calendar_viewer 元村正信の美術折々/2018-04

2018/4/30 (月)

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美術折々_144

不思議な子の国

母いわく。
「石炭は、軽くて艶があって、真っ黒い」。
「ボタは、石みたいに重くて、艶がないし色も悪い」。

昨夜、はじめてこの話を聞いた。
それももう75年ほど前の、戦時中のことだ。
戦争のことは、これまでも母からは色々聞いてはいた。

そしてその話の最後に、ぽつりとこう言うのだった。
「不思議な子供が生まれたもの」だと。
むろんこれは、不肖、僕のことなのだが。

でもなぜか、その「子供」が僕には戦後のこの日本の、この国のことに思えた。
そう響いて聞こえたのだった。

しかしその「不思議」さは、石炭もボタもそれに絡んだ全ての利益と残虐を廃絶してもなお、生き延びる「国家」というものの、今のいびつなこの国の相貌以外の何ものでもないだろう。

2018/4/24 (火)

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美術折々_143

見ることの可能性と不可能性 (4)

ではいったい、なにが「芸術」と「芸術ではないもの」とを分け隔てているのか。いやむしろボーダーレスな
現在だからこそ、その境界を、分け隔てているものを、超えて行けばいいのだという考え方があるのを、僕も
知らない訳ではない。

おそらく「芸術」という領域にこだわらなければ、芸術を無化してしまえば、どこへでも行けるし何にでもなれる。自由になれる。だがそこでは、藤枝晃雄が28年前に言い切ったように「あらゆるものが芸術になるという
ことは、実にすべてのものが芸術にはならない」(『現代芸術の状況』)という世界が出現することになる。2018年の、この現在というのは、きっと現実としてこのような光景が広がっているのではないかと僕は思って
いる。もちろんいまでは「芸術」ではなく「アート」と呼ぶが。

「アート」と名の付くものと異分野とのコラボや賑わい。そしてそのような活況あるいは活性化への期待は、
芸術に「関心なき」ものの「アート」体験への大いなる誘いである。「アート」という親しみやすさ、親近感や参加型体験をうたう誰でもアーティストの時代。一方で「芸術」というものを勝手に高尚なものとし、近寄り
がたさやその精神性を強調して見せる。いまでは美学者でさえそう公言する人もいるほどだ。

「アート」と「芸術」を巧く使い分けながら、《芸術》そのものを問おうとしない。ボーダーレスと言いながらアートを分かりやすく囲い、「芸術」を疎み退けようとするのである。それがいわゆる芸術の「緩和・拡大」へとつながっているのだ。この「緩和・拡大」のことを美術家の森村泰昌が、4年程まえの自著のなかで分かりやすい解釈を披露してくれているのでここに引いておこう。

「『美術』のかわりに『アート』というカタカナ三文字がとってかわろうとしている。『美術』から『アート』へ。この美のカジュアル化現象は、もうあと戻りが難しいのかもしれません」。そして、「私はこうした旧来の芸術の枠組みをとっぱらった動向を、『芸術における規制緩和』と呼んでみたいと思います」。 
( 『美術、応答せよ!』 筑摩書房、2014 )

要するに森村泰昌は、カジュアル化したカタカナの「アート」というものを、「芸術の規制緩和」によって出現するものをあたらしき「自由な世界」として肯定的にとらえているようだ。ただここで森村の言う「規制緩和」や「旧来の芸術の枠組みをとっぱらった」後に現れるものが、そのまま「アート」なのか、それとも芸術の枠組みを撤廃した自由な「アートなき」世界なのか。はたしてそのどちらなのだろうか。たとえ「芸術の枠組み」というものがあったとしても、固定的であったことなどかつてあったのだろうか。

何度も言うように、いまだ「美術/芸術」というものは定義しえない。しかしなぜ芸術の領域が、ことのほか鋭利な「感性」そのものを表現の根拠として必要としてきたのか。歴史上の様々な「技術」とは異なる、「美術」
あるいは「芸術」という領域をなぜ必要としたのだろうか。おそらくそれは《芸術》でなければならない何か。先鋭的な否定や問いがあったからだと思える。

見るという、踊るという、歌うという、奏でるという、何かを刻むという、自らの手で感性それ自体の〈声〉を自律させんがために、それを鋭く研ぎ澄まそうとする衝迫と向き合ってきたからではなかったのか、延々と。

もしそのような行為のどれもが「芸術である必要がないのなら」。私たちは「芸術を捨て去ればよい」のだ。
芸術の〈遺産〉ならいくらでもこの世界にはある。「アート」を問わないまま、「アート」へ逃避することは、たやすい。「アート」と「芸術」を巧く使い分け上手く行けば、ひと財産ができるかも知れない。社会的地位や名誉も力も降って来るかもしれない。

でも一体、いつどこでなぜこれほどまでに「芸術」は置き去りにされようとしているのか。煩わしくも疎まれているのか。それでも「芸術」は、「感性」は、抵抗することによって結晶しなければならないはずだ。でなければ、《芸術》は過去だけのものとなってしまうだろう。僕はいつもそう思っている。

〈見ることの可能性〉とは、すでに「見る」ことが崩壊した後の可能性であり、その〈不可能性〉とは、いまだ「見る」ことが達成されてはいないことの不可能性のことなのである。これはすくなくとも「芸術」への
終わらない答えのない、私たちにとっての問いなのではないだろうか。

2018/4/18 (水)

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美術折々_142

見ることの可能性と不可能性 (3)

「美術/芸術」体験のなかで起こる快不快、満足不満足や分かる分からないという〈感情〉に、とうぜん「美」は介在していた。カント的に言うなら、つまり目の前の作品がどんな作品であろうとそこになんの「関心」が
なくても、それがどう見えているか、美か醜か、良い悪い、優劣といった〈美的判断〉が誰にでもできるということである。そのような能力が私たちには備わっているということなのだ。

だから満足を与えるものは誰にとっても「美しい」といことになる。つまり普遍性をもつという訳だ。

「自然」に対して区別された「技術」というものからさらに「美術/芸術」が自律した領域を確立しえたのは、
自然とも人工としての技術とも異なる〈美という価値〉が、「作品」というものに見出されたからであったことを一応念頭においておく必要がある。

だがいま、「見るまえに見せられている」私たちの〈視覚〉は、「見る」ということは、普遍的な「美しさ」に感動することはあるにしても、〈美という価値〉はかならずしも重要なことではなくなっている。むしろ〈美〉というものは揺らいでいるのではないか。

僕は前回、いまや「見ることは散乱・散逸している」と言った。
このことは「美術/芸術」の体験が、「アート」というエンターテインメントの方へ、コミュニケーションや
人と人とのつながり、いわゆる関係性の方に重きを置くようになっていることとも無関係ではない。「見る」
という体験が、「アート」を体験するという「関心なき」体験になっているのだ。

かつて、アーサー・C・ダントーは『芸術の終焉のあと』(三元社、2017)のなかで、「美がそうなったように、視覚性もまた芸術の本質にほとんど関係がないものとして重要性をうしないつつある」と語っていた。

もはや「美」も「視覚」も、〈関心なき体験〉にあっては副次的なものにすぎない。
極端にいえば、見てはいなくても見ることはできる。体験することはできる。だからここでの体験は、すでに
美か醜かの争いではなく、キレイ、カワイイ、気持ちいい、あるいは楽しい、愉快といった肯定的感覚が圧倒的多数を占めるようになる。

では「美術/芸術」にしかできない体験というものが、いまだあるとするなら、それは一体どのようにしてあるのだろうか。「ものを見ることの意味が失墜した」(岡崎乾二郎)のであるのなら、「見えないものを見る」
(ミシェル・アンリ)という眼こそ私たちにはもっと必要なのではないか。

「美術/芸術」にとって、見るという主体はなおも保持されるであろうが、一方で見えないものをも手放す訳
には行かない。さらにいっそう、美や視覚をつき抜けて抵抗する感性が求められてはいないだろうか。

「芸術」とはそのような主体が、感性が、抵抗することによって結晶しようとするもののみに与えられる領域のことだと、再び言っておこう。いまだ「美術/芸術」というものが定義しえないものだとしても。

いったいなにが、「芸術」と「芸術ではないもの」とを分け隔てているのか、それを問わずして何も始まらないし終りもしない。

2018/4/11 (水)

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美術折々_141

見ることの可能性と不可能性 (2)

現在における「美術/芸術」体験が直面するものを考える時、先に岡崎乾二郎が指摘した「ものを見ることの
意味が失墜した」ということの方にもう少し近づいてみよう。ほんらい視覚とは、肉眼を見開いたときに外界
からの光の刺激を受けるとめる感覚のことだが、問題はこの「眼を見開く」ということが、いったい何にまず
向けられているか、ということだろう。

岡崎が、視覚メディアの発展は「視覚の可能性の拡大ではなく、人が実際に何かを見ることの意味、価値を失墜させた」というとき、今では見ることのできる世界は直接的経験なしにあらかじめ拡大されているのに、私たちの「眼」という、見るという視覚の機能そのものは、逆に視覚の不可能性の方へ 、「見ない/見えない」ことの
方に傾いているのではないかと僕は思う。

例えばある料理店での若い二人連れの光景。たがいに端末を手にしている。それを見ては会話をしながら料理がくるとすぐインスタにあげる。相手を見つめているのか、会話を楽しんでいるのか、食事を味わっているのか。おそらくそのどれもでありながら、それらのどれでもない状態がここにある。つまりそれらの行為、身体の
すべてに「端末」は絡みながら、時間は進み空間はそのような場としてそこで「視覚」は消費されている。
そのようにして視覚は、感覚は、身体のそとへ〈散乱〉しているのだ。

こうして「視覚」は徐々に、あるいは急激に、疎外されているのではないか。

じかに見るという経験は、じつは単に見えるというだけのことだけではないはずだ。「見える」ということは、様々な明暗や色彩、奥行きや運動あるいは意識しないものまでをも受容し、同時にそこに触覚や聴覚といった
他の感覚をも統合し、目の前の現実を体験しようとしているはずなのに、私たちはその感覚のあまりの豊穣さを過剰なほど抽象化し、いやむしろ捨象しているのではないか。

「端末」を肌身離さず持つということは、私たちにとってそれが外界との接触の端緒となり、すでにツールと
いうよりも自らの手足となって身体化していること。もっといえば「視覚」となっているのだ。さらに言えば
その「視覚」というものは、すでに「見る」ということを〈外部化〉していると思われる。「見る」ということが自らがじかに見る経験のことではなく、見知らぬだれかが見たものを通して見る、それを追体験するように
して見る。いわば見るという経験がまず副次的、二次的、間接的に始まってしまっているのではないだろうか。

たとえれば、川に架かる橋を渡るという実際の経験ではなく、その橋を渡る人や車や物をどこからか見ることで、そこに橋があり、橋を渡ったという「経験」を私たちはしたかのように見る。これは仮想などではない。
現実にそういうものとして「見る」経験をしているのである。

「見るまえに見せられているということ」は、こういうことだろう。こうしていまや私たちの視覚は、感覚は、見てはいないものをも見ていることになる。触れてはいないものに触れている。ただそのことが視覚あるいは
感覚の拡大、拡張ではなく、むしろ見ることは散乱・散逸しているのである。

やっとここで、これまでの私たちの「美術/芸術」体験というものが、そこで「見えるものと見えないもの」との間で確実に起こるであろう葛藤を巡っての快不快、満足不満足や分かる分からないという、いわば〈感情〉を
伴う表象であったことを思い出す。

2018/4/4 (水)

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美術折々_140

見ることの可能性と不可能性 (1)

ご存知のように、4月1日から日本の酒税法上のビールの「定義」が変わった。これまで麦芽比率67%以上だったのが、一気に50%以上に引き下げられたのだ。また副原料の使用が緩和されたことによって、それまで「ビール風味の発砲アルコール飲料」つまり「発泡酒」とされてきたものが、製品によっては「ビール」としても流通
可能になる。

つまり、今回の比率引き下げは単に税率だけでなく、「ビール」の定義が緩和・拡大されたことによって、
これまで麦、米、トウモロコシや糖類など8種ほどに限られていた副原料が、これからは果実や野菜、香辛料は
もちろん、ソバ、ごま、蜜、塩、味噌、コーヒー、昆布、ワカメ、かつお節…等々が使用されることになる
らしい。
                                                  いままでのビールの味が、麦芽・ホップ・水に多くの比重をおいてきたが、これから「ビール」の定義が緩和・拡大されたことによって当然、「ビール」というものの味も大きく変わってくる。まだ150年そこそこのビール
醸造の歴史しかないこの国のビールが成熟していく前に、一層製品多様化の途へ舵を切ったということになる。
これから次々と試されるであろう新商品が、アルコール市場の低迷を打破し活性化を促すように投入されていくのだろう。いつだってあらたな欲望を刺激される続ける私たち「消費者」というのは、なんと嬉しくも哀しい
種類の人間なのだろうと、思わざるをえない。

もし、「本当のビールの味」というものがあるとするなら、それはどうやって残り、どこで飲まれ続けていくのだろうか。祖父や父たちが愛飲した苦き大人のビールの味も、ますます遠ざかり記憶のなかに消えていく。

と、ここまでわざわざビールの「定義」の緩和・拡大にまつわる話に触れたのは─。

じつは今年2月に東京都写真美術館他で開催された、第10回恵比寿映像祭「Mapping the Invisible インヴィジ
ブル」に関連しての、美術家・岡崎乾二郎へのインタヴューを読んで、いまだ定義しえない「美術/芸術」と
いうものの「緩和・拡大」のことを思い返したからだ。

そのなかで岡崎乾二郎は、「ものを見ることの意味が失墜した」。「視覚メディアの発展は、現実的には人間の視覚の可能性の拡大ではなく、人が実際に何かを見ることの意味、価値を失墜させた、個別の具体的体験の意味を文化的周縁に追いやる働きをしたということです」。「いづれ視覚という概念は刷新されざるをえなくなる」と語っていた。

僕なりにこれを解釈すると、視覚体験つまり直に「見る」ということを通しての体験が疎外されてしまっているということだ。ものに、じかに触れるということ。自分が直に見て触れるということが経験の、体験の、始まりではなくなっているということ。

あの歩きスマホ、電車内や待ち時間の、端末への注視が好例だろう。じかに見るまえに、もうすでに端末の中
から「見る」ことの経験が始まっている。実際に何かを見ることの意味、価値は疎んじられているのだ。いまや美術館やギャラリーでも見るまえに、携帯カメラをかざす。むしろそのことが「見た」という体験になっているのだ。おそらく岡崎はそれらのことをも踏まえ「いちいち見る必要がなくなったということです」と言っているのだと思う。

見るまえに見せられているということは、とうぜん私たちの「美術/芸術」体験の変質をも意味しているという
ことになる。