元村正信の美術折々/2020-12-20 のバックアップ(No.1)


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美術折々_310

牛島智子の個展「40年ドローイングと家婦」のこと


「いまは雪の世界です。真っ白な景色を窓から眺めながら冬を迎えています」とある人から暮れの知らせが届く。3年前に亡くなった札幌の造形作家・小林重予からの手紙にも、よくこの「真っ白い世界」の眩しさからの逃避願望があったものだ。僕はと言えばこの南国・福岡の寒さでさえ、いつも以上の怠惰な生活に閉じこもり気味なのが情けない。

そんな日々の中どうしても見ておきたいと思っていた美術家、牛島智子の個展「40年ドローイングと家婦」(福岡市美術館市民ギャラリー/12月15〜20日)に、昨日やっと駆け込めた。僕には久しぶりの牛島智子だった。牛島は1958年生まれだから、僕より5つ年下になる。1980年代から東京を始めその後は筑後・八女を拠点に活躍してきた作家である。いわゆる「現代美術」を経験し、またその崩壊を見てきた世代の一人だ。

その作品は、散乱するカラフルな色彩はモダニズムの奔放さとでもいうようなものを残しながら、一方で描かれるものは天地の開けへの土着的伝承や生活とのつながりを想起させもするが、扱う素材もキャンバスにとどまらず布や和紙、ロウソクなどへと広がりいつ見ても楽しく解放される気がする。「作りながら壊し、こわしながら作る」という彼女にとっての、そんな時間の積層が入り組み飛び火しそのまま大小のモノや作品になっているようだ。

本当は、ちゃんと丁寧に彼女の言葉を聞き取りながら、これまでと今を踏まえて牛島智子の作品の変遷とその魅力について書いて見たいと思っているのだが。でもなぜ今回、このような飛び地のように半端な形でしか発表できなかったのか、残念でならない。そしてそれが偏った評価か傍観で済まされてしまうのを思うと。でもそれは彼女自身のせいではないと僕は思う。「地方」というものは、とかくそういう誠実さを飲み込んでしまうものだ。

せっかくの「40年」展が、このように短い期間内それも作家の自主企画でしか見れなかったのが悔やまれる。それでも、彼女は苦にするでもなく笑って答えるだろう。それほどに牛島智子の作品は、世界は、これからもなお溢れるように生まれてくるだろうから。