元村正信の美術折々/2020-05-17 のバックアップ(No.1)


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美術折々_274

記憶の中に残る味

Film Deracineのキース吉村氏が福岡市中央区天神の水鏡天満宮の路地横に昔あった
喫茶「ばんぢろ」(1949-1998)のドリップコーヒーの思い出を今朝のFBで触れていた。

僕が出入りしたのは高校から大学までの1970年代の10年間ほどだったけれど
ここの珈琲は、独特の濃さと苦味を持ったものだった。
カウンターもあったが奥の広くはない半地下になったコンクリートの床と冷たいソファ。
そこには少し湿り気の混じった空気とともに、いつも紫煙が立ち込めていた。

その半地下というのが、どこかの隠れ家かアジトのようで、まさにアンダーグラウンド。
僕ら若者だけでなく、きっと怪しいひと達や作家、それこそスノッブな文化人と呼ばれる連中も
出入りしていたのだろう。

すぐ近くにはまだ福岡アメリカンセンターの白い瀟洒な建物もあり、多くのアメリカ実験映画や
現代美術関連のスライドショーや講演も頻繁におこなっていた。
来日したクリストやドナルド・ジャッドのトークもワイン片手にすぐ間近で聞けたものだ。
それらの帰りもまた余韻を引きずりながら当然「ばんぢろ」で続きを話そう、という訳だ。

こういう記憶は、何かのきっかけがないとじぶんからは中々思い出さないもの。
それはほぼ同世代の吉村氏もまたおなじ空気を感じ、それを呼吸していたからだろう。

いまの新型コロナの空気のなかで、若いひとたちどうしが愉しむ珈琲の苦味やスピリッツの刺激は
いったいどんな味として刻まれ、記憶の中に残っていくのだろうか。いつか聞かせてほしい。

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