元村正信の美術折々/2021-01-23 のバックアップソース(No.1)

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美術折々_316
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アートの後の、何かのために


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たとえば、僕なりに「芸術」の過去60年間を、20年ごとに総括して区分けするとこうなる。

●1960年代「何でもが芸術になった時代」
●1980年代「どんな芸術も芸術であると言えた時代」
●2000年代「全てが芸術なら全ては芸術ではないことが、分かった時代」
●2020年代「今も芸術はあるのかないのか、分からなくなった時代」

どうだろう。結構いい得ているのではないかと思うのだが。
ついでにもう一つ。戦後の75年間を25年区分で総括したものを上げて見よう。

第二次世界大戦の終結(アメリカの勝利と日本の敗戦)、以下の各年を起点として。
●1945年「戦後美術から前衛美術・反芸術の時代」
●1970年「前衛の終焉と現代美術の時代」
●1995年「現代美術の崩壊とアートの時代」
●2020年「アートの拡散とポスト・アートの時代」
そして未来の予測
●2045年~2070年「アートは霧散し消失するであろう時代」(アートと名乗りまたそう呼ばれていたものは、他のあらゆるの表現の中に好意的に歓待吸収されてしまうだろう)

以上は、独断的かつ強引な腑分けかも知れないが、それでも僕にはこのように分けることが出来る根拠はある。未来において美術も芸術も、そしてアートも発展的に解消されるに違いない。

もちろん、そうはならないかも知れないが。それでもいつかこの眼で確かめてみたいものだ。ただもう僕はその頃、この世にはいないだろうから。それは若いひとたちに託そう。
〈あるかも知れない、あたらしい『芸術』を〉