元村正信の美術折々/2021-02-03 のバックアップ(No.2)


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美術折々_318

失うものはまだあるのだろうか


予測などできない未来のことを言ったりすると「来年の事を言えば鬼が笑う」という故事を思い出す。ことしもまだ2月になったばかりなのに、次の2022年が少し気になる。

何を思ったかといえば、1945年 日本が第二次世界大戦で「敗戦」した年から過去へ 。1868年つまり明治維新、「日本という近代」の始まりまでさかのぼれば、それが「 77年間」という時間になる。逆に敗戦から未来へと目を向ければ来年、2022年がちょうど戦後77年というわけだ。

終戦をボーダーラインにした時、それ以前と以後の各77年間を「日本近代」ー〈敗戦〉ー「現在」まで合わせても、たった154年の歴史は、この国の近代というものを改めて振り返る切っかけになるのではないか。

たとえば〈1945年〉を軸にして、それ以前の日本近代の77年間を一括りに《戦前》とし、敗戦からの77年間を《戦後》として大きく二分して見よう。

乱暴でまた強引すぎると言われるかも知れないが、日本近代とはすべて《戦前》だったと、そして日本近代の崩壊を体現したのが《戦後》だったとのだと。その意味ではどこまでも「戦後」であり、それは終わらないだろう。

ふつう戦後は、戦争を媒介にしその反省からいわゆる戦前を否定して生まれたかのように言われるが、僕からみると戦争は一応否定されたが、戦前が否定されたのではない。いやむしろ《戦前》はこの国の糧であり世界に対する密かな自信でもあったのだ。だから戦後復興のエネルギーへと、戦前の忍耐や窮乏や貧しさの記憶が心性が、幻想として再結集されたのである。

それに続く現在の虚しい平和の響きと皮相な豊かさの両面は、ひたすらフィクションであり、それが《戦後》というものの実相なのだと僕は思っている。ひと言でいえば僕がここでいう《戦前》と《戦後》の対称は、逆説的に相似形なのである。

そしてさらにその2022年から77年後の、2099年はどうなっているのだろう。その時の私たちに、失うものはまだ残っているのだろうか。はるか極東の小さなこの列島に、戦前でも戦後でもない新たな時空がそこに開けているのだろうか。

まだこの島はあって、人間は大丈夫だろうか。測り知れない未来のことを思ってみた、2月の初め。