calendar_viewer 元村正信の美術折々/2017-09

2017/9/22 (金)

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美術折々_112

「日本水墨画」の余白

貘の個展まで2週間を切った。眼と手と、それに絡み頭の動きが、ますます錯綜してくる。まだ仕上がっては
いない。さらに10月14日の屋根裏貘でのトークの準備もある。いろんなことが滞ってきた。

そんな中でひとつ。長谷川等伯の『松林図屏風』を、「日本水墨画の最高傑作」とする言い方がある。
そもそも「日本水墨画」とは何をさすのか。たとえば「日本」という国家や「日本画」というものが、明治以後の「日本という近代」に生まれたものであるのなら、この「日本水墨画」という言い表し方もまたそうなる。

だとするなら長谷川等伯が生きた時代(安土桃山から江戸時代初期)と矛盾しはしないか、というのが僕が持つ違和感だ。この作品を「日本という近代」以前の、つまり「近世」水墨画の「最高傑作」というのならまだ
分かる。

もし「日本水墨画」というなら私たちは、この現在からその時代を一体どこまでさかのぼれば、確定できるの
だろうか。では、かの雪舟の『山水長巻』はどうなるのだろう。

かつて小林秀雄は『雪舟』という文章のながで、「雪舟は職業画家でもなかったし、彼の絵は禅僧の余技でも
ない。つまり禅を語るのに絵という手段しかない、そういう処まで絵を持って行った人という事になる様だ」
とまで語っている。

絵師、長谷川等伯と画僧、雪舟。それぞれの「最高傑作」はともに国宝となっている。私たちは彼らの作品を
通してあるかなきかの「日本水墨画」という枠組みを、概念を、あらためて見つめ直すのも悪くはないだろう。

2017/9/3 (日)

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美術折々_111

花嫁の矜持

8月25日の直木賞贈呈式を「体調不良」を理由に欠席した、佐藤正午。

選考委員の伊集院静は「結婚式に花嫁が来なかったようだ」と残念がったという。これは贈呈式を結婚式に
喩えてのことだと思うが、だったら花婿は直木賞ということになるのだろうか。
でもなぜ、「花婿」が来なかった、と言わなかったのだろう。

ここでは賞という権威は「男性」で、受賞作家は「女性」ということにはならないか。もちろん伊集院静は、
贈呈式というハレの日の華やかさを、「結婚式」に喩えただけのことだろう。そう突っ込むなヨ、と言い返されそうだ。

まあいい。僕が触れたかったのは、小説家・佐藤正午の〈矜持〉というものなのだ。佐世保という地で、
ひとりで何十年もただただ「小説」を書き続けてきた〈矜持〉のことなのだ。華やかさなど無縁の孤独など誰にでもある。そうではなく、なぜ彼はいままで、そしてこれからも「佐世保」という地にしか、いないのか。
この〈秘事〉は彼しか知らないことである。

その日「花嫁が来なかった」のではない。もし佐藤正午を「花嫁」だとするなら、式の遥か以前に、花嫁は東京に
ではなく、すでに「佐世保」に来ていたことを私たちの誰もが知らなかった、というべきではないだろうか。