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…………………………………………………………………………………………………………………………………… ある飛躍の、かたち 先月24日(金)の陸上日本選手権。ハンマー投げの室伏広治が事実上の「引退を表明」した。41歳。 翌25日(土)の新聞各紙とも彼の記事を大きく掲載していた。その中で目にとまったのが、朝日新聞朝刊 「父は肉体を超えて何かをつかもうとしていた。それがスポーツで一番美しい瞬間だと思う」と。 室伏広治にとって、室伏重信は父でありながら師でもあった。つまり、ずっと鏡像関係にあったということだ。 「肉体を超えて何かをつかもうと」することとは何なのか。肉体を使うスポーツ自身が、肉体を超えるとは どんなスポーツにとっても〈肉体〉は、自己と離れた別の次元にあるわけではなく、同じ平面上にある。 一般によくいわれるのは、アスリートたちが見せてくれる競技の、躍動する肉体の、スポーツが持つ鍛えられた「美しさ」であろう。しかしこの室伏父子にとっての 〈美しい瞬間〉というのは、それとはちがう。 「肉体を超える」とは、肉体を捨て去ることでも、肉体を脱することでもないだろう。 なぜ僕は、このような遠回りをして、いや室伏広治が自らの引き際に語ってくれた、すぐれた「核心」に 「美術」を手放すことなく、「美術」を超え出ていく、というありよう。超え出てもなお 「美術」を手放す もしかしたら「美術」には、室伏の言うスポーツのような「美しい瞬間」はついに訪れないのかも知れない。 [この日記を編集] |
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