元村正信の美術折々/2021-01-17 のバックアップ(No.2)


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美術折々_315

レジ的疎外の未来


このところ知られるように、スーパーやコンビニでの支払い方法が急速に変わろうとしている。セルフレジだけでなく客自らのスマホによる決済化へ業界は大きく踏み出している。この趨勢は止まらないだろう。僕はその流れに反対だ。と言っても、人間の合理化・無人化・不要化へのステップアップとしては避けられないのは当然だとしても。

企業は人手不足の解消、生産性の向上を上げてはいるが、それは商品やサービスを提供する側の言い分にすぎない。問題はそれが私たち「客」にとっての利便性や満足度、より良い買い物につながっているのかということだ。

今でも「セルフレジ」では、買った商品を自分でカゴからひとつ一つ取り出し、バーコードで読み取らせて支払うスーパーもある。これだけでも面倒なのにである。客自身による店員代行化である。

それが、全てスマホ決済になるならレジそのものは不要になるが、買った商品をスマホで全てバーコード読み取りをしなくてはならない私たち客の手間は、その分、増える。スマホを使えない高齢者はどうなるのだろう。すでに削減される一方の店員の、その負担軽減や店内行列をなくすためというが。

これまでは手慣れたスタッフがレジで、読み取り・精算・接客し全てをこなしてくれた。お礼まで言われて。これが充分なサービスというものだろう。僕は、この〈非人間化する社会〉にあって企業による「人間の合理化・無人化・不要化」は自然な流れだと受け止めている。だがそのことが客である消費者に負担をかけるのは、商品の勝手な値上げ以上におかしいのではないか。

逆に、店員がレジで商品を読み取とってくれ支払いのみ客が清算機を使う「セミセルフレジ」や、全商品にICタグがついた「無人レジ」には反対ではない。これは客が商品をカゴに入れたものを専用機に置けば、量の多少に関係なく全て金額を読み取るから、あとは現金、カードやスマホアプリで支払えば済む。客が、バーコードでいちいち読み取らせる手間はいらないからだ。

どんな合理化・無人化にも反対しているのではない。私たち消費者に、いま以上に別の手間や負担をかけるのは、企業の合理化の矛先が違っていることを言いたいのだ。

人間の不要化、人間の非人間化が、官民共同で進められていることは承知している。私たちがそのようにして、疎外されていく社会であることも分かっている。だが誰にとっての便利さであり快適さなのか、その虚偽や欺瞞による不自由さの格差的押し付けに黙っている訳にはいかない。