元村正信の美術折々/2020-05-04 の変更点


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美術折々_271
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生存権としての芸術(4)
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でも私たちの《芸術的生存》が、かりに文化的=最低限度の生活を営む権利つまり「生存権」の中に保護されるものであったとして。じゃあその確たる規定も基準もなく生活水準の相対的向上とともに拡張され続けることになる「文化」が、なぜ生存権のなかに挿入されたのだろうか。敗戦からの復興になぜ「文化国家」をかかげたのか。ドイツという文化国家の先行形態を手本にしたにせよ。

たとえば フロイトは「文化は、人間たちを緊密に結束した集団に統合するように駆り立てるエロースの内的な権力に従っているので、罪責感をさらにいっそう強化するという方途によってしか、この目標に到達することができないのである」(『文化の中の居心地の悪さ』岩波書店)と述べている、1930年のことだ。これはまるでフロイトが、来たるべき戦後日本の「文化国家」採択への希求に沿って解説したかのような文である。

罪責感とは罪の意識、つまり「後ろめたさ」である。それは日本にとって第二次大戦での死者数310万人以上ともいわれる犠牲者に対する生き残った者の後ろめたさ。ニーチェ的にいうなら「良心の疚しさ」でもあった。二度の原爆によって終止符を打った生死の闘いの負債が、戦後日本において「文化」という超自我に引き継がれたということは、戦争というものの傷痕の転移を「文化的」生活は予め背負わされていたのである。

そのような文化的生活の営みの出自がどのように最低限度であったかは計り用もないが、復員と焼け跡と困窮と混乱からの未知の再起であったことだけは確かだろう。それでもどんな度合いにおいて戦後生活に文化的希望は託されたのか。物的にか精神的にだろうか。

文化というなら、戦争に動員され翼賛した美術や芸術への戦後的批判や否定をもって手を返したように反転し生きながらえた文化人たちが、そのまま戦後文化の向上に迎合したことを思い返せば、文化的生存の位置付けはもっと複雑になる。

ちなみに日本の「文化国家」標榜の手本となったドイツ憲法は、基本法 5条3項において「芸術および学問の自由の保障」として規定され、芸術の存在が明確に位置付けられている。憲法学者のクラウス・シュテルンは、芸術の自由について触れながら「法律によって形成されて存在するのではなく、事の本質によってのみ形成され存在する」(講演『ドイツ憲法における芸術と学問の自由』於:早稲田大学 2011年)と、法に先立つ芸術の自律性を語っている。

だとしても。私たちの日本国憲法上では一語の文言もなく「保障」もされてはいないこの国における〈芸術〉の寄る辺なさを思うとき、文化的=最低限度の生活に見い出されるべき《芸術的生存》は、いまだ未明の不確かなものとして放置されたままなのである。「事の本質」はそこにあるけれど。

だからこそ未知なる〈芸術のかたち〉は文化的な最低限度の生活の営み、すなわち芸術的生存の基底を自らが批判的に乗り超えて行かなければならないのだ。クラウス・シュテルンが言うように、それは法律によってではなく〈芸術〉そのものの抵抗する力によって。
                           (了)



付 :
いま私たちの生活は暮らしは、けして新型コロナなどというものに「むしばまれている」のではない。
断じて国家が言うような「コロナの時代」などではない。
私たちの時代が、感染症と出合っているのである。
わたしたちは《生存》の真っただ中にいるのです。

われを五月に。