元村正信の美術折々/2019-02-18 の変更点


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美術折々_193

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問い詰めるもの

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いまでは「絵画」というものは、人間が画家が描くだけのものではない。AI(人工知能)にだって描けるものとなった。それでも何が絵画で、何が絵画ではないのか。この両者を分け隔てるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。どんな誰が、モノが、描いても絵画になりまた描かれていない空白さえ絵画になりうるとしても。
いまでは「絵画」というものは、人間が画家が描くだけのものではない。AI(人工知能)にだって描けるものとなった。それでも何が絵画で、何が絵画ではないのか。この両者を分け隔てるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。どんな誰が、モノが、描いても絵画になり、また描かれていない空白さえ絵画になりうるとしても。

その「作品」と言われるものがどれほど傑作といわれ、あるいは駄作といわれようと。突き詰めればおそらく、〈絵画という形式〉しか残らないのではないだろうか。絵画という〈形式〉を喪失したところに、なおも〈絵画〉はありうるのだろうか。

絵画は、ただ「描き、描かれたもの」によって成り立つのだ、その「内容」なのだと言われるかも知れない。だが、それを支持し沈殿させるものこそ絵画という〈形式〉なのだから。だからこそ形式は「描く」ということを、たえず問い詰めているのではないだろうか。

「描くこと」のみを、盲信してはならないのだ。
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