元村正信の美術折々/2019-11-04 のバックアップソース(No.1)

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美術折々_237
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描きたくない、という感情
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 こうして個展も始まって、じぶんの作品というものに少しばかりの距離を取れるようになると、またいつもの変な思いが沸き上がってくる。
 
もうこんな面倒なことはしたくない、という思いだ。もっと言えば、もうこれ以上のものを描きたくない、望みたくないという奇妙な拒否感が首をもたげてくる。
 
なぜだろう。よく分からない。それは、じぶんの諦念からくるものなのか、それともこの現在に対する僕の異和からくるものなのか。
 
絵画という形式が、なおも可能なのかそれとも不可能なのか、そのどちらでもあるにせよ、「絵画」はその形式の内にしかない。だからと言って確たるものはないのだが。ただ「描きたくない」というじぶんの感情の、まっすぐな高ぶりは一体何なんだろう。描きたくないのなら、やめればいいと人は言う。その通りだ。
 
だが描くということには、描かないことがつねに張り付いている。描かれた絵画には、おおくの描かれなかったものが潜んでいるのである。どうやら僕の「描きたくない」という感情には、絵画によって否定された〈絵画ならざるもの〉の声が渦巻いているのかも知れない。
 
それらの声が、なおも僕を掻き立てる。逆説的だが絵画とは、絵画ならざるものが反転した痕跡なのだ。