元村正信の美術折々/2019-11-17 の変更点


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美術折々_241
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元村正信「抗い結晶するわたしたちの」(5)
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じぶんの作品をひとに「説明」するというのは、以外とむずかしいものだ。たとえ深遠なテーマや詳細なコンセプトを持った作品であったとしても、それを端的に説明すればば分かるのだろうか、伝わったといえるのだろうか。説明というのは、どうしても分かりやすさがいる。よくあるギャラリートークやアーティストトークもそうだろう。

分かりやすく言おうとすれば、何かが抜け落ちてしまう。だからそのようなとき僕は作品そのものを説明しようとするではなく、じぶんの言葉を重ねるように、あるいはずらすようにして作品が持ついろんな部位を抜きだし、そこから語ろうとすることによって、見て頂くかたに作品の全体像を思い描いてもらおうと心掛けているのだが。どうだろうか。

じつは数年前から僕の個展を見てくださっている北九州市の画家、安倍義博氏が今回の僕の個展を、ご自身の
ブログ『安倍義博の展覧会ギョウシ!』で取り上げて頂いた。安倍さんはブログのタイトル通り、まさに作品を「凝視」する人だ。ああでもこうでもないと、いろんな視点から作品を解きほぐそうとする。まだ一度も安倍さんを前にして、僕はじぶんの作品について語ったことはないのだが、安倍さんは自由自在に自身の想像と絵画への豊富な知見を駆使して読解しようとしてくれる。

僕には、彼の言葉によって追い詰められている、そんな強迫観念がいつもある。それほど彼の指摘や読みは鋭いのだ。もちろん安倍さんは画家であり、批評家ではない。でも彼特有の眼差しは、独断でありながら正鵠を射抜いているところもある。なかなか僕の作品をこのように読み、言葉にしてくれるかたはいないのである。
僕には、彼の言葉によって追い詰められている、そんな強迫観念がいつもある。それほど彼の指摘や読みは鋭いのだ。もちろん安倍さんは画家であり、批評家ではない。でも彼特有の眼差しは、独断でありながら正鵠を射抜いているところもある。僕の作品をこのように読み、言葉にしてくれる方は、なかなかいないのである。
よかったら一度、読んでいただきたい。よく言われる元村正信の、作品の分からなさや不穏というものが、少しは解かれてくるのではないだろうか。

https://ameblo.jp/jigyaku-teki/
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