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…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_212 だれが好んで捨てようか 「泣き声も立てなくなりし吾子よ死ぬな死ねば貨車より捨てねばならぬ」 梶原徳子 1945年、日本の敗戦によって戦争は終わったのではなく報復の名においてなおも続行されていた。 それから8年後、僕はこの日本の片隅で泣き声も上げず逆子で生まれた。その反動だろうか、中学に入るまで毎日泣かない日はなかった。泣いてばかりのそんな子を、ついに父はある日「捨ててしまえ!」と母を怒鳴り付けた。それでもある夏、父に連れられいちどだけ鹿児島線で北九州の枝光駅から、なぜか客車ではなくあの引き揚げ者たちのように貨物列車に 「少年のわが夏逝けりあこがれしゆえに恐れし海を見ぬままに」 寺山修司 でもなぜその時、父はわざわざ日本海に面したそれも本州の海水浴場に僕を連れ出したのだろう。もしかしたら、泣いてばかりの僕を父は〈どこかで〉捨てたかったのだろうか。いまとなっては知るすべもないが。 先にあげた梶原徳子の歌が、僕にとっては父と二人切りの数少ない日をふと思い出させてくれた。 [この日記を編集] |