calendar_viewer アートスペース走り書き/2020-04

2020/4/18 (土)

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アートスペース走り書き_07

この現実を歪めてゆくものたち

休館・中止・延期・休廊そして外出自粛要請。そうやってさまざまなアートがいま、閉鎖された空間と化している。私たちからすれば、それらの空間を経験できないでいるということだ。もちろんネットでこそ可能な試みも数多いが、じかに体験することと当然異なるのは言うまでもない。

でもいま、数の論理に経済化にすっかり慣れ親しんでしまったアートもまた、数に縛られている現在なので
ある。だから私たちも、アートとの接触を「最低7割、極力8割」減らすことができれば、あれほど社会との
つながりを重視してきたポリシーもやっと実現できるというものだ。
「つながる」とは、社会に貢献できるかどうかということなのだから。余りにも可視化し過ぎたから、
アートも公然とこうやって自粛を協力を強いられている訳である。

それでも芸術は、今もきっとどこかでだれかが開かれた「場所」を提示し続けていることだろう。
そしてそれを密かに見たり体験している人もいるに違いない。だから知れ渡っていないということは、
じつは大事なことなのである。

地上の出来事はそのほとんどが分かりやすいが、いつだって本当のことは隠されているから。
「目に見えない」ということは、良くも悪くも見えないふかいところで事態は進行しているということだ。
しかも制作は思考は、途切れなく続いている。
芸術もまた、つねに潜在的に進行していることを忘れてはならない。

かつて岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言ったが、爆発は分かりやすすぎる。僕からすると「芸術は不発弾だ」と言うことになる。つねに、ある破壊力を秘めていながら、動機を内在化させたまま潜在する力としての芸術。

だから「芸術は爆発しない」。
つねなる沈黙によってそのふかさとつよさによって、この現実を歪めてゆくのだ。
                                        (元村正信)

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2020/4/5 (日)

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アートスペース走り書き_06

オダミツル 写真展「と」  [〜4月12日迄]

改めて紹介すると、オダミツルすなわち小田 満は「アートスペース貘」隣のカフェ
「屋根裏 貘」のオーナーであり、屋根裏のカウンター界隈では女性ヌードしか撮らない
「写真家」としても良く知られている(笑)。

僕なんかからすると、もっと「女」そのものを美しく妖しく撮ればいいのにと思ってしまう。
もしかしたらオダミツルには、女性は美しいけれどその女性を美しく撮ろうという気が
ないのかも知れない。写真を見ればわかるが、そのおおくはある場所や風景の中に、
彼の意識によって投げ出された女がいる、という感じなのである。

その意味で、女の裸体はオダミツルにとって何かへの糸口、いや口実なのかもと思ったりするのだが。
この現実がどこかで幻想の世界とつながっているのだとしたら、彼にあっては敢えてそのような「迷界」
の方へ 迷いの世界へと紛れ込むために、真実を知らないままの若い女の裸体が添えらていると言うべきか。

それでもこの世に真実というものが確かにあったとしても、それが何の役にもたたない時なんて
この世界には幾らでもある。いまだって感染症に翻弄されて続けている私たちの無数の「真実」が、
世界という迷宮のただ中で、もがいているではないか。

おそらく オダミツルの写真は迷いの世界をいつまでも彷徨し続けるに違いない。
写真は何を残すのだろうか。ある真実か、それとも虚偽か。
すべてが過ぎ去ったあとに何かが残るにしても。
                             (元村正信)

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