元村正信の美術折々/2020-01-12 の変更点


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美術折々_251
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資格のない私

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昨年64歳で司法試験に合格した人のことを、最近ある所で耳にした。60代というだけなら別に珍しくはない。
リタイア後に異分野からの挑戦もよくあるし、70代のひともいる。さらにこれから合格者はもっと高年齢化するかも知れない。驚いたのはこの人が、これまで44年間もひたすら弁護士めざしてトライし続けてきたということだ。大学の法学部入学まえの予備校時代から数えての、44年間である。並大抵ではない。これまでどんな人生を送ってきたのだろう。何度投げ出しあきらめかけたことだろう。もしかしたら、法律に関する知識はすでに若い法律家以上にあるのではないかと素人ながら思ったりする。

現在、司法試験を受験できるにはまず法科大学院を修了または予備試験に合格する必要がある。その上で一定の条件をクリアできさえすれば、資格・期間・回数に関係なく原理的には何度でも生涯に渡って挑戦はできる。
しかしそのすべてを乗り越えるために費やさねばならない時間、経済力そして精神力を考えると、簡単にだれでも・何歳までもという訳にはゆかなくなる。

それに比べてどうだろう。資格は問わない芸術というもの。自分をアーティストと名乗ればアーティストとなるし、作品をつくり発表をすれば作家と見られもしよう。どう稼ごうが稼ぐまいと、人頼みであろうと、アーティストだと言い切ればいい。気楽といえば気楽なのである。だから僕は作家が孤独だというのは余り信用しない。

とくに若い頃は、作品をつくる以外に働いていることや仕事を持っていることを敢えて隠したり、それがまるで恥ずかしいことであるかのように思ったりもする。それで孤独だというなら作家なんてやめよう。先にあげた、64歳で司法試験に合格した人がそれまでの44年間をどう生きてきたのか。何にも手を染めなかった訳ではないはずだ。ただひとつの資格のために、すべてを犠牲にしたのだろうか。本当にそうだろうか。
とくに若い頃は、作品をつくる以外に働いていることや仕事を持っていることが、まるで恥ずかしいことであるかのように思ったりそれを敢えて隠したりもする。それで孤独だというなら作家なんてやめよう。先にあげた、64歳で司法試験に合格した人がそれまでの44年間をどう生きてきたのか。何にも手を染めなかった訳ではないはずだ。ただひとつの資格のために、すべてを犠牲にしたのだろうか。本当にそうだろうか。

僕はと言えば「資格は問わない芸術」に関わって、美術家として、初めての個展からことしで45年になる。
その人とほぼ同じ時代を生き、くぐり抜けてきたことになる。資格の有無によってひとつの岐路は確かにあるかも知れない。だがそれ以上に、岐路はいつも待ち受けているのだし。

それよりもこの私たちを、どこまでも階層化し永遠に無限に分け隔て分断し続けているものは、もっと別にあるのだ。そんな罠に落ちぬよう。くれぐれも、自らのやましさにつまずくことなかれ。