元村正信の美術折々/2017-05-17 の変更点


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美術折々_97
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完成もしくは未完を約束する形
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例のタワークレーンの「支柱」を眺めていた時、久し振りに思い浮かんだのが、あのブランクーシの作品
『無限柱』である。『空間の鳥』とともに彼の代表作とされるものだ。

藤川 哲「『美術と無限』研究ノート1 」(山口大学哲学研究、2002)によれば、同タイトルの確認されて
いる作品は8点以上という。その中でも母国ルーマニアの「トゥルグ・ジウ公園」に 1938年に設置された
最大の『無限柱』は、高さ29.35m。これは第一次大戦の戦没者のための記念碑として設置されている。

この作品も、よく知られるように「偏菱形」をユニットにして繰り返し垂直に積み上げた鉄の彫刻である。

タワークレーンの支柱が、どのような超高層ビルのためであろうと、クレーンを上昇させかつ支えるために
積み上げられた有限の「柱」であるのに対し、ブランクーシの『無限柱』は、文字通り「無限」を示唆する
以外に何ものをも想起させない、といってもよいだろう。
シンプルな菱形の反復が、なぜ作品の大小にかかわらず「無限」を暗示できたのか。

それはおそらく、台座と先端がどちらも上下半分に切断されているからではないか、と僕は思う。
始まりの台座面は、半分埋もれた状態で見えない部分を連想させ、いっぽう終りであるはずの先端部も
完結せずに途切れたまま、見えない続きを予感させるのだ。

つまりこれは完成していながら、永遠の未完を約束する形なのである。

ブランクーシは「真の形態は無限を示唆するもでなければならないと思う。表面はあたかも永遠に持続し、
ブランクーシは「真の形態は無限を示唆するものでなければならないと思う。表面はあたかも永遠に持続し、
あたかも物質から生まれて、ある完全で完璧な存在となったもののように見えなければならない」と
語ったという。

1956年、つまり死の前年。シカゴ市から依頼され結局実現しなかった高さ125mの『無限柱』のプランも
あったらしい。それこそ、永遠の未完を約束するにふさわしい形ではなかったろうか。