
すでに 〈リアル〉 であることも、なんらその通りの 〈現実〉...
ただことわっておくが、僕は 〈表現〉 というものに、もはや...
いる。
「美術」もまた、〈境界なき広がり〉の趨勢に抗いながら、美...
(2015.07.29)
#lightbox(kagami_018.jpg,,50%)
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#aname(m16)
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*美術折々_16
「わかりえない」ということ_(1)
先月、6月29日(月曜日)付の日本経済新聞朝刊文化面。
「『孫たちの戦後70年』 創作・研究の現場から」 という連載...
ひと口に戦争体験者の孫たちの世代(創作・研究現場にいる)...
「戦争体験」の、いっさいの記憶も、風化も、そしてその継承...
わたしたちの今の〈日常の体験〉とは、その〈戦争〉とどう違...
日本の、戦後という空間の「成長」、その裏返しとしての凄ま...
ながら、グローバルな「富の偏在」 がもたらす、快楽と格差の...
やがて、この国の「戦争体験者」もほとんど途絶える時が来る...
せよ。そのとき、未来のわたしたちは〈戦争体験の不可能性〉 ...
親と子、その「孫たち」は一体どう〈生きよう〉としているの...
長い前置きになってしまった。
さてその連載1回目に、沖縄を拠点に活動する気鋭の美術家・山...
いた。
山城知佳子といえば、福岡では2年前の、2013年 福岡アジア美...
今回、日経新聞の記事は、彼女の2009年の映像作品『あなたの...
山城知佳子の試行とその作品を手がかりに、孫たちの世代にと...
僕が関心を持ったのは、なにも山城が沖縄で生まれ育ち、そし...
いるからではない。
むろんそのことは、いくらでも語り語られてよいことではある...
この『決して共有できない』という感覚は、かなり重いことな...
重視する「表現」のありようとはまったく 逆のベクトルが、こ...
他者の記憶を継承することの 〈圧倒的な困難〉 を前提に山城...
ちなみに、この連載の5回目(7月3日付)で、劇作家の古川健(...
この両者には「わかろうとする」ことよりも、「わかりえない...
僕は当然のように、ジョルジュ・バタイユのあの言葉、 「伝達...
ここでも反芻する。さらにまた、死を 「経験できないものの経...
それでも山城知佳子の作品に通奏低音のように響き渡る、唄、...
山城知佳子の、映像は、言葉は、身振りは、そういう困難きわ...
僕には思えるのだ。
(2015.07.04)
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#aname(m15)
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*美術折々_15
山本豊子 「fog_signal」
アートスペース貘では6年振りの個展。
山本豊子の作品をはじめて貘で見てから17年が経つ。福岡の他...
見たことになる。
褐色を含めほぼモノクロームといってもよいそれらの作品は、...
白いバスタブに鉄の四肢を付けたもの。あるいは木の机と椅子...
用いている。いずれも「版」にとどまらない、物質性のつよい...
ちなみにこれまでの個展のタイトルをいくつか挙げれば、「達...
いやいやこんなことで、見る者はひるむ訳にはゆかない。むし...
他の「オブジェ」だってそうだ。じつにシンプル。作家が企図...
それでも山本豊子の、この「寓意」に充ちたモノクロームの世...
僕は以前から彼女の作品を見ながら、あのジュール・ヴェルヌ...
この作家が、どのようなことを思い、何を考え、制作している...
だが僕なりに解釈すれば、表層のみが露出し消費されてやまな...
ないだろうか。
これは、物語の再生でも記憶でもない。 なぜ私たちはかつて ...
重なっているように思えるのだ。
...
同じく 7月5日(日)まで 福岡市南区平和1-2-23 森山ビル1F の
ギャラリー M.A.P でも 版画とドローイングによる個展_山本...
西鉄平尾駅から筑肥新道を小笹方面へ徒歩で約8分。合わせて見...
http://gallerymap.jp
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#aname(m14)
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*美術折々_14
今田淳子 個展
それは磔刑(たっけい)の十字架にさらされた人の化身か、あ...
ここには、西洋からの疎外と東洋の果てとのはざまで、長い異...
いないだろうか。
画廊の四方の壁のひとつだけを使い、天井近くの壁に張り出し...
習俗、血縁、その息苦しさや煩わしさゆえに、わたしたちがど...
なまめかしく再来したかのようにも見えた。
じつは僕がこの20年以上、どんな作品(絵画や彫刻を含め、物...
語るにせよ、さまざまな素材に沿いながらも、「インスタレー...
慎重に避けながら、場合によっては敢えて 「オブジェ」という...
今田淳子の作品もDMの表記にしたがって言うのなら、新作の 「...
しかし何度でもいうが、 「INSTALLATION」 と「インスタレー...
同一のものとして語るには無理がある。その齟齬を無視して粗...
たくはないからなのだ。そういう平板な語りこそ、日本の、も...
することにならないだろうか。
今回の今田淳子の 「INSTALLATION」 を、僕は「わたしたちが...
空虚な「アート」への批判にもなりえていると思うのだが、い...
...
#lightbox(imada_013.jpg,,77%)
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#aname(m13)
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*美術折々_13
梅雨のほとりにて
若かった頃は、いつも春先になると言いようのない不安に戸惑...
それは少年少女の、不安定な心もようだけでなく、ものみな芽...
華奢でやわらかな体つきそのものから来るものだったのかも知...
やっと二十歳を過ぎ、ちょうどそんな不安と入れ替わるように...
そうしながら何度も個展や発表の場数を重ねるうちに、そうい...
よく、夢うつつというけれど、いまだってどこまでが夢で、何...
「夢が現実になった」という話しはどこかで聞くことがある。...
ほんとうにあるのだろうか。
一見当たり前のように「ある」と思い込んでいる目の前の現実...
現実 》であることを、わたしたちはそれを敢えて遠ざけること...
虚偽は付け込むのだが )かろうじて現実(あるいは夢)という...
だから、夢と現実が、ぴったりと重なりあうことはないはずな...
初夏のあと、梅雨のほとり。穏やかな青灰色の水面の果てには...
(2015.06.10)
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#aname(m12)
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*美術折々_12
北村ケイ写真展 「arabesque」〜彼等の肉体でいっぱいの〜
幻想、人形、少年、ノスタルジー、そして稲垣足穂、タルコフ...
もうおわかりだろう。これらはみな、写真家・北村ケイが一途...
それでも不足というなら、澁澤龍彦、バタイユ、フーコー、さ...
熱狂的ファンを持つその濃厚でアンダーグラウンドな、北村ワ...
またしても、エロスとタナトス、比喩としての水、闇、肉体、...
わたしたち人間の素性が、健全な肉体が、逆説的にせよあらわ...
「彼らは新しく、奇妙で、美しい」 と北村はいう。
そんな北村ケイにとって、「写真」とは一体どういうものなの...
僕からみれば、北村ケイの写真は、彼女の体内からほとばしり...
ここにあるのは〈美のはかなさ〉ではなく、見分けのつかない...
北村ケイの写真は、写真とはことなる写真。まさにトランスフ...
れた〈舞台の上〉に〈写真〉がある。
それでも写真にとっての瞬間は失われてはいない。この幻想。...
生の否定へと働く グローバリズムの巨大な力は、世界の隅々ま...
までむさぼり続けようとしてやまない。
ニーチェは言っている 「芸術は、生の否定へのすべての意志に...
でっち挙げられた規範や道徳とは最も遠いところに、北村ケイ...
地続きなのである。
それらはまた、縛られ続ける従順なわたしたちの着衣を剥ぎ、...
...
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#aname(m11)
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*美術折々_11
末藤夕香 展
五月のつよい陽射し。
初夏の心地よい風とともに、目にも鮮やかな新緑溢れる季節の...
そんなまばゆい緑から抜け出てきたような、艶のある何種類も...
「オブジェ」を床や壁に配したものだった。
それらをいま僕は、仮にオブジェとよんでみたのだが、これら...
雑貨のようなレディ・メイド、もしくは手製のものだろうか。...
包み込むようにしてその「原型」を隠したものだ。
原型を隠すとは、それが持つ本来の機能や用途を一度閉ざすこ...
それは、「家具か小道具にも似た観葉植物」と声にしたくなる...
にはある。一見無造作に配置されたかにも見えるそれらのあい...
僕は彼女の部屋のことなど知るよしもないし、また実際の部屋...
時間を少し過去に戻すと、ある時期を境にこの作家は、それま...
もともと彫刻家として出発した初期から用いてきた石膏、樹脂...
なんどもフランスと福岡を往復しながら、彼女は何を見つめ考...
僕は早くからこの作家の、彫刻家としての才能に注目してきた...
でもよんでみたい願望に駆られる。
末藤夕香という作家は、いまも変わらず鼻っ柱がつよいのだろ...
かつてボルドー郊外の果てしなく続く葡萄畑の中を、愛車プジ...
猛スピードで疾走していた作家の姿が、いまも重なる。
鮮やかな新緑は、なおも作家を励ましてくれることだろう。 わ...
...
#lightbox(suefuji_s176.jpg,,70%)
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#aname(m10)
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*美術折々_10
「ART」と「アート」は、同じなのだろうか_その(1)
日本のカタカナ語彙の中で、この20年間で加速度的に氾濫した...
西欧語の「ART」の翻訳語として、この国では近代以降、それを...
きた。かつて西欧語の受容翻訳によってこの国は、さまざまな...
〈日本〉という近代を成し遂げてきたと言ってもよいだろう。...
だが今「アート」という言葉はそんな翻訳語が持っていた概念...
ものになってしまった。意味ではなく音(おん)のみが、口当...
ほとんどなし崩し的に「近代」そのものの財産が無化されてい...
もちろん、いまさら近代が消失して何がいけないのか、と言う...
しかし、〈ART〉を問うことと、〈アート〉を問うことは、同じ...
する二重の言語があるからだ。いまの世界を牽引するグローバ...
持ち、それ自体への問いを手放してはいない〈ART〉という概念...
わがカタカナの「アート」という気楽で空虚な響きを帯びた言...
でもなぜ、そんなことを百も承知で日本の現在の「美術業界」...
いわゆるポスト現代美術の受け皿としての「アート」は、いか...
合わせ持っているようにも見える。しかも、ここには既存の価...
否定性を骨抜きにした、グローバリズムのイデオロギーそのも...
僕はその「現代美術」崩壊の分水嶺を、約20年前の1995年頃だ...
ちなみにこの年は、ちょうど100周年を迎えた第46回ヴェネチア...
(興味ある方は歴代の日本代表作家を追ってみれば、日本の「...
また「アート」については、美術評論家の椹木野衣氏が、美術...
用いる」と表明している。
(2015年3月に刊行されたその単行本『後美術論』では本という...
その本文ではズバリ「日本語でアートはあらゆるものを指し示...
つまり、なんでもアートということだ。その通りだろう。
それでもさらに「むしろ、歴史や定義の重力から解き放たれた...
いまの空虚な「アート」を肯定するにせよ批判的に考えるにせ...
一度単行本を手に取ってみられてはいかがだろう。
そして、それらを踏まえた上でなお、そのような「アート」で...
なく、私たちが喪失した「美術」の、「芸術」の、空洞化の真...
...
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#aname(m09)
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*美術折々_09
安部義博 ・ 2015
このところモノクロームベースの個展が続いていたアートスペ...
鮮やかさと、一方で濁りくぐもった色彩とが入りまじる激しく...
こちらの目を一気にさませてくれた。
それは、初夏のつよい陽射しが突き刺さるような、荒ぶる筆触...
もちろん、私たちはかつての抽象表現主義やフォーマリズム、...
ない。だがことさら安部の作品にそれらを引き付けて「現在」...
ただ少なくとも、ポロックが自らの作品について「何かを絵の...
しかしこの「受動的になること」は、案外むずかしいものだ。...
意味内容を求めたくなる。だが受動的になるということは、自...
ひたすら、絵に添うこと。今風にいえば、全肯定。あるがまま...
むしろ人間というものは、視覚は、見えるものを「見えた通り...
じつは、見たいものしか見ていないというのは真実でもある。...
白いキャンヴァスを埋め尽くすように縦横無尽に描きなぐられ...
じしんの欲動のようにも見える。だとしてもそのどれ程を、私...
何かが、描かれようとしているようにも見えるが、もちろんそ...
複雑に入り組み、絡み合った画面そのもののように。何か答え...
つつ、描いた者も、そしてそれを見る者も、たがいに異なる場...
介して、ただ立ち尽くすしかないことだけは確かなようだ。
絵に対して「受動的に」なれるかどうかは、どうじに能動的に...
ポロックが語ったように「何かを絵の中に探すべきではない」...
いくら恣意的でさえあっても、やはり見ることの能動性の中に...
こうして安部義博の絵画に、いまも〈囲まれながら〉そんなこ...
...
...
#lightbox(abe_169.jpg,,80%)
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#aname(m08)
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*美術折々_08
柴田高志個展 「回帰」
これでもかこれでもかと、渦巻くように繰り返される細密な線...
凝視すればするほど、気の遠くなるようなその描線の行方に、...
それはこの作家が作画について語っているとおり、「エネルギ...
いることと無関係ではないようにも思う。つまり、絵というも...
感嘆するという傾向があり、それに対してこの作家はどこかで...
ないだろうか。
アートスペース貘での初個展から7年。これまでその作品の多く...
だが墨らしい滲みやぼかしはむしろ少なく、今回、蝋を垂らす...
ペン先から繰り出される「線」に執拗に拘ってきた作家と言っ...
すでにドローイング作品として賞を得るなど、その評価とこれ...
では、柴田高志はいったい何を描こうとしているのだろうか。...
画面。いや、もっと引き付けて読むなら、人や生き物の艶かし...
だが作家は、そのすべてにノンという。であるなら、私たちは...
ない。
かつて小林秀雄は、『ドストエフスキイ』の中で、「ドスト...
奇怪さ」だと言った。さらに「ドストエフスキイのいわゆる...
ある、この作家が傍若無人なリアリストであったことによる...
このような文をあえてここで引いたのは、唐突に過ぎるかもし...
しかし、ここには何か柴田高志の、作品の「内密」に触れるも...
もし柴田高志の絵をひとりの空想からではなく、うごめく「現...
するなら、この若い画家に見えているのは、美しくも醜悪な線...
は言えないだろうか。それが、彼の絵の「わからなさ」の魅力...
5月からは東京にも新たな拠点を持つという。いっそうの飛躍を...
...
...
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#aname(m07)
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*美術折々_07
Where have all the flowers gone?
桜の花咲く季節に、多少ともこの国に暮らしたことのある人な...
にも訪れた春とともにそこで味わう悦びや苦みを、誰しも少な...
そして満開の桜を愛でる人の波もまた、花の数に負けてはいな...
毎年花見客で賑わう舞鶴公園、福岡城跡のはずれ、東側の石垣...
ひっそりと建つのが、福岡市の鴻臚館跡展示館である。
この展示館は1995年、ちょうど今から20年前にできている。
建物の南東に広がるだだっぴろい敷地を囲むように土手が残っ...
大きな桜の並木があり、桜の頃になると僕は毎年ひとりここへ...
腰をおろし、その下のテニスコート(これも今はない)に散り...
この光景は、鴻臚館跡展示館ができる前、つまり20年以上前の...
でもなぜ、それと同時にあの大きな桜の並木はことごとく引き...
開発と遺跡発掘は、同じ硬貨の両面だと、ある専門家に教えら...
花の美しさというものに、異を称える人はおそらくいないだろ...
だが風景の変貌とは、ある日突然おとずれるものである。満開...
もろともに我をも具して散りね花
憂き世を厭ふ心ある身ぞ 西行
これは 「私も、この世を嫌に思っている。だから花よ、私を連...
意味の歌らしいが、
ここには歌人西行の、時代に対する違和、そして生と死への、...
かつてピーター・ポール&マリーがカバーした『花はどこへ行...
「いつになったらわかるのだろう」というフレーズがあるが、...
私たちに、一体、わかる、という日がいつか来るのだろうか、...
満開の桜が、いともたやすく喪われてしまわない、そんな春で...
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#aname(m06)
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*美術折々_06
六本松遠景
きのう、思い立ち久しぶりに、六本松まで歩いた。
この頃、この街へ行くのは、もっぱら蕎麦を食べる時のみにな...
昼前の開店早々に、暖簾をくぐる。店の奥からは、てきぱきと...
きょうは島根の酒、冷えた「王禄」を飲みながら、もりそばを...
そば湯が出てくる頃には、もう昼時だ。
さあそろそろ、席が埋まっていく店を後にしよう。
そうしてそこから別府橋大通りに出て東に向かえばすぐ、かつ...
(旧九大教養部)の、大きな空洞のような跡地が広がっている。
地下鉄七隈線六本松駅辺りの交差点からは、この空地越しに谷...
遠く見渡すことが、今なら出来るのだ。いまならと言ったのは...
複合施設が立ち、さらに裁判所、検察庁などの移転も控えてい...
「空洞」を、僕たちは他人事のようにして目撃していることに...
ここには、かつての学生達の賑わいも、あの闘争も、催涙弾の...
すでにない。古い記憶や感傷など何程のものか、とでもいいた...
新しいプロジェクトは、別種の「賑わいを創出しよう」と粛々...
なぜいつも、なんの謂われもなく、「風景」というものは、こ...
たとえ〈近代〉というものが消滅したにせよ、解体も再生も、...
延々と風景の「創出」は繰り返されて行くのだろうか。
その傍らにはいつもひとり、ぽつんと置き去りにされている、...
遠景とは、こうして眼の前に広がっているにも関わらず、同時...
葬り去ってきた、そしてこれからも生まれては葬り去って行く...
眩しすぎる未来の光景のことかもしれない。
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#aname(m05)
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*美術折々_05
春の雨
どんよりとした灰いろの空から降る、肌をぬらす柔らかな雨。
こんな午前の、遅い朝でも人影はすくなく、水辺もひときわ静...
濡れ落ち葉を掃く箒の慣れた音だけが、耳もとに届いてくる。
アスファルト。不意にひとりの男から行く道をさえぎられた。
いま撮影中なので、少しだけお待ち下さいという。通行止めだ。
どれ位待つのか、一瞬尋ねたかった。
すると、目の前をコートを着たモデルらしき若い女性が傘も差...
すぐさま、「カ-ット!」、「もう一度!」の声が響く、そして...
「すみませんでした」と、男がこちらにひと言。
何かがぎこちない。
まだみな目覚めていないような、もの静かな雨の撮影現場。
映画ほど機材やスタッフの数も大袈裟ではないので、
何かのコマーシャルかプロモーションものなのだろうか。
まさかこんな雨の朝を待っていたのか、いやいや、たまたま今...
ということだろうと、独り言ちて再び歩き始めたのだった。
~
#aname(m04)
~
*美術折々_04
逆転への意志
塚原舞加の初個展 「残り香」は、紙にインク、アクリル、鉛筆...
ドローイング的絵画ともいえるモノクローム作品。
3月30日より同画廊で個展予定の、柴田高志作品との類似性を指...
たやすい。だがむしろ、塚原舞加の作品の方が、絵画性がより...
また柴田高志ほど細部への執着や偏執な描線の繰り返しに重き...
何を描くべきか、なにを描こうとしているかの意識が、こちら...
細い線も、滲みも、すべてはそのために用いられているのだ。
ではそこにうごめいているのは、一体何だろう。人工と自然の...
エイリアンか、モンスターか…それとも無機物か。いや無論具体...
ないはずだ。未来とも現在ともつかないこの地の光景に、それ...
交じり、しかも確かに眼球をもつ 「生き物」として点在し、そ...
この若い作家はいう。
「血と内蔵までも地の引力に沿い、生きるための圧を受け入れ...
果してそれでよいだろうか。その全ての認識を根本から覆した...
真実を知る為に」と。そう、この小さくも、そして痛切な、逆...
だが、真実というものは容易には知りえない。
僕たちは、目先の適応関係に悩み振り回される必要などないは...
まさにうごめくような、〈この世界との不適応関係〉の中にこ...
埋もれていることに気づくべきではないか。
僕たちの、日々の危うい認識への懐疑として、自問として、こ...
見てみてはいかがだろう。
...
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#aname(m03)
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*美術折々_03
大塚咲×夕希 展_のこと
前回、じつはほとんどこの写真展のことに触れていないのに気...
つい少年との出会いに気を取られてしまったようだ。
だから、この展覧会「MEME」のことも少し。
ふたりの女のみを被写体にしたフルカラー作品。
それぞれのセルフポートレートが含まれてもいるが、
写真家・大塚咲の写真展といってもよいだろう。
濃密な吐息、噛みころすような声、火照った肌に滲み出す汗、...
じっとりと湿った、粘着質のものがそこかしこに溢れている。
すべては終ったのだろうか。
不在の女、あるいは男。ふたりの女に迫ったものの性そのもの...
いや、ここでは性の根拠そのものが見えないのだ。
朝霧にくるまれるように、いまも雨は降っている。
水辺の情景はすでに霞んでいた。
ついさっきまで愛したひとの姿が見えない。
ふたりの女はいったい何を想い、旅を続けたのだろうか。
冬も終る。そんな雨も、やがてあがるだろう。
同展は3月1日(...
#lightbox(yuki-4.jpg,,50%)
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#aname(m02)
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*美術折々_02
大塚咲X夕希 展
ちかい春の風がまじった昨夜とは違って、寒かったきょうの昼...
屋根裏貘のカウンターで、初めて来たというひとりの少年と出...
彼はひとつ置いた左の椅子に腰を下ろすなり、「ブラック」と...
懐かしい響きだ。
ブラック。もちろんコーヒーのことであるが、
つまり砂糖はいらないという注文のしかたである。
こんなオーダーの仕方ができる少年が持つ、懐かしさ。
そのまえに、僕は隣りの貘のギャラリーで、130点程もあろ...
ふたりの女の吐息に充ちた生々しい写真の「熱」に接したばか...
初めて会ったこの色白の華奢な少年と、彼が吐いたブラックの...
当然その写真を見てきたであろう彼と、女たちの艶かしさを
重ねずにはおれなかったのだ。
~
#aname(m01)
~
*美術折々_01
はじまりに
今回から「貘」のサイトの中に『元村正信の美術折々』という...
頂くことになった。「日記」ではないので、毎日更新という訳...
アートスペース貘で毎月見る展覧会の中からの感想を中心に、...
「屋根裏貘」のカウンター越しに触れた人間模様、あるいは日...
折々にすれ違った光景など、時には写真も交えながら、気の向...
すこしづつ綴って行こうと思っている。
たまには、息抜きがてら覗いていただければ幸いです。
...
~
~
終了行:
&color(red){当ページは、システムの移行中です。作業完了ま...
美術家・元村正信氏に、アートスペース貘で見た展覧会の感想や
折々の事などを、美術を中心に気の向くままに書いてもらいま...
……………………………………………………………………………………………………………………………………
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-[[美術折々_05 春の雨>#m05]]
-[[美術折々_04 逆転への意志 塚原舞加個展 「残り香」>...
-[[美術折々_03 大塚咲×夕希展、のこと>#m03]]
-[[美術折々_02 大塚咲X夕希展>#m02]]
-[[美術折々_01 はじまりに>#m01]]
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#aname(m18)
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*美術折々_18
宿題のおわりと、はじまり
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思えばこのブログも、2ヵ月ものあいだ放置したままだった。
いつものことだけれど僕の場合、個展が近づくにつれて「言葉...
話したり、書いたり、本を読むことさえ億劫になり、どれも手...
落ちいってくる。濃密な制作の時間というものは、他のものを...
いやいや、要するに、日頃でもない余裕が、ますますなくなっ...
その個展も、やっときのう無事に初日を迎えることができた。
作品の「出来」については、見てくれる方々に委ねるしかない。
いまは少しの安堵に息をつきながら、またこのブログも少しず...
もし、お時間あれば、足を運んでいただき、ご批評をいただけ...
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#aname(m17)
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*美術折々_17
あるはずの 「境界」 、ないはずの 「境界」
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先日、ある若い画家が自身のブログで、同じ世代の別の若い画...
かなり鋭く的確な指摘で、注意深く読んだ。
そこでは、「絵画とイラストの違い」について触れながら、そ...
「イラスト」に見えたというもの。それは、なにもイラストで...
そう指摘した若い画家自身、「イラストと絵画」の違いは明確...
じつは僕が注視するのは、「イラストと絵画の違い」、「アー...
その身近かな例が、8月2日まで佐賀市の佐賀県立美術館で開か...
佐賀市出身のプロダクト・デザイナー吉岡徳仁による 「吉岡徳...
半透明のストローを大量に使ったその作品は、まさに「インス...
それはちょうど、たやすく 国境を超えて行くグローバルな「資...
かたくなに国境を、領土を、主張する「国家」との関係にも似...
意識させながら、そのいずれでもない、ニュートラルで無国籍...
だがそこには、これからあろうとする 〈美術〉 への問いかけ...
そして、もうひとつそんな 〈境界〉 を考えさせてくれる展覧...
8月23日まで福岡市美術館 2階 企画展示室で開かれている 「彫...
同館所蔵の、高村光雲、山崎朝雲、荻原守衛といった日本近代...
ここでは 「彫刻/人形」 というように、異なる二つの表現を...
ただそこには、そのあいだの領域ともとれる、つまり人形とも...
ここで 「困惑」 というのは、先に言った〈境界〉を巡る超え...
おそらく、彫刻と人形は違うと、多くは思うだろう。確かに異...
〈境界〉はあるにしてもどのようにあり、〈境界〉がないにし...
すでに 〈リアル〉 であることも、なんらその通りの 〈現実〉...
ただことわっておくが、僕は 〈表現〉 というものに、もはや...
いる。
「美術」もまた、〈境界なき広がり〉の趨勢に抗いながら、美...
(2015.07.29)
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#aname(m16)
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*美術折々_16
「わかりえない」ということ_(1)
先月、6月29日(月曜日)付の日本経済新聞朝刊文化面。
「『孫たちの戦後70年』 創作・研究の現場から」 という連載...
ひと口に戦争体験者の孫たちの世代(創作・研究現場にいる)...
「戦争体験」の、いっさいの記憶も、風化も、そしてその継承...
わたしたちの今の〈日常の体験〉とは、その〈戦争〉とどう違...
日本の、戦後という空間の「成長」、その裏返しとしての凄ま...
ながら、グローバルな「富の偏在」 がもたらす、快楽と格差の...
やがて、この国の「戦争体験者」もほとんど途絶える時が来る...
せよ。そのとき、未来のわたしたちは〈戦争体験の不可能性〉 ...
親と子、その「孫たち」は一体どう〈生きよう〉としているの...
長い前置きになってしまった。
さてその連載1回目に、沖縄を拠点に活動する気鋭の美術家・山...
いた。
山城知佳子といえば、福岡では2年前の、2013年 福岡アジア美...
今回、日経新聞の記事は、彼女の2009年の映像作品『あなたの...
山城知佳子の試行とその作品を手がかりに、孫たちの世代にと...
僕が関心を持ったのは、なにも山城が沖縄で生まれ育ち、そし...
いるからではない。
むろんそのことは、いくらでも語り語られてよいことではある...
この『決して共有できない』という感覚は、かなり重いことな...
重視する「表現」のありようとはまったく 逆のベクトルが、こ...
他者の記憶を継承することの 〈圧倒的な困難〉 を前提に山城...
ちなみに、この連載の5回目(7月3日付)で、劇作家の古川健(...
この両者には「わかろうとする」ことよりも、「わかりえない...
僕は当然のように、ジョルジュ・バタイユのあの言葉、 「伝達...
ここでも反芻する。さらにまた、死を 「経験できないものの経...
それでも山城知佳子の作品に通奏低音のように響き渡る、唄、...
山城知佳子の、映像は、言葉は、身振りは、そういう困難きわ...
僕には思えるのだ。
(2015.07.04)
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#aname(m15)
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*美術折々_15
山本豊子 「fog_signal」
アートスペース貘では6年振りの個展。
山本豊子の作品をはじめて貘で見てから17年が経つ。福岡の他...
見たことになる。
褐色を含めほぼモノクロームといってもよいそれらの作品は、...
白いバスタブに鉄の四肢を付けたもの。あるいは木の机と椅子...
用いている。いずれも「版」にとどまらない、物質性のつよい...
ちなみにこれまでの個展のタイトルをいくつか挙げれば、「達...
いやいやこんなことで、見る者はひるむ訳にはゆかない。むし...
他の「オブジェ」だってそうだ。じつにシンプル。作家が企図...
それでも山本豊子の、この「寓意」に充ちたモノクロームの世...
僕は以前から彼女の作品を見ながら、あのジュール・ヴェルヌ...
この作家が、どのようなことを思い、何を考え、制作している...
だが僕なりに解釈すれば、表層のみが露出し消費されてやまな...
ないだろうか。
これは、物語の再生でも記憶でもない。 なぜ私たちはかつて ...
重なっているように思えるのだ。
...
同じく 7月5日(日)まで 福岡市南区平和1-2-23 森山ビル1F の
ギャラリー M.A.P でも 版画とドローイングによる個展_山本...
西鉄平尾駅から筑肥新道を小笹方面へ徒歩で約8分。合わせて見...
http://gallerymap.jp
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#aname(m14)
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*美術折々_14
今田淳子 個展
それは磔刑(たっけい)の十字架にさらされた人の化身か、あ...
ここには、西洋からの疎外と東洋の果てとのはざまで、長い異...
いないだろうか。
画廊の四方の壁のひとつだけを使い、天井近くの壁に張り出し...
習俗、血縁、その息苦しさや煩わしさゆえに、わたしたちがど...
なまめかしく再来したかのようにも見えた。
じつは僕がこの20年以上、どんな作品(絵画や彫刻を含め、物...
語るにせよ、さまざまな素材に沿いながらも、「インスタレー...
慎重に避けながら、場合によっては敢えて 「オブジェ」という...
今田淳子の作品もDMの表記にしたがって言うのなら、新作の 「...
しかし何度でもいうが、 「INSTALLATION」 と「インスタレー...
同一のものとして語るには無理がある。その齟齬を無視して粗...
たくはないからなのだ。そういう平板な語りこそ、日本の、も...
することにならないだろうか。
今回の今田淳子の 「INSTALLATION」 を、僕は「わたしたちが...
空虚な「アート」への批判にもなりえていると思うのだが、い...
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#aname(m13)
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*美術折々_13
梅雨のほとりにて
若かった頃は、いつも春先になると言いようのない不安に戸惑...
それは少年少女の、不安定な心もようだけでなく、ものみな芽...
華奢でやわらかな体つきそのものから来るものだったのかも知...
やっと二十歳を過ぎ、ちょうどそんな不安と入れ替わるように...
そうしながら何度も個展や発表の場数を重ねるうちに、そうい...
よく、夢うつつというけれど、いまだってどこまでが夢で、何...
「夢が現実になった」という話しはどこかで聞くことがある。...
ほんとうにあるのだろうか。
一見当たり前のように「ある」と思い込んでいる目の前の現実...
現実 》であることを、わたしたちはそれを敢えて遠ざけること...
虚偽は付け込むのだが )かろうじて現実(あるいは夢)という...
だから、夢と現実が、ぴったりと重なりあうことはないはずな...
初夏のあと、梅雨のほとり。穏やかな青灰色の水面の果てには...
(2015.06.10)
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#aname(m12)
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*美術折々_12
北村ケイ写真展 「arabesque」〜彼等の肉体でいっぱいの〜
幻想、人形、少年、ノスタルジー、そして稲垣足穂、タルコフ...
もうおわかりだろう。これらはみな、写真家・北村ケイが一途...
それでも不足というなら、澁澤龍彦、バタイユ、フーコー、さ...
熱狂的ファンを持つその濃厚でアンダーグラウンドな、北村ワ...
またしても、エロスとタナトス、比喩としての水、闇、肉体、...
わたしたち人間の素性が、健全な肉体が、逆説的にせよあらわ...
「彼らは新しく、奇妙で、美しい」 と北村はいう。
そんな北村ケイにとって、「写真」とは一体どういうものなの...
僕からみれば、北村ケイの写真は、彼女の体内からほとばしり...
ここにあるのは〈美のはかなさ〉ではなく、見分けのつかない...
北村ケイの写真は、写真とはことなる写真。まさにトランスフ...
れた〈舞台の上〉に〈写真〉がある。
それでも写真にとっての瞬間は失われてはいない。この幻想。...
生の否定へと働く グローバリズムの巨大な力は、世界の隅々ま...
までむさぼり続けようとしてやまない。
ニーチェは言っている 「芸術は、生の否定へのすべての意志に...
でっち挙げられた規範や道徳とは最も遠いところに、北村ケイ...
地続きなのである。
それらはまた、縛られ続ける従順なわたしたちの着衣を剥ぎ、...
...
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#aname(m11)
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*美術折々_11
末藤夕香 展
五月のつよい陽射し。
初夏の心地よい風とともに、目にも鮮やかな新緑溢れる季節の...
そんなまばゆい緑から抜け出てきたような、艶のある何種類も...
「オブジェ」を床や壁に配したものだった。
それらをいま僕は、仮にオブジェとよんでみたのだが、これら...
雑貨のようなレディ・メイド、もしくは手製のものだろうか。...
包み込むようにしてその「原型」を隠したものだ。
原型を隠すとは、それが持つ本来の機能や用途を一度閉ざすこ...
それは、「家具か小道具にも似た観葉植物」と声にしたくなる...
にはある。一見無造作に配置されたかにも見えるそれらのあい...
僕は彼女の部屋のことなど知るよしもないし、また実際の部屋...
時間を少し過去に戻すと、ある時期を境にこの作家は、それま...
もともと彫刻家として出発した初期から用いてきた石膏、樹脂...
なんどもフランスと福岡を往復しながら、彼女は何を見つめ考...
僕は早くからこの作家の、彫刻家としての才能に注目してきた...
でもよんでみたい願望に駆られる。
末藤夕香という作家は、いまも変わらず鼻っ柱がつよいのだろ...
かつてボルドー郊外の果てしなく続く葡萄畑の中を、愛車プジ...
猛スピードで疾走していた作家の姿が、いまも重なる。
鮮やかな新緑は、なおも作家を励ましてくれることだろう。 わ...
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#aname(m10)
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*美術折々_10
「ART」と「アート」は、同じなのだろうか_その(1)
日本のカタカナ語彙の中で、この20年間で加速度的に氾濫した...
西欧語の「ART」の翻訳語として、この国では近代以降、それを...
きた。かつて西欧語の受容翻訳によってこの国は、さまざまな...
〈日本〉という近代を成し遂げてきたと言ってもよいだろう。...
だが今「アート」という言葉はそんな翻訳語が持っていた概念...
ものになってしまった。意味ではなく音(おん)のみが、口当...
ほとんどなし崩し的に「近代」そのものの財産が無化されてい...
もちろん、いまさら近代が消失して何がいけないのか、と言う...
しかし、〈ART〉を問うことと、〈アート〉を問うことは、同じ...
する二重の言語があるからだ。いまの世界を牽引するグローバ...
持ち、それ自体への問いを手放してはいない〈ART〉という概念...
わがカタカナの「アート」という気楽で空虚な響きを帯びた言...
でもなぜ、そんなことを百も承知で日本の現在の「美術業界」...
いわゆるポスト現代美術の受け皿としての「アート」は、いか...
合わせ持っているようにも見える。しかも、ここには既存の価...
否定性を骨抜きにした、グローバリズムのイデオロギーそのも...
僕はその「現代美術」崩壊の分水嶺を、約20年前の1995年頃だ...
ちなみにこの年は、ちょうど100周年を迎えた第46回ヴェネチア...
(興味ある方は歴代の日本代表作家を追ってみれば、日本の「...
また「アート」については、美術評論家の椹木野衣氏が、美術...
用いる」と表明している。
(2015年3月に刊行されたその単行本『後美術論』では本という...
その本文ではズバリ「日本語でアートはあらゆるものを指し示...
つまり、なんでもアートということだ。その通りだろう。
それでもさらに「むしろ、歴史や定義の重力から解き放たれた...
いまの空虚な「アート」を肯定するにせよ批判的に考えるにせ...
一度単行本を手に取ってみられてはいかがだろう。
そして、それらを踏まえた上でなお、そのような「アート」で...
なく、私たちが喪失した「美術」の、「芸術」の、空洞化の真...
...
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#aname(m09)
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*美術折々_09
安部義博 ・ 2015
このところモノクロームベースの個展が続いていたアートスペ...
鮮やかさと、一方で濁りくぐもった色彩とが入りまじる激しく...
こちらの目を一気にさませてくれた。
それは、初夏のつよい陽射しが突き刺さるような、荒ぶる筆触...
もちろん、私たちはかつての抽象表現主義やフォーマリズム、...
ない。だがことさら安部の作品にそれらを引き付けて「現在」...
ただ少なくとも、ポロックが自らの作品について「何かを絵の...
しかしこの「受動的になること」は、案外むずかしいものだ。...
意味内容を求めたくなる。だが受動的になるということは、自...
ひたすら、絵に添うこと。今風にいえば、全肯定。あるがまま...
むしろ人間というものは、視覚は、見えるものを「見えた通り...
じつは、見たいものしか見ていないというのは真実でもある。...
白いキャンヴァスを埋め尽くすように縦横無尽に描きなぐられ...
じしんの欲動のようにも見える。だとしてもそのどれ程を、私...
何かが、描かれようとしているようにも見えるが、もちろんそ...
複雑に入り組み、絡み合った画面そのもののように。何か答え...
つつ、描いた者も、そしてそれを見る者も、たがいに異なる場...
介して、ただ立ち尽くすしかないことだけは確かなようだ。
絵に対して「受動的に」なれるかどうかは、どうじに能動的に...
ポロックが語ったように「何かを絵の中に探すべきではない」...
いくら恣意的でさえあっても、やはり見ることの能動性の中に...
こうして安部義博の絵画に、いまも〈囲まれながら〉そんなこ...
...
...
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#aname(m08)
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*美術折々_08
柴田高志個展 「回帰」
これでもかこれでもかと、渦巻くように繰り返される細密な線...
凝視すればするほど、気の遠くなるようなその描線の行方に、...
それはこの作家が作画について語っているとおり、「エネルギ...
いることと無関係ではないようにも思う。つまり、絵というも...
感嘆するという傾向があり、それに対してこの作家はどこかで...
ないだろうか。
アートスペース貘での初個展から7年。これまでその作品の多く...
だが墨らしい滲みやぼかしはむしろ少なく、今回、蝋を垂らす...
ペン先から繰り出される「線」に執拗に拘ってきた作家と言っ...
すでにドローイング作品として賞を得るなど、その評価とこれ...
では、柴田高志はいったい何を描こうとしているのだろうか。...
画面。いや、もっと引き付けて読むなら、人や生き物の艶かし...
だが作家は、そのすべてにノンという。であるなら、私たちは...
ない。
かつて小林秀雄は、『ドストエフスキイ』の中で、「ドスト...
奇怪さ」だと言った。さらに「ドストエフスキイのいわゆる...
ある、この作家が傍若無人なリアリストであったことによる...
このような文をあえてここで引いたのは、唐突に過ぎるかもし...
しかし、ここには何か柴田高志の、作品の「内密」に触れるも...
もし柴田高志の絵をひとりの空想からではなく、うごめく「現...
するなら、この若い画家に見えているのは、美しくも醜悪な線...
は言えないだろうか。それが、彼の絵の「わからなさ」の魅力...
5月からは東京にも新たな拠点を持つという。いっそうの飛躍を...
...
...
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#aname(m07)
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*美術折々_07
Where have all the flowers gone?
桜の花咲く季節に、多少ともこの国に暮らしたことのある人な...
にも訪れた春とともにそこで味わう悦びや苦みを、誰しも少な...
そして満開の桜を愛でる人の波もまた、花の数に負けてはいな...
毎年花見客で賑わう舞鶴公園、福岡城跡のはずれ、東側の石垣...
ひっそりと建つのが、福岡市の鴻臚館跡展示館である。
この展示館は1995年、ちょうど今から20年前にできている。
建物の南東に広がるだだっぴろい敷地を囲むように土手が残っ...
大きな桜の並木があり、桜の頃になると僕は毎年ひとりここへ...
腰をおろし、その下のテニスコート(これも今はない)に散り...
この光景は、鴻臚館跡展示館ができる前、つまり20年以上前の...
でもなぜ、それと同時にあの大きな桜の並木はことごとく引き...
開発と遺跡発掘は、同じ硬貨の両面だと、ある専門家に教えら...
花の美しさというものに、異を称える人はおそらくいないだろ...
だが風景の変貌とは、ある日突然おとずれるものである。満開...
もろともに我をも具して散りね花
憂き世を厭ふ心ある身ぞ 西行
これは 「私も、この世を嫌に思っている。だから花よ、私を連...
意味の歌らしいが、
ここには歌人西行の、時代に対する違和、そして生と死への、...
かつてピーター・ポール&マリーがカバーした『花はどこへ行...
「いつになったらわかるのだろう」というフレーズがあるが、...
私たちに、一体、わかる、という日がいつか来るのだろうか、...
満開の桜が、いともたやすく喪われてしまわない、そんな春で...
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#aname(m06)
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*美術折々_06
六本松遠景
きのう、思い立ち久しぶりに、六本松まで歩いた。
この頃、この街へ行くのは、もっぱら蕎麦を食べる時のみにな...
昼前の開店早々に、暖簾をくぐる。店の奥からは、てきぱきと...
きょうは島根の酒、冷えた「王禄」を飲みながら、もりそばを...
そば湯が出てくる頃には、もう昼時だ。
さあそろそろ、席が埋まっていく店を後にしよう。
そうしてそこから別府橋大通りに出て東に向かえばすぐ、かつ...
(旧九大教養部)の、大きな空洞のような跡地が広がっている。
地下鉄七隈線六本松駅辺りの交差点からは、この空地越しに谷...
遠く見渡すことが、今なら出来るのだ。いまならと言ったのは...
複合施設が立ち、さらに裁判所、検察庁などの移転も控えてい...
「空洞」を、僕たちは他人事のようにして目撃していることに...
ここには、かつての学生達の賑わいも、あの闘争も、催涙弾の...
すでにない。古い記憶や感傷など何程のものか、とでもいいた...
新しいプロジェクトは、別種の「賑わいを創出しよう」と粛々...
なぜいつも、なんの謂われもなく、「風景」というものは、こ...
たとえ〈近代〉というものが消滅したにせよ、解体も再生も、...
延々と風景の「創出」は繰り返されて行くのだろうか。
その傍らにはいつもひとり、ぽつんと置き去りにされている、...
遠景とは、こうして眼の前に広がっているにも関わらず、同時...
葬り去ってきた、そしてこれからも生まれては葬り去って行く...
眩しすぎる未来の光景のことかもしれない。
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#aname(m05)
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*美術折々_05
春の雨
どんよりとした灰いろの空から降る、肌をぬらす柔らかな雨。
こんな午前の、遅い朝でも人影はすくなく、水辺もひときわ静...
濡れ落ち葉を掃く箒の慣れた音だけが、耳もとに届いてくる。
アスファルト。不意にひとりの男から行く道をさえぎられた。
いま撮影中なので、少しだけお待ち下さいという。通行止めだ。
どれ位待つのか、一瞬尋ねたかった。
すると、目の前をコートを着たモデルらしき若い女性が傘も差...
すぐさま、「カ-ット!」、「もう一度!」の声が響く、そして...
「すみませんでした」と、男がこちらにひと言。
何かがぎこちない。
まだみな目覚めていないような、もの静かな雨の撮影現場。
映画ほど機材やスタッフの数も大袈裟ではないので、
何かのコマーシャルかプロモーションものなのだろうか。
まさかこんな雨の朝を待っていたのか、いやいや、たまたま今...
ということだろうと、独り言ちて再び歩き始めたのだった。
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#aname(m04)
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*美術折々_04
逆転への意志
塚原舞加の初個展 「残り香」は、紙にインク、アクリル、鉛筆...
ドローイング的絵画ともいえるモノクローム作品。
3月30日より同画廊で個展予定の、柴田高志作品との類似性を指...
たやすい。だがむしろ、塚原舞加の作品の方が、絵画性がより...
また柴田高志ほど細部への執着や偏執な描線の繰り返しに重き...
何を描くべきか、なにを描こうとしているかの意識が、こちら...
細い線も、滲みも、すべてはそのために用いられているのだ。
ではそこにうごめいているのは、一体何だろう。人工と自然の...
エイリアンか、モンスターか…それとも無機物か。いや無論具体...
ないはずだ。未来とも現在ともつかないこの地の光景に、それ...
交じり、しかも確かに眼球をもつ 「生き物」として点在し、そ...
この若い作家はいう。
「血と内蔵までも地の引力に沿い、生きるための圧を受け入れ...
果してそれでよいだろうか。その全ての認識を根本から覆した...
真実を知る為に」と。そう、この小さくも、そして痛切な、逆...
だが、真実というものは容易には知りえない。
僕たちは、目先の適応関係に悩み振り回される必要などないは...
まさにうごめくような、〈この世界との不適応関係〉の中にこ...
埋もれていることに気づくべきではないか。
僕たちの、日々の危うい認識への懐疑として、自問として、こ...
見てみてはいかがだろう。
...
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#aname(m03)
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*美術折々_03
大塚咲×夕希 展_のこと
前回、じつはほとんどこの写真展のことに触れていないのに気...
つい少年との出会いに気を取られてしまったようだ。
だから、この展覧会「MEME」のことも少し。
ふたりの女のみを被写体にしたフルカラー作品。
それぞれのセルフポートレートが含まれてもいるが、
写真家・大塚咲の写真展といってもよいだろう。
濃密な吐息、噛みころすような声、火照った肌に滲み出す汗、...
じっとりと湿った、粘着質のものがそこかしこに溢れている。
すべては終ったのだろうか。
不在の女、あるいは男。ふたりの女に迫ったものの性そのもの...
いや、ここでは性の根拠そのものが見えないのだ。
朝霧にくるまれるように、いまも雨は降っている。
水辺の情景はすでに霞んでいた。
ついさっきまで愛したひとの姿が見えない。
ふたりの女はいったい何を想い、旅を続けたのだろうか。
冬も終る。そんな雨も、やがてあがるだろう。
同展は3月1日(...
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#aname(m02)
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*美術折々_02
大塚咲X夕希 展
ちかい春の風がまじった昨夜とは違って、寒かったきょうの昼...
屋根裏貘のカウンターで、初めて来たというひとりの少年と出...
彼はひとつ置いた左の椅子に腰を下ろすなり、「ブラック」と...
懐かしい響きだ。
ブラック。もちろんコーヒーのことであるが、
つまり砂糖はいらないという注文のしかたである。
こんなオーダーの仕方ができる少年が持つ、懐かしさ。
そのまえに、僕は隣りの貘のギャラリーで、130点程もあろ...
ふたりの女の吐息に充ちた生々しい写真の「熱」に接したばか...
初めて会ったこの色白の華奢な少年と、彼が吐いたブラックの...
当然その写真を見てきたであろう彼と、女たちの艶かしさを
重ねずにはおれなかったのだ。
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#aname(m01)
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*美術折々_01
はじまりに
今回から「貘」のサイトの中に『元村正信の美術折々』という...
頂くことになった。「日記」ではないので、毎日更新という訳...
アートスペース貘で毎月見る展覧会の中からの感想を中心に、...
「屋根裏貘」のカウンター越しに触れた人間模様、あるいは日...
折々にすれ違った光景など、時には写真も交えながら、気の向...
すこしづつ綴って行こうと思っている。
たまには、息抜きがてら覗いていただければ幸いです。
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