元村正信の美術折々/2020-09-21 の変更点


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美術折々_296
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美と崇高さの未来
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岐阜県飛騨市神岡町にある東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設の「スーパーカミオカンデ」は、地下1000メートルの深さに、高さ41.4m、直径39.3mという巨大なタンクを有する世界最大の地下ニュートリノ観測装置だ。タンク(下記添付画像)の内側には1万1129個の光電子増倍菅という感度の高い光センサーが備わり、5万トンほどの超純水で満たされている。ニュートリノは素粒子の一種でこのスーパーカミオカンデで、粒子間の衝突や崩壊を通して宇宙の起源や進化といった謎を解明しようとしているらしい。

物質を構成する最小単位である素粒子の知識などない僕が、なぜわざわざここで「スーパーカミオカンデ」を紹介したかというとそのタンク内部の光景に尽きる。
しかし関係者以外、地下深く降りて誰もほとんど見ることはできないから、こうして提供画像を通してしかその内部には触れられない。

僕はこの「スーパーカミオカンデ」を見ながら、美術の芸術の、未来を想像するのである。いまの巨大なインスタレーションやアートプロジェクトといわれるものが、この装置ほどの美と崇高さをいつか獲得することができるのだろうかと思う。いや何も美と崇高さにこだわる必要もないのだが、それでもここには科学というものがやがて芸術を飲み込んでしまうのではないかという危惧を感じてしまうのだ。
僕はこの「スーパーカミオカンデ」を見ながら、美術の芸術の、未来を想像するのである。いまの巨大なインスタレーションやアートプロジェクトといわれるものが、この装置ほどの美と崇高さをいつか獲得することができるのだろうかと思う。いや何も美と崇高さにこだわる必要もないのだが。それでもここには科学というものがやがて芸術を飲み込んでしまうのではないかという危惧を感じてしまうのだ。

何も芸術と科学を比べる必要などないではないか、という人もいるだろう。しかし、高度化する一方の科学に対して芸術の劣化や衰弱を、僕はどうしても対置してしまう。そう「芸術を飲み込んで」しまうのではないかと。つまり科学の創造性の深さと高度化に、芸術の創造性はその未来を揺さぶられるのではないかと。

いまや感性、感情そして想像、創造性は何も「芸術」の特性や特質でも何でもなくなった。科学は未知なるものの解明だとするなら、芸術は何ひとつ解明はしない。ただ未知なるものをずっと生み出すものだ。それでも、これからの人間たちが「芸術」の何に期待しているのか、どう必要なのか。あるいは不要なのかを。

「芸術は芸術の定義である」(ジョセフ・コスース) ということの可能性と限界。ちょくせつ見ることができない「スーパーカミオカンデ」が備えた美と崇高さが、そのことを地下深くから示唆してはいないだろうか。
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▲写真提供:東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設