…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_93 ~ 花の挽歌 ~ 4月21日に「屋根裏貘」で新刊の出版記念トークをするという上野 誠は奈良大学教授で、気鋭の万葉研究者 である。その上野の研究対象でもある「万葉集」には、挽歌、相聞歌、雑歌の三大部立があることはよく知ら れている。 この挽歌というなら、現在 アートスペース貘で開催中の、尾花成春展のタイトルも「花の挽歌」だ。 今は亡き、尾花成春が描いた「花」の油彩画の数々をセレクトした今回の企画は、それを見る者とともに悼む、 まさに追悼の「歌」となっている。だから「花の挽歌」とは、様々な一輪の「花」を晩年は特に好んで描いた 尾花への、貘のオーナー小田律子のオマージュでもあるのだ。 尾花成春は、1926年福岡県浮羽郡吉井町に生まれ、昨年2016年7月に90歳で亡くなった画家である。 7年前、同じ貘での尾花の個展「花に語る」。まるで黒い土を塗り固めたようなその「闇」に咲く、か細き 花をして岩本鉄郎は、「此処にこの世ならぬ白い花がある」と記している。 かつて九州派にも関わったことのある画家、尾花成春といえば、やはり僕は 1980年代以降の、いわゆる 「筑後川」の連作を挙げたい。それらは枯れたようでありながら、しかし大きな川を渡る風に吹かれ、 なぎ倒されそうにあっても、川岸に根をはり群生する草木が執拗に、うねるように描かれていた。 なぜ、尾花が晩年「筑後川」から離れ、一連の「花」へと向かったのかは、僕は知るよしもない。 なぜ、尾花が晩年「筑後川」から離れ、一連の「花」へと向かったのかを、僕は知るよしもない。 だがその移行には、さきに岩本鉄郎が読み取ったように「この世ならぬ」ものを、すでに尾花の中では 一輪の「花」に託して描き切ろうとする、企みがあったのかも知れない。 だとするなら、これらの「花」は、何かに語りかけるように描こうとした、彼じしんの願望の形見だったの だろうか。私たちはまさに、ここでその形を見ているのである。 吉井に生まれ、吉井で逝った画家。 こうして今となっては無言の花の歌となってしまった、この春の寂しさよ。 [同展は4月16日(日)まで]