…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_252 ~ 「芸術祭」あるいは 衝突する空間 ~ 文芸誌の『新潮』2月号が「あいちトリエンナーレ・その後」というタイトルで、同展の芸術監督・津田大介の「手記」と参加作家の内の10名による「声」(各 見開き2頁分)、そして美術評論家・椹木野衣の「論考」によって特集を組んでいる。文芸誌が特集を組むほど、昨年の同トリエンナーレの中の企画のひとつであった「表現の不自由展・その後」が投げかけた社会的波紋の大きさを改めて感じることができる。ただ同誌が言う「問題の本質に」どれだけ迫れたのだろうか、というのが読後の感想だ。 その問題については、僕なりにこのブログでも8月の5回に渡って思うところを書いた。いまこうして振り返ると、ひとつは不本意にも検閲を含む「表現の自由」を巡る議論がこの「不自由展」によって再来し現在化したこと。もうひとつは日本における「芸術祭」(ビエンナーレやトリエンナーレを含む)と「公共/公益」との関係が曖昧脆弱なまま露呈したことだと思う。何よりヘイト的脅迫や攻撃、抗議に屈したことや、国による恣意的な補助金不交付の決定もそれを裏付ける結果となった。 たとえば憲法が保障する「表現の自由」というものが、私たち人間の個の、何らかの「意思」の表明であるのなら、他者への侵害なしにもそれに対し「公共の福祉」つまり社会全体の「共通の利益」を理由に制約を加え抑圧する否定的な力が、時に行使されることを私たちはどう理解すればいいのか。正に自由が不自由になる瞬間を。 もし、「『表現の自由』は、国家や自治体などの『公』が関わらないことによって『自由』を保障する権利である」(志田陽子/武蔵野美大教授) のだとすればその公が「関わらないことによって」自由が保障されるのなら、そしてさらにこの国の大小ほとんどの芸術祭が公との「関わり」によって開催運営され、またその支援と公金によって表現の自由を守る責任を「公」は負っているのなら。公共にあっては「表現の自由」には〈関わらずに〉これを保障し、同時に「芸術祭」に〈関わること〉で表現の自由を守らねばならないというある種の矛盾を表現していることになろう。したがって《関わらずに、関わる》という難問を、日本における公の芸術祭はみな抱えていることになる。 だからこそ、そのような法の権利や制約とは切ってもきれない公共/公益と「利益」を共有する芸術祭というものの本義が問われているはずだ。今回寄稿している参加作家の中で藤井光と卯城竜太は、この「公共」や「公」に触れている。それを裏返す言い方で椹木野衣は「政治性」ということを言い「トリエンナーレが芸術祭として開かれるという齟齬自体」を指摘し、そこに「自由の行使」と「楽しむ権利」とを対置させその矛盾を危惧していた。 脅迫が圧力が、鑑賞が楽しみが、成功が蹉跌が、自由が不自由が錯綜しながら、それでも結局 2019年の第4回「あいちトリエンナーレ」は、過去最高の67万人の来場者数を記録してしまった。人間の、さまざまな権利、人権そして利益が衝突してもなお「公共」そのものは無傷でいられるのか。いったい何が隠蔽されたのか。 僕は今回の「不自由展」の中止と再開の問題以上に、この国の芸術やアートというものが持つ素朴さ、つまり権力や政治に対する多くの作品の、作家の、あるいはそれに関係する人々の無自覚さをどうしても思ってしまう。ハンス・ハーケが「全ての芸術は政治的」(『自由と保障』)だと語ったことの意味が、この国では一体どう受けとめられているのだろう。自由と不自由は、つねに分かちがたく一体を成している。はたして意思は自由は「芸術の空間」に託すことができるのだろうか。 その空間が、国際の名を冠していようと国内・地域の名であろうとその「芸術祭」がたとえ楽しみの空間であったとしても、それが「芸術の空間」であるという証しはどこにもない。ただそれが私たち市民の国民の、権利、人権そして利益が表現として衝突し過熱する空間であることだけは、言えるかも知れないが。 その空間が国際の名を冠していようと国内・地域の名であろうと、それらの「芸術祭」がたとえ楽しみの空間であったとしても、それが「芸術の空間」であるという証しはどこにもない。ただそれが私たち市民の国民の、権利、人権そして利益が表現として衝突し過熱する空間であることだけは、言えるかも知れないが。 だからいっそうそこで「芸術」が、問われているのだ。