元村正信の美術折々/2017-04-08 の変更点


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美術折々_92
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繁栄と、悪化の、あいだに
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世界遺産登録数 51件を有する国、イタリア。その数は世界一という。
「観光国」でもあるイタリアの中で、30年前の1987年に世界遺産に登録されている「水の都」ベネチア。

4月1日(土)付 読売新聞朝刊のローマ発の記事には、今年2月初旬「観光客に日常生活が妨害されている」
として、ベネチア市の住民150人が対策を求めて抗議デモを起こしたというリポートが載っていた。

同市によると、2014年に市中心部を訪れた観光客数は約260万人(市の人口約26万5000人)。
なんと市民の10倍という驚くべき数だ。ちなみに、2015年の第56回ベネチア・ビエンナーレ入場者数は
約50万人超。

いまではベネチアの「市中心部は観光客であふれかえり」、観光客向けのホテルやレストラン、店が増え続ける一方で住民たちにとっては「生活環境の悪化」が、問題となっているらしい。先の抗議デモもそれへの反発の
表れなのだろう。ある歯科医の話しによると「街が観光客に乗っ取られたようだ」という。この嘆きの、
真偽のほどは分からないが、それほどに観光客が押し寄せてはいるのだろう。

ユネスコも勝手なもので、世界各地の遺産登録を次々と採択しながら、逆にベネチアのような既存登録地での
観光客の増加による「自然環境の悪化」を指摘して、それに「警鐘」を鳴らすといった〈偽善〉にもあきれて
しまう。

このような 〈繁栄と悪化〉との同存の、グローバル的光景は今では世界中どこにでもに見られる。
日本でも2016年現在で、20件の世界遺産登録があるらしい。それぞれの遺産や地域が観光化され
人が集まれば、財政も潤うし、人口減に悩む町や村も活性化されるという訳だ。

だが、たとえ「世界遺産」に登録されてなくとも、先人たちが残した〈遺産〉というものは、目に見えるもの
のみならず、じつは私たちの「無意識」というかたちで、身の回りの土地にも残存しているものだ。

「遺産」というものが、人間の負い目、やましさ、あるいは犠牲や負債を含めた広義の「文化」の軌跡である
のなら、それはまたフロイトの言う「罪の意識(後ろめたさ)」となって、いまの私たちにも張り付いている
のではないだろうか。

「遺産」を目指して日々殺到する私たち。しかし、繁栄あるいは悪化という二極化の中で、求められる
「にぎわい」への期待を裏返せば、やむことのない衰退、衰弱への強迫感が、つねに私たちを脅かし続けて
いるからなのだろうか。

私たちの罪深き〈出口〉は、いまだ見つかってはいない。
私たちの罪深さと地続きの、その先にあるはずの〈出口〉は、いまだ見つかってはいない。