元村正信の美術折々/2021-02-09 のバックアップソース(No.2)

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美術折々_319
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それを異常というにしても


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8日、またもや日経平均株価が大幅続伸し1990年8月のバブル期以来の、29,300円台の高値をつけた。約30年半振りになるというが、それにしてもこのコロナ下に反して、いやむしろコロナ下だからか、どちらにしても異常すぎる。もしかしたら 30,000円台を越すかも知れない。

折しも現在、京都市京セラ美術館では、美術評論家 椹木野衣の企画・監修による展覧会『平成美術 うたかたと瓦礫(デブリ)1989ー2019』が開かれている。すっかりアート化した「美術」というものをいまさら「平成」という括りで総括できるのか、という素朴な疑問はある。

アートというものは、とっくに平成をはみ出しているのに。あえて「美術」なら「平成」を同時代的に語れるのだろうか。この時期を僕なりに敢えていえば、バブル崩壊後やがて「現代美術」も崩壊し「アート」に変質して行った時代ということになる。ただこの企画が対象とした元号「平成」という 30年の時間(1989〜2019)が、昨日の株価の高値が「約30年半振り」という時間と、ほぼ重なっていることは偶然だろうか。

椹木野衣は、現在発売中の美術手帖2月のインタビューの中で「そういうバブル的/デブリ的な離合集散から生まれるものが、一体旧来通りの意味であり、作品であり、作家性なのか、もう一度考え直してみたかった」と語っている。

おそらく「平成」に意味などない。やはり平成は「西暦」に刷り込まれるしかないからこそ「1989ー2019」と付記されたのではないか。椹木はどこかで美術というものを記したかったのだろうか。「平成美術」は「美術史ではなく」問いの提示だと椹木はいうが。では美術史ではない「美術」は、今どう生きているのだろう。

一方、経済ではかつて実体経済とはかけ離れた資産価格の高騰がバブルとして起き、そして崩壊した。その後のゼロ成長、国際金融資本の自由化から金融緩和への道のりは知られる通りだ。その意味では、椹木の言う「バブル/デブリ」は、30年後のいまも「西暦」の上で繰り返されていることになる。

ちなみに日経平均株価が38,975円の史上最高値を記録したのは、1989年12月。1990年代初頭のバブル崩壊はすぐそこまで来ていた。元大蔵省官僚の西村吉正は、それを「資産価格の高騰で国民の間に格差ができた」(『検証バブル 犯意なき過ち』2001年)と振り返っている。

いま国内外の金融緩和で生じた大量の余剰金が流れ込み、バブル期以来の株価の高値をもたらしているのである。西村吉正が言った「国民の間に格差ができた」という言葉は、そのまま2021年2月のこの現在と何ら変わることはない。いやいっそう〈格差〉は激しくなってしまった。ただコロナ下にあっての苦境から乖離した株高が余りに「異常すぎる」のだ。

実体経済から懸け離れた株高、そして一方で起きているコロナ下の格差や貧困への拍車。本来比べられないはずの「命と経済」を、いま天秤に掛けながらコロナ下の生活が経済が、日々繰り返し語られる。規制と緩和をあやつりながら、感染拡大を抑制しようとしてはいるが、東証一部上場企業全体の時価総額は712兆円を超え、過去最大になっているのはどういうことなのか。富の偏在とは他人事なのだろうか。

それが、個の貧しさや悲哀や苦しみには分配されることなどない。私たちは自らの仕事を労働を、そして作品を売買しながらも、なんと遠くでその対極で暮らしているのだろう。