…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_312 ~ さらなる高みと深みへ ~ ことし何が変わったのだろうか。いま何が変わろうとしているのだろうか。 むしろ僕には変わらなかったことの方が、重く感じられてならない。 たしかに、仕事が学校が収入が生活が否応なく変わってしまった人がいる。 でもなぜその多くが、いつもこのように不均衡にしか変わらないのだろう。 一方できょう株価は1989年のバブル以降、31年振りに27400円を超す高値をまた更新した。 異常過ぎる。このコロナ下にあってである。 あれほど感染や逼迫や自粛そして貧困が格差が言われているのに。 期待値といわれるが、誘導され捏造された「期待値」ではないかと勘ぐりたくなる。 投資家は株主はそれに投資する企業は、どれほどの財を得てその笑いを噛みころしていることだろう。 それでも富の再分配は偏ったまま冷酷を通り越して、無感覚でさえある。 つまるところ《人間の非人間化》は、富裕な者にも貧困を生きざるを得ない者にも ここでは平等に当てはまってしまう。 ステイホームのお願い、医療逼迫、コロナによる生活苦と、 31年振りの今のバブルはつり合っているのか。はたして無関係なのか。 2020年も終わるが、けっきょくこの一年は新型コロナ危機などではなかったのだ。 ただこの危機に乗じてバブルが再来し、偏った富が最高値にまで達し片寄った蓄財を囲っただけだ。 何も知らされていないのである。他者の身内の、あっけないほどの急な死がどれほど積もっても。 いまから「経済を回しに行くんですよ」という街頭での、意気揚々としたみ若い人の言葉が忘れられない。 彼が感染をも恐れず身をもって回そうとしているその経済が、彼の遥か頭上で巨大な富を吸い取っている。 僕はこうしてここで今年も、何かに怒りをぶつけるようにして拙い言葉を紡いできた。 でもその虚しさに気づかない訳ではない。しかしとうぜん「芸術」は物質的な作品だけではないし 身体も行為もそして無限の言葉も、芸術には託されていると僕は思っているのです。 この一年お忙しいなか、元村のこの辺境のようなブログをのぞいて頂いた皆さまには 心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 2021年も、さらなる高みと深みを同時にそして共に歩んで行きたいものです。 どうぞよいお年を。