元村正信の美術折々/2016-12-20 の変更点


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美術折々_79
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「前衛」は、どこに
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先週12月17日(土)、福岡・天神の明治通り沿いにある期間限定の新刊書店、Rethink Booksでの
「釜山ビエンナーレ2016」報告—アジアの中の日本・前衛・美術— と題した、2時間余りのトークを
聴いてきた。

トークは、美術評論家・椹木野衣、画家・菊畑茂久馬、福岡市美術館学芸員・山口洋三の3氏。

すこし説明をしておくと、椹木は、このビエンナーレの日本作家を担当した3人のキュレーターの内の一人。
菊畑は、今回その出品作家の一人で、1961年の作品「奴隷系図(3本の丸太による)」を再制作し出品。
山口は、「九州派」の調査研究の関係から、椹木からの依頼を受け菊畑の再制作の仲介をしている。

僕は、このビエンナーレ(11月30日終了)を見ていないので、ここでその展覧会の詳細は語れないが、日本に
関わることについて、この展覧会の報告からはよく分らないことが幾つかあったので少しだけ触れてみたい。

まず、今回の企画を担当したアーティスティックディレクターである中国のHOW美術館館長のユン・チュガプ
によるプロジュエクト.1「an/other avant-garde China-Japan-Korea」における「1945年〜1980年代の
前衛」という視点。

おそらく、1910年代のヨーロッパに端を発する「歴史的アヴァンギャルド」を踏まえながら、アジアという
近代、わけても中国・韓国・日本におけ各国の戦後のそれこそ分断的な「前衛」に接続しようと試みていると
思うのだが、日本でいえば1970年代以降の「反芸術」の芸術化、「前衛」の消失のあとの、むしろ当の前衛を
否定批判したはずの「現代美術」の崩壊といった、私たちの経験を踏まえれば「1980年代の前衛」など
果たしてなおも可能なのか、いやもし不可能というなら少なくともこの日本に対し、その「前衛の不可能性」
あるいは「不在」をこそ、このビエンナーレで突き付けて欲しかったと思う。

いわゆる「アヴァンギャルド」とアジアにおける、あるいは日本の「前衛」とは、どう異なるのか。

そして椹木野衣は、もっと意識的に「1945年〜1980年代の前衛」という視点を、あえて大きくはみ出して
いる。それは岡本太郎「森の掟」(1950年)から、2000年代の若いChim↑Pomの「千羽鶴」までを接続し
取り上げることによって、むしろ〈前衛〉への問いを拡散させていたように僕には思われる。これでは若い人
たちに、今もってこの日本にまるで「前衛」というものが現存しているかのように受けとめられるのでは
ないだろうか。僕にはそのことが、椹木の言う「核戦争と無条件降伏の結果が戦後、逆説的に日本の前衛美術の
『豊かさ』を形成した」のだとはどうしても思えないのだった。

それともう一つ。これまでずっと福岡に拠点おいて活動してきた菊畑茂久馬が、今回のビエンナーレ出品で
55年振りに再制作の機会を得て、はからずも自画自賛することとなった「奴隷系図(3本の丸太による)」が、
それほどいい作品だと、僕にはうなずき難い。

それよりも今では菊畑の代表作とされ、日本の前衛美術を語る上で重要な作品のひとつと言われる同じ1961年の、あの二本の丸太と無数の五円玉を使った作品「奴隷系図(貨幣による)」。
これを発表後、「作家として恥ずかしい」、「この世から消してしまわないといけない」と思っていたと、
すでに80歳を超えた菊畑の口から初めて聞いたこの日の言葉は、僕には以外で新鮮だった。結局この意志は
すでに80歳を超えた菊畑の口から初めて聞いたこの日の言葉は、僕には以外で、新鮮だった。結局この意志は
覆され東京都美術館からの依頼による1983年の再制作となる。思えばもう33年前になるが、僕もそれを東京都
美術館で初めて見たが、いわば失敗作と代表作がこのように紙一重、いや矛盾としてあるということの際どさを、いま改めて思う。「再制作」というのは、時にこのような皮肉をもたらすのだ。

それにしても、日本という近代以後に登場した「前衛」そして「反芸術」から「現代美術」。そしてそれら亡きあとの「アート」。私たちは、いまもこの国の『美術』というものが一体何であり、あろうとしているのかを
問いつめえないまま、似たような〈錯覚〉を繰り返してはいないだろうか。

もうすぐ2016年も暮れて行く。
「日本・前衛・美術」とは、ありし日の幻なのか、それとも現にあり続けるものなのか。
そのとき我らの、こんにちの「アート」はそれらと、どうつながっているのだろう。