calendar_viewer 元村正信の美術折々/2017-11

2017/11/29 (水)

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美術折々_120

きょうも、その夜明け前に

先日、西鉄平尾駅からほど近い古びたビルの一室で開かれている木下由貴の写真展を見てきた。(12月3日迄)

それはちょうど今日のような初冬の雨にけむる灰色の午前と、どこか似ていた。だからといって、それらの写真が、霞んでいるわけでもそこに霧のようなものが立ち込めている訳でもない。むしろ被写体はくっきりと鮮明に写し取られている。

それでも、まったくもってその景色のおおくは、どこか〈荒涼〉としているのだ。それらが、例えば山の
ふもとであろうが、森の何処かとして、あるいは電車が過ぎ去る踏切を前にしても。それでもなお、一粒の、
一辺の、一角の、一瞬の、あるいは無辺の、なおかつ、逆説的にきこえるかもしれないが、そこに〈肥沃〉と
いうものが、そのような荒涼とした風景にひそんでいるように思えた。

しかし、肥沃といってもそこに何かが繁茂し熟した実をつけているのでもない、肥沃の沈殿。つまり荒涼と、
肥沃が、おなじく在るというか。そういう堆積した時間が計りしれない層をなし、それらが複雑に交互しながら融け合って、この瞬間を成しているということだ。
では、彼女はそのどれを見て〈写真〉にしているのだろう。いやこれは《写真》なのだろうか。それを写真と
いうにしても写真ではないとしても。それでも「作品」としてのある不可解さのようなものが、ここにある。

ちなみに木下由貴は今回、この写真展に『淵と瀬』というタイトルを付けている。これはある種の深浅を暗喩
しているのだろうか。それは分からない。翻って。なぜこれ程に巧妙にわたしたちの日々は、なぜいっそうこのように、きょうだって、その夜明け前から、殺伐とした光景や欺瞞の言葉の周到な準備と応酬によってしか
始まらないのだろうか。それでも時になぜ、人は、すがすがしいほどの朝を迎えられるのだろうか。

それに対して彼女の写真はそのどれでもないと、控えめなことばで語っているように思える。
ありふれた「癒し」などとはほど遠い《写真》として。僕にとっては、荒涼と肥沃として。

2017/11/23 (木)

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美術折々_119

いちるの望みとしての「芸術」

「人生百年」というフレーズが近頃やたらと目立ってきた。なぜだろう。なぜそこまで生きねばならないのか。
いったい、人は何歳まで生きねばならないのだろうか。一億総「百年」活躍社会の到来か。

人生といえば、かつては「芸術は長く人生は短し」などと俗によく言われたこともあったが、これももう旧き
青春の諭しにすぎなくなってしまった。

もともと古代においてヒポクラテスが言ったのは「芸は長し、生涯は短し、時機は速し、経験は危うし、判断は難し」という医術を引き合いに出しての格言だったと言われている。いわゆるギリシア語のテクネーからラテン語のアルスを、つまり知や技、技術を意味した語を日本では「芸」と翻訳したわけだ。
むしろ芸(藝)を「学問」と翻訳した方よかったのかも知れない。「芸」が日本という近代以降「芸術」として純化、自律化することによって、いつしか「芸術は長く人生は短し」というふうに転化し俗化したと思われる。

しかし今となっては人生百年。逆に「芸術は短し人生は長し」と言い替えた方がいいのかもしれない。いや
そんなことはない、と言われそうだ。現にいまアートスペース貘で個展を開催中(11月26日迄)の齋藤秀三郎氏は生涯現役、バリバリの95歳。齋藤先生に「芸術は短し」などと言ったら、叱られるかも知れないが。

たしかに何かを極めようとするには長い時間がかかるだろう。さらにどれほど時間を費やしても終りというものはない。しかも芸術はそれじたいを極めずとも、時にすぐれた作品を残すこともある。それはきっと人ひとりの人生の問題ではなく、わけても芸術というものが、それじたい明確で《鮮明な像》というものを私たちに差し示してはくれないからだ。いまだ〈定義〉しえないからである。だからこそ、わが芸術は、《答えがないもの》に答えを出す。評価をつける、価格を付ける、地位と名声と金を与えて芸術として認知しようとする。それが制度であり社会というものだ。

そうやっていつしか芸術は、真実とほとんど見分けのつかない虚構となり虚偽で一杯となる。あふれる芸術
「作品」といわれるモノの中で《真性の芸術》が理解しがたく見えにくいのは、そういう芸術のシミュラクールによって、芸術もまた〈整形〉されているからだ。同時に私たちはそのような芸術を(創ること、見ること、
聞くこと、触れることを含め)消費し続けてやまない。

さてさて、そのような消費人生百年時代の私たちの「芸術」は、これからどのようにそれに抗い、芸術自らを
どう〈変形〉しうるのだろうか。そんな長くも短し芸術に、いちるの望みを託してみたい、というものだ。

2017/11/15 (水)

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美術折々_118

少女そして少年の歌

ことしの、第6回〜家族を歌う〜河野裕子短歌賞(「青春の歌」高校生の部)を受賞した埋金桜子(16)の歌。
 
  「 読みかけの文庫のように連れてって 休日の君もっと知りたい 」

誰しもあったかも知れない。たった一日だけなのに会えない君を想う私。「連れてって」という言葉に親は
ハラハラ。「読みかけの文庫のように」という喩えに、恵まれた本好きな少女の、すぐそばにある恋への
高鳴りが感じられる。この女子高生は、小6の時に寺山修司の青春歌集と出合い、それが短歌に興味をもつ
きっかけとなったらしい。

同賞は2010年に亡くなった歌人・河野裕子の業績を顕彰するとともに、新たな歌を発掘する『家族の歌・
愛の歌』と『青春の歌』の2部門からなる短歌公募。
僕にはちょっと気恥ずかしいくらい真面目な「お題」だ。まあそれはそれとして。

その河野裕子の第一歌集『森のやうに 獣のやうに』(1972年、青磁社)に収められている歌をここで
引いてみよう。

  「 たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか 」

この一首が、受賞した女子高生の歌と共通するのは、「君」が「私」を「連れて/さらって」くれれば、という
願いである。だが、当時の河野のこの歌はもっと直截的で荒々しく音を立てて唸っている。もうそこに華奢な
少女はいない。

では少年はどうか。中学時代から俳句や詩作を始めた、10代の、青春の、若きころの寺山修司の詩歌はどう
だったのか。それは亡き父への思慕であり、恋し母であり、望郷であり、孤独な「僕の少年」との別れでは
なかったろうか。
   
  「とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を」

               『森番』の一連より :寺山修司作品集『われに五月を』(1957年、作品社)

僕がおもうにここで「少年の詩」とは、寺山という少年の死のことだと。
寺山修司は『僕のノート』の中で、こう自らの〈少年〉に別れを告げている。
   
  「美しかった日日にこれからの僕の日日を復讐されるような誤ちを犯すまい」。
   さらに「僕は書を捨てて町に出るだろう」と。

だから「われに五月を」というのは、きらめくような陽のひかりに憧れる彼の中の〈大人〉への旅立ちだった。
そしてのその願望どおり、早すぎる五月に逝ってしまった。

少女といい少年といい、詩や歌はおおくの若い感受性をすくってくれるが、同時に傷つきやすいその柔らかな
からだに過酷な火を放つ。それでもそれを、ことばをまたいで超えて行けるか。
急ぐことはない。〈言葉〉はいつも君を待っているのだから。

2017/11/7 (火)

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美術折々_117

ゴミと芸術への、ある問い

いま宮崎県の都城市立美術館で、鹿児島・宮崎両県在住と出身作家9名による展覧会『MESSAGE2017 南九州の
現代作家たち』が開かれている(12月3日まで)。11月4日付の読売新聞西部版朝刊文化面で、白石知子記者が
この展覧会を取り上げていた。

同展は、1997年から10年ごとに開催され、「現代美術」の動向を踏まえながらの3回目となるらしい。
いずれも企画は原田正俊学芸員によるもの。いつも言っているように、僕から見れば美術におけるこの20年と
いう時間は、「現代美術」崩壊後の「アート」化の流れでもあった。ちなみにこの展覧会関連のシンポジウムの
タイトルもズバリ『南九州のアート20年』。

まちがっても「南九州の現代美術20年」ではないのだ。すでに現在という地点が、「現代美術」ではなく
「アート」という視点に立脚した上で、その20年が「アート」として振り返られていること。このことからも
僕がつねづね1995年以降この20年のあいだに「現代美術」はすっかり崩壊してしまったのだ、と言っていることの意味を少しは分かってもらえるかと思う。

しかし、この20年間を堂々と正面から「アート」として振り返られるスゴさ。時代はここまで来たのだ。
それは九州の南でも例外ではなく「現代美術」なきあとの「現代」も「美術」も、いつの間にか押しなべて「アート」と化してしまったということである。ここでも僕はひとり戸惑う。

それはともかくとして、この展覧会の出品作家の中から、宮崎県出身で現在福岡市を拠点に活動する若手作家、
宮田君平の作品には、いろんな意味で興味をそそられた。
タイトルは「What is this? - Rubbish. And this? - Rubbish. And this? - Rubbish. And this? - Art.」。
展示室の壁のひとつにも、目につくように大きくこのタイトル文字が書かれている。Rubbishはイギリス英語で「ゴミ」という意味だが、ちなみにスラングとして「たわごと」「つまらないこと」という意味もある。

この作品をすこし説明しておくと、展示室の床には、くしゃくしゃに丸めた紙が散乱しその片隅には同じ紙が
山積みになっている。それらの紙のすべてには「RUBBISH」と書かれているが、部屋中央の台座の上にひとつ
だけ「ART」と書かれた紙があるというものだ。床に散らばる「ゴミ」らしきものと、台座の上の「芸術」
らしきものへの関係性の問いかけ。いかにも概念的、図式的すぎると言われればそれまでなのだが。

ただここで僕は「RUBBISH」と「ART」という文字を入れ替えて見たくなる。床に散乱するゴミにも似た「ART」、そしてわざわざ台座の上にすえられた「RUBBISH」として。つまり宮田君平の作品の構造は、その
ような想像による反転を合わせ持っていることになるのではないか。

しかしそのとき、「ゴミ」と「芸術」は同じ水準で隣り合っていることになる。要するにゴミと芸術の区別が
つかなくなる訳である。ということは、宮田の“作品”は、ゴミであり芸術でもあり、またゴミではなく芸術でも
ない、という中吊りの状態に置かれていることになる。
もしかしたら、宮田はそのことまで目論んでいたのだろうか。

ただ Rubbish には、スラングとして「たわごと」「つまらないこと」という意味があることを思い浮かべる
なら、宮田が意図したものとは、かりに「ゴミ」だとしても「芸術」だと主張したとしても、〈美術館〉の中
では〈作品として〉見られる以外にないではないか、ということなのかも知れない。あるいは、それはゴミか
芸術か、といった「つまらない」論議よりも、所詮これは「たわごと」なのですよ、と涼しげな顔で押し通す
ことだったのだろうか。

もしもこの作品が、彼の問いかけが、ゴミにも芸術にも見えなかったとしたら。はたしてこれは何なのだろうか、という問いが残される。いまや美術館は「芸術」だけの特権的場所ではない。芸術ではないのものに触れる
ことにだって開放され、ほとんど自由化されているではないか。

それだからこそ宮田君平の、この「作品」は危うさを孕んでいると僕は思う。そしてそのような「ART」が
また、「ARTではない」危うさと隣り合わせではないと、私たちは言い切れるのだろうか。