元村正信の美術折々/2021-01-04 の変更点


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美術折々_313
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疾走し振り切ろう

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この正月は、あるきっかけもあって「美と残酷」について改めて少し考えていた。
「美」もまた起源をたどることなど出来ないが、それは初期人類のそこかしこにもあったはずだ。人間の文明がそれにどう目覚め自覚し表現としてきたかは、多くの遺跡や遺産を見れば瞭然だ。

それに比べ「残酷」のほうの起源は美への目覚め以前であろうことは推測できる。なぜなら、生きて行くことそのものが自然の猛威や生き物、異物への恐怖や怯えでもあったからだ。いわばそれが残酷というものであったから、おそらく悦びや安堵はその後に訪れたに違いない。

それでも美は、その辺の窟や水辺そして流れた血の跡にもあっただろう。つまり残酷の匂いのするところには、すでに美は、動物や人の骨と共にころがっていたのだと思う。

ただ残酷には本能的に反応していただろうが、未明の美に気づくにも残酷が去ったあとの空白とでもいうべき安らぎや、かたわらに咲く花の香り、歓喜の余韻が収まった白昼のうたた寝、夜の闇のほのかな灯がもたらす陰影など、けして欠くことなどなかったはずだ。
ただ残酷には本能的に反応していただろうが、未明の美に気づくにも残酷が去ったあとの空白とでもいうべき安らぎや、かたわらに咲く花の香り、歓喜の余韻が収まった白昼のうたた寝の夢、夜の闇のほのかな灯がもたらす陰影など、けして欠くことなどなかったはずだ。

そうして、21世紀のいま2021年にもなった。
現在の私たちは、余りにあふれた「美の多様性」と「残酷の無底性」を享受し利用している。何が美で醜で、なにが残酷で残酷ではないのかさえ曖昧である。
そう。ほとんどが極私的で利己的であるだけで充分なのだ。
それらが美でも残酷でもいいのだ。

そこでは美も敵対的ですらある。快だけでなく不快も美の根拠であり、何を美とするかしないのかも、いくらでも対立的に語られもするだろう。美と残酷は紙一重どころか、いまや「美と残酷」は同義でさえあると僕は思っている。

そのように私たちの生活も変わった。そして芸術もそのように変わったのだ。

そんな美と残酷を相手に、私たちのあたらしい美術は芸術は、どのように闘えるのだろう。
すでに私たちはコロナを突き抜けている。ただコロナが追いかけてくるだけだ。どこまでかは分からない。

だがこの姿勢で疾走し続けそれを振り切るしかない。
正面突破でいい、それしかないんだ。