…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_92 ~ 繁栄と、悪化の、あいだに ~ 世界遺産登録数 51件を有する国、イタリア。その数は世界一という。 「観光国」でもあるイタリアの中で、30年前の1987年に世界遺産に登録されている、「水の都」ベネチア。 4月1日付 読売新聞朝刊のローマ発の記事には、今年2月初旬「観光客に日常生活が妨害されている」として、 ベネチア市の住民150人が対策を求めて抗議デモを起こしたというリポートが載っていた。 同市によると、2014年に市中心部を訪れた観光客数は約260万人(市の人口約26万5000人)。 なんと市民の10倍という驚くべき数だ。ちなみに、2015年の第56回ベネチア・ビエンナーレ入場者数は 約50万人超。 いまではベネチアの「市中心部は観光客であふれかえり」、観光客向けのホテルやレストラン、店が増え続ける一方で住民たちにとっては「生活環境の悪化」が、問題となっているらしい。先の抗議デモもそれへの反発の 表れなのだろう。ある歯科医の話しによると「街が観光客に乗っ取られたようだ」という。この嘆きの、 真偽のほどは分からないが、それほどに観光客が押し寄せてはいるのだろう。 ユネスコも勝手なもので、世界各地の遺産登録を次々と採択しながら、逆にベネチアのような既存登録地での 観光客の増加による「自然環境の悪化」を指摘して、それに「警鐘」を鳴らすといった〈偽善〉にもあきれて しまう。 このような 〈繁栄と悪化〉との同存の、グローバル的光景は今では世界中どこにでもに見られる。 日本でも2016年現在で、20件の世界遺産登録があるらしい。それぞれの遺産や地域が観光化され 人が集まれば、財政も潤うし、人口減に悩む町や村も活性化されるという訳だ。 だが、たとえ「世界遺産」に登録されてなくとも、先人たちが残した〈遺産〉というものは、目に見えるもの のみならず、じつは私たちの「無意識」というかたちで、身の回りの土地にも残存しているものだ。 「遺産」というものが、人間の負い目、やましさ、あるいは犠牲や負債を含めた広義の「文化」の軌跡である のなら、それはまたフロイトの言う「罪の意識(後ろめたさ)」となって、いまの私たちにも張り付いている のではないだろうか。 「遺産」を目指して日々殺到する私たち。しかし、繁栄あるいは悪化という二極化の中で、求められる 「にぎわい」への期待を裏返せば、やむことのない衰退、衰弱への強迫感が、つねに私たちを脅かし続けて いるのだろうか。 私たちの〈出口〉は、いまだ見つかってはいない。 #calendar_viewer(元村正信の美術折々,2017-04,view )