…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_316 ~ アートの後の、何かのために ~ たとえば、僕なりに「芸術」の過去60年間を、20年ごとに総括して区分けするとこうなる。 ●1960年代「何でもが芸術になった時代」 ●1980年代「どんな芸術も芸術であると言えた時代」 ●2000年代「全てが芸術なら全ては芸術ではないことが、分かった時代」 ●2020年代「今も芸術はあるのかないのか、分からなくなった時代」 どうだろう。結構いい得ているのではないかと思うのだが。 ついでにもう一つ。戦後の75年間を25年区分で総括したものを上げて見よう。 第二次世界大戦の終結(アメリカの勝利と日本の敗戦)、以下の各年を起点として。 ●1945年「戦後美術から前衛美術・反芸術の時代」 ●1970年「前衛の終焉と現代美術の時代」 ●1995年「現代美術の崩壊とアートの時代」 ●2020年「アートの拡散からポスト・アートの時代」 そして未来の予測 ●2045年~2070年「アートは霧散し消失するであろう時代」(アートと名乗りまたそう呼ばれていたものは、他のあらゆるの表現の中に好意的に歓待吸収されてしまうだろう) 以上は、独断的かつ強引な腑分けかも知れないが、それでも僕にはこのように分けることが出来る根拠はある。未来において美術も芸術も、そしてアートも発展的に解消されるのだろうか。 以上は、独断的かつ強引な腑分けかも知れないが、それでも僕にはこのように分けることが出来る根拠はある。未来において美術も芸術も、そしてアートも発展的に解消されるのだろうか、ほんとうに。 もちろん、そうはならないかも知れないが。それでもいつかこの眼で確かめてみたいものだ。ただもう僕はその頃、この世にはいないだろうから。それは若いひとたちに託そう。 〈あるかも知れない、あたらしい『芸術』を〉